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8月, 2022の投稿を表示しています

我が町の隠れ切利支丹にまつわる話 その六

それから三十分もしないうちにその女性が戻ってきて、彼女がその手にしていたのは、キリストの降誕(誕生)のネイティビティーでした。 ネイティビティーというのは、幼子イエスが家畜小屋で生まれた場所を表したミニチュアで、キリスト教の国ではクリスマス前にツリーなどと一緒に普通に飾る物なのですが、通常は家畜小屋と幼子イエス、聖母マリア、東方三博士、牛とロバ、羊飼い等がセットになった物なのです。 うちのお店でも、陶器で出来た小さなネイティビティーのセットをクリスマスの時期には何度も販売した事があります。 彼女が持ってみえたのは、横幅30センチ、奥行きは20センチはあろうかという木と藁で出来た家畜小屋のミニチュアでした。 彼女曰く、これも家にあったので一緒に持って来ました、もしよかったら貰ってくださいという事でしたが、そのネイティビティーもパリの現地で購入したものらしく、日本では一度も見たことも無いような極めて珍しい物でした。 そしてメダイというのは、二センチ程の小さな楕円や丸のペンダント状のメダルのことで、聖母マリア様とイエス様が表面に彫られたものが一つずつ、そしてもうひとつは記憶があまり定かではありませんが、天使か、若しくはある聖人がモチーフされていたものではないかと思われます。 彼女から頂いたメダイは、パリにある「奇跡のメダイノートルダム教会」の、俗に「不思議のメダイ」と呼ばれている物で、このメダイのいわれは、百年近く前に、聖カタリナラブレという修道女の前に聖母マリアが突然現れて、このような図像でメダイをお作りなさいと図柄を示したという霊示から、しばらく後に聖母の言われた通りに彫金師によって作成されたということで、このメダイを身につけて祈った人々に奇跡の恵みが起きたことから、いつしか「不思議のメダイ」と呼ばれるようになったというものです。 このメダイについては、ネット通販などで見るとこのメダイを持つと良いことが起こるというように、あたかもお守りのようなニュアンスで販売されています。 しかしこれは全く以て大きな間違いで、そもそもメダイは決してお守り等ではなく、メダイを身に付けた人が神や聖母、イエスを信じて祈ることが大切なのであって、ロザリオと同様本来は祈りのための道具なのです。 さらに大切なことは、司祭(神父)によって祝別(祝福)されたものかどうかが重要なので、ただ売られたもの

我が町の隠れ切利支丹にまつわる話 その五

突然お店に入ってきて、自分の事を嘗て隠れ切利支丹だったと霊視した人がみえたその翌日、その日は土曜日の午後の時間帯でした。 祭の最中なので、お客様が入れ替わり立ち替わり何人もみえる、その時間帯にその方は入ってこられました。 その人も中年の女性で、今まで一度もうちの店にはみえたこともない、明らかに一見のお客様で、五十代になるかならないか位のとても品の良さげなマダムといった感じの人でした。 他のお客さまがお店の中に何人かいらっしゃるなか、何かを買うという感じでもなく、スーッと外からお店の中に入って来られ、自分の方へみえたので いらっしゃいませ、と声を掛けると、突然次のようなことを彼女は話し始めました。 私は主人の転勤の関係でで永いあいだパリに住んで居たのですが、今年、やっと日本に帰ってくることになりました。 実はパリに居たときに、奇跡のメダイ教会で頂いたメダイ(小さなペンダントのような物、後述します)が家にあるのですけれども、突然ですが店長さん、そのメダイを貰っていただけませんでしょうか? そのようなことを見ず知らずのお客様から言われ、少し驚かされましたが、昨日の事もあったので、自分もイエス様やマリア様には少しはご縁があるみたいですから、頂けるのであれば喜んで頂きます、とお伝え致しました。 今迄、自分はいろいろな宗教をやってみえる方や、霊能的な能力のありそうな人達とは何人も関わりがありましたが、はっきり言ってこのような体験は、二十数年間お店を経営している間でただの一度きりの経験でした。 彼女は、一旦家に帰って一時間か二時間したらまたこちらに来ますと話してから帰っていかれました。 しかしその人は、ものの三十分も経つか経たないかしないうちにお店にみえました。 しかも驚きの物を手にして、お店に来られたのでした。 続く

わが町の隠れ吉利支丹にまつわる話 その四

今回のお話は、実はブログに載せようかどうか迷ったのですが、目の前の現実のみを是とする様なリアリズムの人達からすると、あまりにも荒唐無稽な妄想のような話ですので、そういった方達は飛ばしていただいて結構です。 わが町には、日本三大○○祭と言われるお祭りがあり、市が勝手に三大〇〇祭りだぁと、割り込んで名乗っているだけのような気もしますが(笑)、その日はちょうどその祭りの初日のことでした。 お店を開けてすぐ、まだお客さんも殆どみえない時間帯に、一風変わったお客さんが入って見えました。 その人はパッと見四十代前後かと思われる中年の女性で、上下ジャージーのラフな格好、全く化粧っ気もなく、正直あまりうちのお店にみえるようなタイプのお客様ではありませんでした。 突然フラリとお店に入ってみえて、籐のかごを幾つか物色してみえましたが、お祭りのセールで出していたかごを一つ買われて出て行かれました。 一時間ほど経った頃でしょうか、その方がまた急に入ってこられ、おもむろに自分に向かって次のような話を始めました。 店長さん、あなたを見ていると昔、この辺りで隠れ切支丹だった事があるでしょう? 当時はあなたは熱心に信仰していたみたいだけど、本当はあなたの魂はキリスト教では絶対に満たされなかったはずです。 あなたについてみえる方も、そのように言っていますよ。 私はIM市の〇〇というところに今住んでるんですが、その土地の下に竜脈が通っていて、それをどうしても変えないといけないのですが、自分一人では無理なのであなたの力を是非とも貸してもらえないでしょうか? かいつまんで大まかに書きましたが、突然その様な話をされたので自分はいささか面食らったのですが、隠れ切支丹の話は前回にも書いた明治村での教会の経験があった為、ある程度は成る程と府に落ちたものの、急に店に入ってこられ力を貸して欲しいと言われても、ハイそうですかとその話を受け取る訳にもいかず、自分にはそういった霊能は無いし力も有りませんので申し訳ありませんと丁寧にお断りしました。 自分にはどうやら、そういった霊能者や宗教をやっているような人達を磁石のように引き寄せる質が有るようで、後になってからその理由が解ったのですが、それについてはまたの機会にお話致します。 そのお客様がみえてから、次の日にも実はビックリするような体験が待っていました。 続く

