わが町の隠れ吉利支丹にまつわる話 その八

毎年恒例のお祭りは五日間に及び(現在では少し短縮されたようですが)、百五十万人以上の方達が近隣の市町村からやってみえます。


なかにはわざわざ県外の遠方から来て頂いて居る方もみえて、そうした方々にも楽しんで頂けるように沢山の特価品を毎回お祭り用に用意しておりました。


例の初日の出来事の後に、セール用に書くポップの紙や手提げ袋等販促用品が色々と少なくなっていましたので、必要なものをパッケージの業務用専門店まで買い出しに行くことにしました。


その帰り道、車がちょうど信号で止まりましたので何気無く横を向いたところ、ある教会が真横にあり、手を大きく広げたイエス・キリストの像が視界に飛び込んで来ました。


しかし通常であれば、お祭りで忙しいので急いで店に帰るところなのですが、その目に入った像がどうしても気になり、車を脇道から少し入ったところに停車してそのイエス・キリストの像の所迄歩いて行ってみました。


そこで自分が目にしたのは、像の下にあった石板に長々と彫られたこの地方の四百年以上に渡る切支丹信徒の、弾圧と苦難の殉教史でした。


自分はそれまで、自分が生まれ育ったこの地域にそのような歴史が有ったことなど全く知る由もありませんでした。


そしてそれは、先程迄お店に見えていた霊的な素養があるお客さんが自分に対して霊視したことと、非常に重なる部分がありましたが、ここで一つだけ言っておかねばならないのは、彼女は決してクリスチャンなどではなく、ある神道系の宗教の信者さんでした。


このことは、実はお店のまた別の常連さんで、その宗教団体にご夫婦で入信して居るという方がみえまして、そのご夫婦に先日○○からこういう人が突然みえて、こういうことを言われましたといった経緯を話したところ、そのご夫婦は、その人とはあまり直接話したことは無いけれども、自分が住んでいる町の支部の信者さんの○○さんという人だと思いますよという話から、彼女の素性というものがやっとわかりました。


おそらくというか、彼女は自分のことを○○○○会というその宗教団体にどうしても勧誘したかったのだろうと思います。


切支丹といえば、島原の乱等の歴史的な背景から九州、特に長崎を直ぐに連想する方が多いと思います。


しかし実はこの尾張地区や美濃にも、沢山の切支丹の方達の苦難の歴史があったのです。


続く




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