我が町の隠れ切利支丹にまつわる話 その三

この人も、自分のお店のとても仲の良かった常連さんで、チャイナペインティングの作家をしてみえました。 チャイナペインティングというのは、ボーンチャイナ(白磁器)の上に特殊な絵の具で手彩色を施し、高温で焼き上げて絵付けをする技法のことです。 彼女は、岐阜市で自分のチャイナペイントの作品を販売するお店を出していたのですが、以前のブログのオウム真理教のN田さんと同じく、作品が結構高額で売りにくい為、雑貨を卸していただけないかという取っ掛かりから彼女とのお付き合いが始まりました。 二人のお坊さんのブログの話に出てきた、お店の奥の方が何か嫌な感じがすると指摘したお客さんの一人が、実はこの人でした。 そのような事が分かる位ですから、この方も霊的な素養があると思われますが、ある時、イギリスのアンティーク家具は味があって好きなんだけど、そういったお店には入れないんですよねぇという話になり、何で入れないのですかと訊いたところ、お店の中へはいると嫌な感じがするのでとても長くは居られないというお返事が返ってきました。 彼女曰く、特に鏡の類は駄目だそうで、自分にもこれは直ぐにその理由がわかりました。 多くの女性は頻繁に鏡を見る機会があり、美しく在りたいという念が憑きやすいので、おそらく以前の鏡の所有者の顔が浮き出てしまうのだろうと聞いていて思いました。 一般の方はこういった類いの話は殆どご存知ないでしょうが、このブログの読者の方の為にここだけのお話をしますと、自分が知っているイギリスアンティーク家具を扱っているある神戸の業者は、コンテナが日本へ着くとお祓いをするという会社もあります。 まあこれはそこの社長が感じやすい人なので、そういった事をするのでしょうが。  自分のお店もアンティークの家具は自分が好きなので百年程前の物も扱っていましたし、古いイギリスの鏡も置いてありましたが、殆どの場合そういった念は、幸いなことに特に感じるということはありませんでした。 (すべてのアンティーク家具に強い念が憑いていると言うわけではありません、運が悪いと当たるかもしれないという話です。) その彼女とある時に夢の話になり、ある夢の中で何か小さな祭壇のようなところでお祈りをしている夢を時々見るそうで、毎回物音がするととっさに隠れて身を潜めるというパターンで夢から覚めるという話でした。 彼女曰く、これは絶対に自分が

わが町の隠れ吉利支丹にまつわる話 そのニ

自分が住んでいる町から二十キロほど離れたところに、博物館明治村という施設があります。 ここは全国的にも結構有名なので、ご存じの方も多いのではないかと思います。 ここ明治村は明治時代を主にして、当時に建てられた歴史的、文化的価値があると認められた建築物や当時の車両、蒸気機関車等、七十近くの施設がおよそ百万平方メートルの中に点在しており、その殆どが重要文化財、有形文化財に指定されています。 自分が建築物のなかで特に好きなのは、フランクロイドライト設計の、旧帝国ホテル玄関口で、あのレトロモダンなデザインは本当に素晴らしく、一見の価値があります。 ある時、家族で明治村へ観光に行く機会があり、入り口ゲートから入って地図を片手に順番に施設を回っていきました。 そのちょうど途中にあった、ある教会の中へ入った途端、自分は何故だか其処から動けなくなってしまい、後から追い着くから先に行ってて欲しいと家族に頼み込んで(怪訝そうな顔をされましたが)、それから三十分ほどはその場所に居続けたでしょうか? はっきりとお伝えしておきますが、自分はそれまでクリスチャンなどではなかったし、ましてや教会にも行ったこともなく、全くキリスト教とは縁もゆかりもないごく普通の生活をしていた人間でした。 そのときの衝撃というか、何か懐かしい感じというか、えも言われぬデジャブのような感覚は今でもはっきりと覚えています。 今にして思えば、そのときは混乱していたというよりも、ただ自分の魂が感じるままに本能に従ってその場所に留まっていたのでしょう。 そのようなことがあってから何ヶ月か経った後、今度はひっそりとただ一人で明治村まで出掛けて行き、心ゆくまでその教会の礼拝堂で何をするということもなく、ひたすらゆったりとした時間を堪能致しました。 続く

ジャニーズ問題について考える 後編 ジャニー喜多川が霊界で受ける報いとは!

ジャニー喜多川氏が生前に行なってきた数々の行為は、因果律となって彼が愛し、育て、守ってきた事務所に必ずや降り掛かることとなり、彼が生きていた間、芸能界のなかで絶対的な権力を誇示していたその組織の揺るぎない座は、今後ますます瓦解していく事になるでしょう。 それはもう既に内部の人材の離反という形で現れておりますし、一部のファンの心も少しずつ離れていき、まるで波が引くように徐々に広まっていく事でしょう。 ジャニー喜多川氏の告別式に、元TOKYOの永瀬智也氏が詠んだ弔辞が自分には強く思い出されます。 「ありきたりな言葉を言ったらつまらないと言うような男だとわかってるので僕なりに言わせていただきますが、あなたは最高です。 最高以外の言葉が見つかりません。 ジャニーさんはカッコ良すぎるのでたぶん 地獄行きです。 僕も地獄を目指している男なのでまた地獄で会いましょう。 それまでゆっくりお休みください」 当時、彼の告別式での弔事は特に話題になるような事もありませんでした。 しかし今になって思えば、それらの言葉の行間にはカモフラージュされつつも、何とブラックジョークに富んだ真意が隠されていたことでしょうか。 その弔事の内容から、彼はおそらくは事務所に在籍時(今は事務所を辞めています)その渦中の当事者であったか、若しくはジャニーの性癖の悪行をよく知る者だったのでしょう。 彼の弔事はまさに言い得て妙ですが、実は仏教でいうところの「地獄」というものは霊界にはありませんし、閻魔様も居りません。 しかしジャニーは死んであちらの世界に帰った途端、己が生前行なってきた行為の数々を走馬燈のように一瞬にして見せられて、自ら進んでその魂の境地へとまっしぐらに堕ちていくのです。 (そう言えばネコまっしぐらというネコ缶のCMが以前に有りましたね(笑)、まさにその通り。) 人の世というものは一切の無為な事柄というものが無く、その人が彼の人生で行なってきたすべての行為は克明にその魂の内に記録されていきます。 そしてジャニー喜多川氏が生前に冒した罪や彼の行為は、一罰百戒の如く死後、彼の霊界での魂に過酷に因果律となって反転されるのです。 たとえばある人が現世で殺人を犯したとします、しかし何の証拠も無ければ彼は決して罪に問われる事もなく、のうのうと生きながらえる事ができるでしょう。 しかし霊界というところは、決してそ

わが町の隠れ吉利支丹にまつわる話 その一

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わが町、一宮市のJR駅前より東南の方角へ300mほど歩いた所に、ある小さな神社がありますが、表通りからは殆ど目立たないような場所です。  神社の正面の鳥居をくぐったすぐ正面に小さな社が見えます。  社のすぐ左側には石碑があり、おそらく石碑自体は江戸時代のものと思われます。 正面には、梵字と「開祖空圓上人」の文字が彫られています。 石碑の向かって左側面に文字が掘られています。 カタカナで「センテンセ」と彫られています。 そしてちょうど裏側の台座の部分には、同じくカタカナで「クロタセウ」と掘られています。 これらの写真や文字についての解説、謎解きは、このトピックのちの方で書かせて頂きます。 これは学術的にも非常に貴重な、わが町の隠れ切支丹の歴史的遺物であり、自分にも関係があるのかもしれません。

外国人労働者の問題について考える 総集編その二

当時会社をやっていた頃、自分のまわりでかかわった事があるオーバーステイ(不法滞在者)の人は、ネパール人、フィリピン人、韓国人でした。 自分の友人でもあった、インド料理屋のネパール人のコックの親戚の人が、観光ビザで日本に来たものの、おそらく事前にこちらの給料の事をコックから聞かされていたのでしょう、在留期限が過ぎても帰らず意図的にオーバーステイしてしまいました。 彼女はその後、三年程こちらの理髪店で働いていましたが、同じネパール人の密告にあい、名古屋の入管に収監されてしまいました。 そしてそのまま強制帰国となりましたが、数ヶ月経ってから自分の携帯に突然連絡があり、現地の状況を色々と聞くことが出来ました。 彼女が強制退去になってから、今までにもうかれこれ十年は経っていると思いますが、当時彼女はネパールの首都であるカトマンズに住んでおり、物価や賃金はネパールの何処よりも断然高かったはずです。 しかし、そのカトマンズで働いていたにもかかわらずその給料は日本円換算で月に七、八千円にしかならず、日本の給料の事を思うと馬鹿馬鹿しくてやってられないというような事を電話口でこぼしていました。 日本の法律では強制退去の場合、五年間は再入国できませんが、彼女は五年経ったら必ずまた日本に来ると話していました。 しかし、義理の兄のコックも結局国へ帰ってしまいましたし、それ以来何の音沙汰も無かったので、おそらく彼女の夢は叶わなかったのでしょう。 自分の友人のコックはバラモン(司祭)というカーストの階級で、彼女も同じカーストですから、現地ではおそらく裕福な階層だったと思われますが、その彼女が住んでいる首都での賃金と、日本の一地方都市の大衆理容のバイトの給料が二十倍以上違うわけです。 こちらで一月働けば、現地の収入の約二年分にはなる訳ですから、まあオーバーステイしたくなる誘惑に駆られるのも無理もないかと、当時その話を聞いて思ったものです。 自分は前回も書きましたが、UNHCRや左派系言論の突き上げで認定基準の緩和をするのは絶対に反対です。 たとえ厳格に認定を行った結果、率が十倍に跳ね上がろうともそれが正しい結果であればそれで良いのです。 認定された人が日本に来て、日本や日本人にたいして敬意を持ち、幸せになってもらえるならば素晴らしいことです。 〇〇系日本人で良いではないですか、自分はそれを喜んで受

外国人労働者の問題について考える 総集編

日本には外国人労働者の為の技能実習生制度というものがありそれなりに法的整備もされています。 自分の家の周りでよく見掛ける外国人の方は、おおかたこの制度を利用して日本に来た人達でしょう。 また、語学留学と称して学校に入ったものの、その実態は明らかに就労目的という人達も居ます。 それから日本である程度働くと永住資格が与えられ、その家族も呼び寄せられるのですが、その妻や息子が規定時間以上に働くというケースも見受けられます。 (以前は就労制限がありましたが、今は緩和されたのでしょうか?) そして、結構あるのがツーリストとして日本に入り、そのまま意図的にオーバーステイして不法就労し、入管に捕まるか、しっかり働いて充分金を貯めた後、自己申告して国へ帰るというパターンです。 東日本大震災のとき、原発がメルトダウンした為もう日本には住めないという噂が流れ(海外でもバンバンニュースになっていました)、沢山の不法就労者が自己申告で国へ帰りました。 自分の知り合いに、外国人技能実習生制度を利用して、日本側の企業に労働者を斡旋している人が居ましたが、彼の話を聞いていると、海外の人達を安くこき使うかのようなニュアンスが彼自身の言葉の端々や、企業側にもそれが感じられ、何だか聞いていて非常に不愉快に思ったものです。 自分は雇用する企業に対しては、もっと厳しいチェック機能や強力な罰則規定をを課すべきだと考えます。 何故ならば、そういった企業で働いていた人達が、いじめや違法すれすれの労働環境等の何らかの理由でそこの会社を辞めると、不法就労状態になったりして、結果的にそういった人達が犯罪に手を染めたりする事になる場合があるからです。 それから左派系の弁護士等が、日本の移民政策、難民認定の厳しさを批判していますが、確かに日本の難民認定は1%以下で、他の先進国の中でも断トツの低さです。 しかしこの数字は至極当然の事で、別に意図的に否認している訳ではなく、彼等の多くは政治難民というよりも、実際にはお金を求めて働くために日本にやって来た、難民とも言えない人達だからです。 これは認定率を上げるとか下げるとかの議論ではなく、個別の案件についてより厳正化するためには、明確にするためのシステムの効率化と簡素化、そしてより開かれたチェック機能の構築をはからなければなりません。 入管法にも問題があり、本人が難民申請をすれ

外国人労働者の問題について考える その三

そして今、悲惨な状態になっているのは西ヨーロッパの先進国です。 ヨーロッパ諸国から比較的近い地域、中東やアフリカ諸国等の一部の地域で以前から内戦状態の国があり、戦火を逃れるために大量の難民が発生していました。 国で言うとシリアやアフガニスタン、イラク、ソマリア、南スーダンなどです。 そして国連機関であるUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)は、先進国などに対して人道的な見地から、これらの戦争難民を受け入れるよう働きかけて来ました。 あまり知られていませんが、実は難民を一番受け入れている国はトルコで、おそらくそれらの国から地理的に近いという事状や、ドイツ等のヨーロッパへの経由地でもあることから、大量の難民を受け入れているのだろうと思われます。 ヨーロッパ先進諸国の中でも一番難民を受け入れているのはドイツで、先の首相であったメルケルの時に、2015年だけでもに一度に100万人の難民が申請をしています。 彼女はもともと東ドイツ出身で、おそらく左派的な思考から難民の受け入れを決定したのだろうと自分は思っています。 (今は東西ドイツはベルリンの壁の崩壊で統合されていますが、以前、東ドイツはソビエト連邦寄りの共産主義国家でした。) しかし2016年に、難民申請を却下されたイスラム系住民が、現地のドイツ人を巻き込むテロ事件を起こし(トラックでクリスマスマーケットの人混みに突っ込む)、多数の犠牲者が出てしまいました。 フランスでは更に深刻で、2015年以降、難民を装ったイスラム過激派が国内に紛れ込み、彼等によるテロの犠牲者が、300人近くにも達しています。 そしてイギリスでは、二年前、国民投票でEUからの離脱を正式に決定しましたが(ブレグジット)、その直接的な原因となったのは、EU諸国からの難民受け入れを強要されそうになったこと、さらには隣国であるフランスで、イスラム過激派によるテロ行為が頻発したことに対する反発が直接的な引き金となりました。 確かに人道的な立場や、経済的な意味での労働力の補填というメリットは有るのでしょうが、キリスト教とイスラム教という宗教の違い、人種の違い、そもそも文化的なマインドがあまりにも違う人々が大量に入ってくる事への社会的混乱が、それらの先進国に於いて強烈な対立構造を産み出しているのは厳然たる事実です。 (しかしながら、西欧列強は歴史的に植民地支配による

外国人労働者の問題について考える   その二

この構図は、世界の先進国と言われる国々では何処も基本的には同じで、結局はお金の為に、所得の低いところからより高いところへの流入が止まらない状態となっています。 アメリカでは以前から構造的に不法移民の問題を抱えていましたが、トランプ大統領になってから、アメリカ・ファースト政策でアメリカ人の雇用を守る為に、メキシコとの国境に壁を作る等の不法移民の流入を防ぐ政策を取りました。 しかし次のバイデン政権がそれらの政策をすべてストップさせたため、中南米の人々にとっては今が絶好の流入のチャンスと捉えたのか、おびただしい数の人達がメキシコの国境近くの町へ押し寄せる大変な事態となっています。 このあたりの経緯については、我那覇真子さんが彼女自身のチャンネルで、現地の様子をつぶさにレポートしている動画を上げていますので、ご興味のある方は是非一度ご覧ください。 そもそもアメリカという国は、400年前のメイフラワー号によるピルグリムファーザーズの入植以來、すべてに於いて移民で成り立っているといっても過言ではなく、現在でも、もし移民をすべてストップすれば経済が成り立たなくなるという指摘がある程、構造的な問題を抱えています。 しかしやはり問題なのは、移民の、特に不法に越境してきた人達の中に、麻薬の売人等の犯罪行為を犯すような類いの招かれざる人々が混じっているということです。 日本でも今回の桃の盗難事件だけでなく、過去にも野菜の盗難等の被害が定期的にありましたし、小規模に畑に出来ている野菜を盗んで、家で食べるといったような事はあるようです。 (それが日本人なのかどうかの特定は、実際には難しいのですが。)   ただ、中国大陸の地方出身の人は、木などになっている実は(自然になっているので)普通に取って食べて良いと言うような感覚がどうもあるようです。 自分が聞いた話で、ある畑をやっていたお爺さんが、たまたま通り掛かった中国人に、(野菜がいっぱい出来すぎたので)少し持っていっていいよ、といったところ、それからというものの、自転車で徒党を組んだ中国人の一団がやって来るようになり困ってしまったという話を聞いて、思わず爆笑してしまったのですが、日本人ならばある程度相手の事をおもんばかって、これ位ならよいかと遠慮するものですが、やはり国民性の違いというか、より物欲的と言うか、ストレートなんですよね。 半年位前に

外国人労働者問題について考える   その一

今年の六月頃から、山梨県内の桃やぶどう農家から大量の果物が盗まれる事件が多発し、被害総額が数百万円にのぼっていた一連の事件について、群馬県警は、伊勢崎市に住むベトナム人窃盗団のアパートを家宅捜索しベトナム人、計九人を逮捕したそうです。 警察は大量に被害にあっていることから、組織的な犯行と断定し、カメラ等の解析をすすめた結果、犯行前後に不審な車が写っていたことを突き止め、その車両が伊勢崎市のベトナム人が住むアパートに有ったことによりぬ、逮捕に至りました。 これには伏線があり、山梨の桃農家が大量の被害にあった後、東京都内の何ヶ所かの駅の前で、車に桃を積んで異常に安く桃を販売する外国人達がいたそうです。 彼等に何でこんなに安いのかと聞くと、日本語が分からないふりをしたり、逃げていったりして、如何にも怪し気な業者が出没していると話題になりました。 日本は今、自民党政府が中心になって人口減少の問題を埋めるために、外国人労働者を受け入れる政策を進めようとしています。 自分が知る限り、十年以上前までは韓国人の不法就労者がちらほら居ましたが、最近では賃金格差があまり無くなってきたせいか殆ど見られなくなり、今現在、周りでは圧倒的に中国人(おそらくはレッドチャイナ)、ついでベトナム人、その他東南アジアの人達、インド料理屋のネパール人、建築関係のトルコ人やその他の中東系の人達といったところでしょうか。 フィリピンの女性は規制が厳しくなった事とコロナで飲み屋が不振なせいか、最近ではあまり見掛けなくなりました。 以前に自分が住んでいたAM市では、小さな商店街のなかのコンビニで、夜な夜なトルコ人達が駐車場で酒盛りをしていましたし、ハラール食品の店も有りました。(ハラール食品とは、イスラム教の教義にのっとって食べることが出来る食品のことで、イスラム教徒が飲食が出来ない禁忌食材が結構あるのです) 自分の妻も、商店街の通りを歩いていたおり、後ろから来たトルコ人にナンパされそうになったことがありました(笑)。 今現在すんでいる町は人口三十七万人の地方都市ですが、毎朝、毎晩中国語を話す一団が自転車で通り過ぎますし(全員女性で何処かの工場への出勤か? )、散歩をしていても、ある借家でベトナム人の人が集団で住んでいる家も有り(ドアにベトナム語の表記有り)、時折タイ語やその他の東南アジアの言語を話す人とすれ違

愛知県大村知事 コ〇〇に対する態度豹変す その四

今回のコ〇〇騒動が始まって以降、自分はどちらかというと中立的な立場をとってきました。 幸いなことに、我が家にはテレビというものがありませんので、マスコミの連日連夜の影響は全くといってよいほど受けませんでしたが、車の通勤時の朝のNHKラジオで、相変わらず感染者がどうの、死者がどうのと毎日相変わらず煽ってるなぁという位しかマスコミとの接点がありませんでした。 しかしこう毎日同じことを繰り返し聴かされたら、オウムが信者に対してやったマインドコントロールと一緒で、ごく普通の一般の人達でも、不安や恐怖を段々と植え付けられていくだろうなとは感じていました。 そして断片的に、ネットのニュースや新聞、自分の勤めている施設でのテレビ等を見るうち、明らかに恣意的なミスリードがあるとわかってきました。 何故こんな恣意的な事を、政府や、ほぼ全てのマスコミや、御用学者のようなコメンテイター達が言っているのかと思っていましたが、結局これは、コ〇〇という感染症を媒体とした一種の利権構造があると理解すると納得が出来ました。 タイトルにも有る通り、何故今頃になって大村知事が急にまともなことを言い出したのかということを考えると、穿った見方をすれば、終息のメドもある程度見えてきた事だし、そろそろ種明かしをしてもいいんじゃないか? といった態度に見えてしまうからです。(どうせ言うならもっと早くせいや❗) 一般的にはまともで正しいと思われていた価値判断からは距離をおき、かといってそれに対して激しく反発することもなく、ゆったりとこの喧騒の世の中を生きてきました。 ワ〇〇〇などを打たずとも、毎日充分な睡眠を取り、決してストレスを溜めず、本当に身体に良いものをしっかりと食べていれば、免疫力が高まりコ〇〇にはかかりません(但し重篤な疾患がある人は、この範疇ではありません)、しかし日々の暮らしでは罹患しない為のある程度の注意は必要で、全く無防備で何をやっても良いと言うわけではありません。 マスクについても自分は着けたり着けなかったりで、人混みが多そうな所ではマスクを常にポケットに忍ばせていますし、お店や飲食店でも着用要請されれば、そのまま場合によってはUターンしたり、どうしてもその店の物が食べたければ着用したりで、特にストレスを感じるということもありません。 自分の場合、持っているものはペラペラの安い布マスクで別に苦

愛知県大村知事 コ〇〇に対する態度豹変す その三

日本が投下したであろう、莫大なコ〇〇関連支出の最大の受益者は、社名はあえて書きませんが間違いなく例の外資でしょう。 この製薬会社は昨年度、売上ランキングトップに返り咲き、兆単位の利益を出しています。 しかしバカバカしいのは、それほど濡れ手に粟の空前の利益をあげた企業の注射を打って、万が一副作用が出たり、最悪死亡したとしても彼等には免責事項があり、日本では保証する必要が有りません。  変わりに政府が対応するといったところで、その特定原因の判定は極めて難しく、容易に承認される訳でもありません。 しかも、治験途中で見切り発車をした薬など、将来的にどの様な服反応が出るかは今の時点では分かりません。 所詮、薬は科学的合成物質で出来ており、自然の摂理で出来た人体に取り込んで人によって拒否反応が出るのは、よくよく考えれば至極当然の事です。 しかも最悪の場合には死に至ることもあり、運が悪かったでは済まされません。 口径薬はまだしも(それでも自分はなるべくなら飲みませんが)、肉体に直接打つようなものは本当に細心の注意を払うべきです。 それから、飲食店(特に飲み屋系)にたいする時短要請、あれもひどい話です。 自分達が散々煽って、一般大衆を不安にさせたスケープゴードに、時短や〇〇時迄で酒の提供を禁止させるなど、いかにも小利口な官僚が考えたような対策で、あんな総括的に投網に掛けるような政策ではなく、飲食店が生き残れるよう、もっとより細分化したマニュアルで対応すべきでした。 自分の知り合いに、地元では結構有名な、お酒も飲めるお洒落なお店が有りましたが、本当に端から見ていて大変そうで可哀想でした。 飲み屋で20時以降酒の提供を禁止する等、まるで死ね、と言っているようなものです。 またサラリーマン時代の同僚がやっていた酒販店は、一年以上前の時点で数千万単位の金策に走っていたと聞きましたが、おそらく倒産したのではないかと思われ、気の毒で怖くて電話も出来ません。 国内に於いても、政府が行ったコ〇〇対策によって裏側に透けて見えるのは、多くの利権が生まれ、沢山の受益者がいたということです。(多くは書きませんが) この対策が悪用された典型的な事例は、町行く若者達に無料のPCR検査を進め、検査を受ければ商品券をつけますよと勧誘していた事業者がいたことで、これなどはもう本来の目的を逸脱した、只の利権ビジネスで

愛知県大村知事 コ〇〇にたいする態度豹変す その二

また、愛知県によると、「第7波」で新型コ〇〇が原因で死亡した人はいない、と断定的に新聞には書いてあります。 これについては、今迄はただでさえ特定原因が難しく、糞も味噌も全てコ〇〇による重傷者、死亡者とカウントしていたのを追認していたのに、まるでコペルニクス的展開のような真逆な物言いにも、自分はかえってその信憑性を疑わざるを得ないのではと思えてなりません。 記事では、重症化の例が比較的少ないオミクロン株の特性を踏まえて、対処方を再構築しなければならないと書いてあり、例えばこれは、BA5の軽傷者であるにもかかわらず、そういった人達の夜間の救急要請増加の一因で、本来対応しなければいけないような急患に支障が出ている事などが挙げられます。 また、コ〇〇判定により、今までは指定されたごく限られた病院でしか見てもらえないという制約があり、これでは現状に則した対応が出来ず、重傷者に特化したシステムの構築が必要であるとうたっています。 しかしこれは、感染症法に基づく区分を、もっとはるか以前に2類から5類へと変更していれば、とっくに対応が出来ていたのではないでしょうか? 2類指定感染症とは、結核やSARS と同類で、入院勧告や就業制限を掛けられる権限があり、隔離の意味も含めて、指定された病院で対応しなければなりません。 それに対して5類では、コ〇〇の前からあったインフルエンザと同等の対処で済みます。 5類になると有償で打たなければいけないじゃないか、などと言われそうですが、そもそも自分はインフルエンザの頃から、一度たりとも注射を打ったことがありませんし、必要に応じて打ちたいと判断した人が、全て自分の責任に於いて打てば良いだけの事です。 だいたいこの騒動が始まってから二年と数ヵ月の間、この国は一体どれだけの関連支出をしたのでしょう? 百年前のスペイン風邪の時も終息までにしっかり二年は掛かっていますから、今回もまだ暫くは続く事でしょう。 終息迄に、下手したら兆の三桁は軽く越えるのではないでしょうか? この莫大なお金の支出は、埋蔵金とかで掘ったら突然出てきたとかではなく、結局はこの国の為政者たる政府と構成員たる国民がケツを持たねばならなくなるのです。 この気が遠くなるようなお金は、一体何処へ消えたのでしょうか? 続く

愛知県大村知事  コ○○に対する態度豹変す

今年の六月から七月にかけてBA5が爆発的に増え続けてていた頃、大村知事は、この感染爆発を抑え込む為に4回目の接種対象を全員に広げるよう要請していました。 要は打って、打って、打ちまくるしかないということを、ほんの一月半前には言っていた訳です。 ところが、八月十六日の中日新聞の記事によると、コ○○による死亡者数の定義の見直しを大村知事が要請したと出ています。 今迄は、じゃぶじゃぶ国のお金を使ってPCR検査をしまくり、陽性、偽陽性関係無く毎日その数字をNHKを始めとするマスコミを総動員して、感染者として毎日ひたすら発表していましたし、今現在でもそれは続いています。 重症者や死亡者数についても、とにかくPCR陽性者として判定されれば、その特定原因に一切関係なくすべてコ○○による重症者、死亡者数としてカウントされていました。 今迄政府による見解や、テレビやラジオ等の情報しか接してこなかったごく一般の方達の一体どれ位の人達が、こういった事実をご存知だったでしょうか? 先の参院選挙で、参政党比例区の候補者として立候補した医者でもある吉野敏明さんは、コ○○が始まった最初の頃から、対応がまちがっている、絶対におかしいと警鐘を鳴らしていましたが、まるでキ印扱いで医学界でも全く相手にもされていませんでした。 こんな話は参政党の党員であれば誰でも知っているような、ごく当たり前のことなのですが、はっきり言って大村知事、何を今さらそんなことを突然言い出して、一体どうしちゃったんですか? と突っ込みたくなるのが正直なところで、あまりにも遅きに失したと言わざるを得ません。 少し穿った見方ですが、自分はこれには裏があるような気がしてなりません。 続く

お盆も近いので   ある友人の話

今年は今日からお盆の入りになりました。 実は、自分も五十代の頃、地元の市民病院で高校時代の同級生と病死という形でお別れをしたのですが、そのときにちょっと不思議な体験をしています。 同じく仲の良かった別の友人と二人で、入院中の同級生の病床へお見舞いに行ったものの、T(入院中の本人)の意識は朦朧とした状態で、とても話せるような状態ではなく、声を掛けても全く何の反応も有りませんでした。 そこで暫くの間、看病をしていた彼の妹と病状等のやりとりをし、顔も見られたので早々と病室をおいとましました。 仲の良かった友人を誘ったのは、実は入院中のTの容態が極めて悪かったからでした。 そのときには、彼にはもうあまり時間は残されていないという状態でした。 退室してから、病室から相当離れた廊下で、一緒に見舞いにいった友人と本人の事について小声で話をしていたのですが、次の日、病室で意識が少し戻った彼が、急に妹に、お前、M(自分の事)にあの事を話したのかと少し怒っていわれたそうです。 廊下で友人と話していた事は病室では一切話しておらず、後日、妹との電話でのやり取りで、何で本人にわかったんだろうという話になりました。 そこで自分が思ったのは、人間は亡くなる直前の数日の間、肉体から幽体が抜け出てしまう事もあるようで、そのときの彼も全くの昏睡状態であった為、幽体だけ抜け出し、つれと話をしていた廊下の方へ来ていたのだと思いました。 人は、通常は肉体と幽体は霊線(シルバーコード)で繋がっており、本人が亡くなったときにその霊線が切れて幽体が離脱するのですが、亡くなる直前にはその線がほぼ切れかけており、今回のような事が起こりうる様です。 しかし希に、スウェーデンの科学者で神学者でもあったエマニュエル スウェーデンボルグのように、生前何度も幽体離脱をして、霊界の様相をつぶさに見聞してきた体験を大量の書として残した霊能者もいます。 Tはパソコンやプログラミングの天才で、ホンダのアメリカ工場のラインの立ち上げにかかわったおり、ラインのプログラムを組んでわざわざアメリカまで行き、現地のアメリカ人技術者達に教えてきたような奴ですが、高校時代は自分とは真逆で、古典や漢文、日本史等文系科目はからっきし駄目だった為、所謂、理系馬鹿というやつで国立へは行けませんでした。 自分も数学で赤点スレスレで引っ掛かり、落第しそうな学年

お盆も近いので   霊的な存在を信じていない人達へ

今回はお盆も近いので、それにまつわるブログを載せます。 この世には、三次元の肉体をまとって、肉体で目にみえるもの、聴こえるもの、感じる事ができるものだけが全てで、人間は死んだら燃やされて灰になってそれで全て終わり、それ以外の事実は何もない、と、頑なに信じている人達がいます。 科学者の中にも、科学で検証、証明出来たことだけが真実で、それ以外の未知の事象については一切認めないというスタンスの人がいます。 脳機能の特性か、頑固さ故からなのか、特に年配の男性にそういった人がより多い様に感じます。 勿論魂には、自由意思という絶対不可侵の法則が働いていますので、それを信条としている方を、どうこうしたいとか言うつもりは全くありません。 しかし、これからお話する事が、あるのかもしれないということを、そういう人達はほんの頭の片隅にでも良いので覚えておいて頂きたいのです。 人は死んだら灰になって終わりだと、頑なに信じている人のなかには、その人が実際に何かで突然亡くなった場合、自分が既に死んでいることが全く理解出来ず、成仏出来なくなるという、まったく以て困った状態になってしまう人がいます。 そういう人は、肉体が滅んでも、魂だけは残っているので、感覚的に自分が死んだという事が理解できない状態になるのです。 仏教の四十九日というのはちゃんとした理由があり、故人を家族や親戚縁者がねんごろに弔うことにより、その故人があちらの世界の(霊界の)少しでも上の段会へ行けるように願い助けるという意味があります。 その間、亡くなったかたが、この世に残った家族などの係わりのあった方達とお別れをし、充分お別れを果たしてから、四十九日迄にあちらに帰るということなのですが、それも人それぞれで、霊的な摂理をよく知っている人はスッと上に上がっていくし、霊界に帰るのに時間が掛かる魂もあります。 妻の母親がなくなったときにも、彼女の孫が二人、その後日、亡くなった本人が部屋で座っていたのを実際に見ています。 しかし自分が死んだと理解出来ない人は、帰れずにこちらの世界に留まることになります。 (浮遊霊のように漂っているか、途中ではたと気付いて帰る人もいますが) だいたい成仏できない人というのは、こういった人や、亡くなった時の想いや念が強すぎてこの世に執着している場合が多いのです。 それから、自殺も絶対に駄目ですよ❗  死んだら

お盆も近いので   世間の医者といわれる人達のある側面

自分の高校時代の同級生に、神道系の友人がいると以前のブログにも書きましたが(本当の神職ではありません)、彼の父親が、実はGf大学の医学部の教授をしていました。 当然の事ながら、彼の教え子達は、ほぼ間違いなく医者になる訳です。 この話は、自分がその同級生に会ったときに、たまたま訊いた話です。 ある年、Gf大学の医学部卒業生達の同窓会があり、勿論彼の父親である教授も招かれた訳ですが、そのときに出た同窓生の先生同士の内輪の話のなかで、何故か霊的な話になり、実は結構な数の医者達が霊の存在を信じているという事が判明したそうです。 まあ、彼等は大学時代の六年間にわたって実証的な、対処療法としての西洋医学を学んだ訳ですから、通常からいえばそういった話は出ないと思うのですが、実はといった内輪の話で、おそらく酒も入っていた事もあり、俺も、俺もという話になったそうです。 まあ、個人病院の肛門科や耳鼻科の先生ならそういったこともあまり無いのでしょうが。 やはり大学の付属病院や、病床数が多い大病院の先生達に特にそういった人が多い様です。 しかしそのような医者達は、よくよく考えてみれば、日常の彼等の仕事に於いて人の生死を扱う訳ですから、普通に考えれば至極当然の話ではあるのですが。 ところが彼等にも変なプライドがあり、公にはそういった話はあまり出ない、というか出さない様です。 なぜかというと、ごく普通の三次元的な世界で生きている同僚の医者にそんなことを言おうものなら、たちまち変人扱いされるからです。 あなたのお住まいの、近くの病床数の多い大病院では、こういった話は実はあるのですが、あまり表には出て来ない様で、勤務している医者や看護師の内輪の話で留まっている場合が殆どの様です。 まあ、ある人は死んでもそれに気付かないという魂もありますし(後述します)、何らかの想いや執着で成仏できない方もみえるようですから、本当に人それぞれというか、魂もそれぞれという事でしょうか。 続く

お天道様が見ている   日本人として生まれて想うこと

参政党の候補者の方が、街頭演説で、お天道様が見ている、ということを度々口にされ、いろんな動画や実際行った演説会でも頻繁に耳にしました。 これは神様やご先祖という霊的存在が、いつも上から我々を見守っておられるということですが、日本人にとってはお天道様、つまりそれは天照大御神のことをあらわしています。 日本神界には、実に沢山の神様がおわすのですが、その方々の中でも天照大御神は日本人にとって一番親しみやすい身近な神様ですよね。 日本女流ペンクラブの会長も勤められ、少し前まで精力的に本などを出されていた、佐藤愛子さんという方がみえます。 この方の著書で、「私の遺言」という本があり、事実は小説より奇なりという言葉通り、その内容たるやフィクションではないかと疑ってしまうほど数奇な話で、もしかしたらもう絶版になっているかもしれませんが、ブックオフにはたまに並んでいるのを見ますので興味があるかたは是非ご一読下さい。(文庫本なら100円、単行本でも200円位で売られていることがあります) 内容は、佐藤女史が北海道のとあるところに別荘を買った事から、霊的な佐藤女史の先祖の因縁により猛烈な霊障が突然彼女の周りに始まり、様々な霊能者が彼女の前に現れて霊的浄化の助けをしていくという、大雑把に言うとこのような話です。 彼女はそれまで頑固な唯物論者で、波乱な人生を歩みながら一切のそういった事をまったく信じることなく、それまでの人生を生きてきました。 その本のなかの登場人物に、神界から人間として転生されたという方がみえて、その方は相曽誠治氏という神道家で、地方の村長をしてみえたこともあるというその方は、ご本人自身がが言向命(ことむけのみこと)と素性を女史に話されています。 彼が、本のなかで、日本の霊性や波動を高めるためにはどうしたらよいのでしょうか? という女史の質問に対して、毎朝、起きたら朝日を拝んで天照大御神と何度も唱えなさい、そうすれば日本の霊性、霊的な国力は必ず上がり、ご自身の魂の浄化にもつながります、とおっしゃっていましたが、まさに日本人の魂の御親は天照大御神なのです。 これは日拝鎮魂法といって非常に重要な霊的作法で、自分も朝日や夕日を拝めた時には、日拝をしています。 日本人にとってはその魂はすべて、天照大御神の霊光の内にあり、お天道様が見ているということは、常に天照大御神様が自分達の魂

世界一の新日国家   その二

(今回は、パラオのペリリュー島での1944年に於ける日本軍とアメリカ軍との激戦の経緯を引用させて頂きました。) 遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。 「あそこでみんな死んでいったんだ……」 沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。 太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。 老人は村の若者達と共にその作業に参加した。 日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。 やがて戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。 仲間達と話し合った彼は代表数人と共に日本の守備隊長のもとを訪れた。 自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。 それを聞くなり隊長は激高し叫んだという。 「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」 日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。 裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。  船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。 村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。 そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。 先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。その瞬間、彼は悟ったという。 あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。 「パラオの統治者である日本軍」としては、パラオ諸島の小さな島・ペリリュー島の民間人を“圧倒的不利な戦局”に巻き込んではならないと配慮したのだ。 そして船舶も乏しい中、空襲を避けて夜間に船を出し、住民の全員をパラオ本島に避難させたのである。 そして日本軍はパラオを死守するために文字通り死を覚悟して戦った。 日本は圧倒的に不利だった。 アメリカに制海権・制空権を掌握されている上に、兵力14倍、航空機200倍以上、 戦車100倍、重火砲1000倍という歴然たる戦力差。 しかしそれでもアメリカの上陸作戦史上最高の損害比率を出させるほどに抵抗し、全く補給もなく73日間も守り通し、玉砕したのだ。 最期に『サクラ・サクラ』という電文だけを残して。  その戦いの甲斐あって最大激戦地・ペリリュー島での民間人死傷者はゼロだった。 戦争後に島に戻った島民たちは、放置されていた夥しい数の日本兵の亡骸を泣きながら埋葬した。 後にペリリュー島のオキヤマ・トヨミとショージ・シゲオが“ペリリュー島の玉砕戦”を

世界一の親日国家   その一

皆さんは世界一の親日国家は? と訊かれて何処を思い浮かべるでしょうか。 多くの人はそれは台湾、と答えるのかもしれませんが、実は台湾には本省人と外省人(中国から渡った国民党系)が居り、外省人のなかには大陸のレッドチャイナ系の人達と繋がっている人達が結構な数いて、御多分に洩れず実は反日の人達も混じっています。 東日本の震災の時の寄付などのイメージだけで台湾は親日だと考えると、本質を見誤ったりします。 では真の親日国家は何処かというと、それは間違いなくパラオ共和国です。 パラオはフィリピンの東南に位置する、ミクロネシア地域の数百からなる群島国家です。 そしてバラオは世界で唯一、日本語が公用言語として指定されている国です。 パラオの歴史は、スペイン、ドイツ、日本、アメリカと委任統治(信託統治)されてきましたが、1994年に独立してからまだ二十数年の若い国家です。 スペインやドイツ、アメリカは統治はしたものの、基本的に資本投下は何もせず、唯一日本だけが、電気、水道、道路等のインフラ整備、学校や病院、その他処制度を導入してパラオの発展に尽力しました。(アメリカは経済分野以外は一部援助しています。) 戦前の殆どの西洋列強は当時、自国の利益のために、支配した植民地をひたすら収奪したのみで、その思考には白人優越主義の差別意識が露骨に現れています。 ですから、日本の委任統治時代に学校教育を受けた年配の人達のなかには、今でも流暢な日本語を話す人がみえるのです。 また現地の公用語の中に、日本語由来の言葉が今でも沢山残っています。 彼等のなかでは、子供に日本人風の名前をつけられた人も多くいて、以前、パラオの大統領であった、クニオ ナカムラ氏は日本人とのハーフで日本にも何度も招かれたことがあり、ご記憶の方も多いでしょう。 当時の日本が、日本人と同じように現地の人々を処し、日本と同じように資本投下を行った結果として、日本の統治時代をなつかしがる人達の良いイメージが世代を越えて伝承した結果、世界で有数の親日国家のパラオの今が在るわけです。 (日本はパラオだけではなく台湾、朝鮮半島でもインフラ等、社会基盤の整備のために同じような政策をとっています。) 続く

ちょっといい話

自分が今勤めている職場での少し前の出来事です。 週に一度、仕事のローテーションで、ある人の介助に入っています。 その日はちょうど土用の丑の日であった為、少し奮発してうなぎでも食べようかという話になり、自分は夕食の買い出しに近くのSK家へ行きました。 メニューを見るとうな牛弁当(うなぎと牛丼が半々)というものがあり、値段も千円弱なのでお手頃感もあり、それを買って帰りました。 山田さん(仮名)はとても楽しみにしていた様で、時間になると何時ものごとくゆっくりと食べ始めました。 (持病の影響で身体の運動機能が弱いのです。) 二十分程かかってやっと左半分の牛丼を食べ、いよいよ楽しみにしていたうなぎの番です。 三分の一も食べれた頃でしょうか? 彼は急にお茶が飲みたくなり、ペットボトルに手を伸ばした瞬間、膝に乗せていたうなぎ弁当を床に落としてしまいました。 せっかく土用の丑で奮発して買ったうなぎでしたが、残念ながら破棄するしかありませんでした。 そして次の週、前回の事が有ったからか、山田さんから今日もうな牛弁当を買ってきて欲しいと頼まれて、また同じ店で購入して部屋へ戻ってきました。 そこでさっそく弁当をビニールの手提げ袋から出したところ、うなぎが滅茶苦茶デカくて思わずびびってしまいました。 通常は半分に牛丼、もう半分のご飯にタレがかかった上にうなぎが一切れ乗っているのですが、うなぎが余りにもデカすぎて牛丼の上に被さっている状態で、彼にそれを見せると彼もビックリしていました。 そこで、山田さん、先週あなた、殆ど食べられずに落としてしまったから、神様がそれを見ていてこんなデカいうなぎをプレゼントしてくれたよ! と話すと彼は幸せそうにニッコリと笑っていました。 彼は本当に繊細でとても優しい人で、ほんのたまに霊的な事を何気無く言ってもスッと心の中に素直に入っていく様な感じがして、この人、昔どこかの宗教でそういったことを学んだんじゃないのだろうか? と思わず思ってしまう様な人なのです。 彼を見ていると、自分には彼が、今の過酷な境遇を自ら選んで生まれてきた様な気がしてなりません。

ある最狂カルト集団の思い出   後記

 N田さんという人は、坊主頭で口髭をたくわえ、一見普通の人とは明らかに違う雰囲気でしたが、男気もあり(ヤクザの組長だから当然か)、とても明るく陽気な人でした。 彼がどういった経緯で任侠の道に入ったのかは自分は知りませんが、オウムに入る前には既に組は解散していたようです。 その彼の人生があきらかに狂い始めたのは、霊的な体験を自らしたことがキッカケとなります。 彼はそれまで、そのようなものを一切信じない人生を歩んで来ましたが、その体験がきっかけとなり、たまたま見た雑誌の麻原彰晃の記事に惹かれオウムに入信してしまいます。 彼に霊的な体験をさせた存在というものは、確実に低次元の霊的存在でしょう。 結局彼はオウム解散後、自分で瞑想の団体を主催するのですが、程なくしてそのグループも消滅してしまいます。 それから十年ほど経ち、彼は趣味で生業にもしていた刀剣で事件を起こし、再び逮捕されてしまいます。 彼の人生を狂わせたと思われる低級霊という存在は、実は頻繁にこういった事を起こすのです。 彼等は決して無償の愛でかかわってくる訳ではありません。 その存在が低次元である程、かかわった人間に、見返り、霊的に作用した代償を求めるのです。 有料の先生と言われる人たちに、後年、人生が段々おかしくなってくる人が居るのは、実はこういった理由があるからです。 そして最悪の場合は本人の死に至ります。 ですから霊能者と言われる人たちが、安易にその力を使って、自分の我慾のためにお金儲けをすることは、実はとても危険なことなのです。 (これは宗教の教祖と言われる人達の場合も全く同じで、信じて従いてくる魂が多い分、余計に重いカルマが本人に掛かってきます。) 文鮮明のことを自分が手酷く断罪したのは、彼のやった行為が、霊的に見ても重大な悪影響を多くの魂にもたらしたからです。 自分は所謂霊能力といったものは、一切必要もないし欲しくも有りませんが、こういった力を本人が持つということは、実は本人にとっては自身の魂を試される両刃の刃なのです。 曲がった道を歩んだ彼等は、死んだ瞬間に自らが行った行為の重大さを思い知ることでしょう。 (この件以外にも、まだ他にも言いたいことは山程ありますが、きりがないのでひとまず終わりとします。)

ある最狂カルト集団の思い出   その五

まずは、法外で高額なお布施を要求する者、100%アウトです、しかし結構引っ掛かる人が多いんですよね、これが。 そういった者達は、霊的な奇跡(のようなもの)を見せたり、お告げがあった等と相談者の不安真理を突くような言葉を巧みに使う訳です。 それから、その人のお金の価値観にもよりますが、ある程度の金額を要求する者、これも自分的には駄目で、やはり避けた方が良いでしょう。 皆さん良くご存じの、以前テレビ等にも出ていたEさんという人がおります。 彼は霊能者として世に出た頃はとても謙虚だったと思うのですが、あるときに本の中で、結構法外な相談料を取りそれの何が悪いのか的な事を書いていたのを読んでから、それ以降自分は彼の本は一切手に取らなくなりました。 これは、隠れキリシタンにとっての踏み絵のような話で、本当に基本的で大切な、霊的な価値判断基準なのです。 高次元の存在であれば在るほど、利他の精神、無償の愛のかたまりで決して見返りなどは求めません。 しかし、その次元が下がれば下がるほど、その霊的存在は我欲の塊となっていきます。 以前に、たくさんの宗教にはそれぞれの魂が感応して信者となるという話をしましたが、低級霊に操られる霊能者や教祖にもその霊に感応するという問題があるのです。 少し前のブログで、オアシスというホームレス支援のボランティア団体をご紹介しました。 代表のナチオ君という人は、10年間にわたって、本当に酷い台風の時を除いて、毎週欠かさず無償で炊き出しを続けました。 これは、霊界の守護霊団が応援しているからこそ、彼も10年間ほぼ毎週欠かさず続けられたのだと思いますし、彼もそういった次元の霊達と感応しているからこそ、今の彼が在るのだと思います。 少し前にも書きましたが、本来ならば無償若しくは、任意のお布施で相談に乗るのが自分は当たり前だと思うのですが、なかにはそれを生業にして生活してみえる人もおります。 そういった方は、悩みを抱えて相談にみえた人達に、心から真摯に向き合い、如何にしてその能力を以て相談者の解決の糸口になれるかを、真剣に誠意をもつて対応される方、そしてお布施もお金のあまり無い人でも常識的な範囲で相談を受けられるような霊能者であれば安心出来ると思われます。 オウムのN田さんはオウム解散後、GFの山奥で瞑想のグループを立ち上げたそうですが、何年か後、そのグループも消滅

ある最狂カルト集団の思い出   その四

まず最初にひとつだけお断りしておかなければならない事があります。 以前から自分も数人は知り合いが居ましたが、近年、宇宙由来の魂と称する人達が非常に増えています。 実際に彼等は、何処かの惑星の霊団から実際に転生してきたのでしょう。 しかし自分とその人達とは魂の出自が違うので、基本的に彼等のことについては深くは言及しません(というか出来ません)。 しかしこれはあくまでも個人的な見解ですが、たとえ宇宙であろうが、地球であろうが、霊的な摂理の法則は同じだと思っているので、自分が指摘し危惧しているようなことも、実は彼等にも当てはまるのではないかとは感じています。 さて、ここからが本題です、前のブログで世間の霊能者と言われている人達は殆どが偽物であると申し上げました。 じゃあ世の中偽物だらけじゃないか!  と言われそうですが、実は、本物の(神の意志に添ったような)霊能者といわれる人達も、極一部の少数ではあるけれども実際にはみえます。 そういった人達は、自分が知る限りですが、市井のごく普通の人々(お年寄りや主婦、会社の経営者、サラリーマンであったり等々)で、周りの本当に悩んでいる人や、霊障で困っている人達に寄り添い、無償(もしくはお布施程度)でそういった人生の岐路に迷っている方達の光となるお役目をされているようです。 我々は今、三次元の世界に生きており、通常それより上の次元についてはハッキリと判断することは出来ません。 それは例えば二次元の映画のスクリーンの中の住人が、その次元を飛び出して三次元の世界を認識し、その背景について判定することが出来ないのと同じで、それは以前にお話しした霊界の次元の話や、どの次元のレベルにおいても通じるものがあります。 日本には古来から、審神者(さにわ)と呼ばれる人達が居り、彼等はもともと神から降りてきた霊示や、御信託を承り、文字通り審査してその真贋を確かめるお役目の人達で、現代では通常霊媒と二人一組となって粛々と執り行うというものです。 しかし彼等のような方達を以てしてもハッキリと判定するのは実際にはなかなか難しいのです。 では、審神者でもないごく普通の方達が、霊能者であれ、宗教家であれそういった霊的存在を背景とする人達と関わるにはいったいどうしたら良いのでしょうか? 続く

ある最狂カルト集団の思い出   その三

世間では、神下ろしをする人や、いわゆる霊能者といわれる人達が常に一定数居り、かたや、彼等が一般の人達に対して行う霊示や、霊的な奇跡、予言的な言動をとても有り難がり、盲信する人たちがいます。 例えば自分があるときに知り合った人ですが、病気直しの霊示が得意な先生と呼ばれていて、そこには癌になった人や、いろんな病気や悩みを抱えた人達がひっきりなしに相談に来る、その地域では結構有名で評判な霊能者(宗教家?)がおりました。 ここでハッキリと申し上げなければいけないのですが、そういった人達の多く(殆ど)が実は偽物(その背景が)なのです。 病気治しで有名なその先生も、ある人に紹介されて何回かは会いに行きましたが(その先生に非常に気に入られたので)、途中から自分は何かがおかしいと感じ、ぷっつりと行くのをやめてしまいました。 自分が知っている、霊的な感覚が鋭い友人も後からその先生のところ行ったらしく、後でその人と会った折り、あの先生のところの神棚に入っているのはやっぱり神ではなくて動物霊レベルだよねという話になりました。 (この話はある顛末があって、非常に示唆に富んだ話であるため、機会があったらまた詳しく別のブログに書きます。) 偽物と書くと少し言い方が酷なので、もう少し別の言い方をすると、殆どの神下ろしや霊能者は霊界の低級霊や動物霊といった雑霊レベルと繋がっている事が実に多いのです。 彼等(霊)は多くの場合、自分は神であると称し、自身の事を大きく見せようとします。 しかしそういった予言や霊的な奇跡の様な事は、実は幽界の低級霊や雑霊レベルでもいとも簡単に出来ることなのです。 よくよく考えればそれはごく当たり前のことで、彼等も霊であるのでそんなことは別に大したことでもないのです。 要はポルターガイストの親戚みたいなものです。 そういった霊に限って、神であるとかその様に振る舞ったりするので、霊能者も騙される訳です。  ある意味それは成り済まし行為で、一種の結婚詐欺(信じたら騙された)みたいなもんですよね(笑)。 ですから、中途半端に霊能がある人が、自分は高次元に繋がっているとか、自分についている神は霊界の根元的な存在だ等と真面目にのたまう訳です。 YouTubeによく出てくる様なそういった類いの人達も、大方はそういったレベルなのではないでしょうか? 自分はそういった方達の言ってみえること

ある最狂カルト集団の思い出   その二

ある時、お店を閉めてから近隣の市への配達があり、お客様に商品をお届けして、夜も遅くなってしまったのである飲食店に入りました。 テーブルに座って注文した夕食を摂りながら、何気に目の前にあった大きなテレビの画面に目を遣ると、何処かでみたような人が画面の真ん中に写っているなとボーッと見ていました。 「オウム真理教幹部、N田K秀容疑者が、たった今〇〇罪の容疑でN村警察署に連行されて行きました!」 えっ!N田さん? 何で? 一瞬頭が混乱し、あまりの驚きに、食べていたものを思わずプッと吹きだしてしまいました。 なんと、うちのお店に散々通っていろいろ買って貰っていた彼が、オウムの建設省幹部、N田K秀その人だったのです。 実をいうと彼は、自分のちょうど兄位の年齢で、お互い行き来している間に結構気心が知れて、お客というよりは懇意な友人の様な関係だったのです。 当時、オウムの悪事が段々と世間に知れ渡っていた頃で、N田さんは多分別件逮捕だろうなぁと思ったものでしたが、案の定、その件では無罪となり、全く別の罪で執行猶予になったようです。 幸い彼は他の幹部達のように、凶悪な事件にはまったく係わっていなかったため、微罪で懲役刑は免れました。 そのテレビを見る瞬間まで、まさか彼がオウムの幹部だとは思いもよらず、もしも彼から一週間ではなく、2、3日でよいからと誘われていたら、結構しつこく誘われたので、ひょっとしたら一緒に富士の麓の上久一色村のサティアンへ行っていたかもと妄想してしまいました。 万が一自分がそこへ行っていたら、彼等の手の内の通り、薬か麻薬で偽りの至福体験をさせられ、マインドコントロールで籠絡させられ入信に至ったかもしれないと想像すると、本当に危機一髪の体験でした。 N田さんは元やくざの組長で、自身霊的な体験をしていたことがきっかけとなり、オウムに入信するという経緯があったようですが、想像するに、やくざの組長で地上げとかが得意であった為、建設省の幹部を任されたのでしょう。 オウムについては、高学歴の人が幹部に連なっている事を、何故あんな頭のよい人達があんな宗教に入ってしまったのかといぶかる向きもありますが、基本、頭の良さとそういったことは関係がありません。 それはそれぞれの魂が、どんな宗教に感応するかということなので、ある意味それぞれの魂のステージの問題なのです。 この話は続きます。