愛知県大村知事 コ〇〇に対する態度豹変す その四

今回のコ〇〇騒動が始まって以降、自分はどちらかというと中立的な立場をとってきました。

幸いなことに、我が家にはテレビというものがありませんので、マスコミの連日連夜の影響は全くといってよいほど受けませんでしたが、車の通勤時の朝のNHKラジオで、相変わらず感染者がどうの、死者がどうのと毎日相変わらず煽ってるなぁという位しかマスコミとの接点がありませんでした。

しかしこう毎日同じことを繰り返し聴かされたら、オウムが信者に対してやったマインドコントロールと一緒で、ごく普通の一般の人達でも、不安や恐怖を段々と植え付けられていくだろうなとは感じていました。

そして断片的に、ネットのニュースや新聞、自分の勤めている施設でのテレビ等を見るうち、明らかに恣意的なミスリードがあるとわかってきました。

何故こんな恣意的な事を、政府や、ほぼ全てのマスコミや、御用学者のようなコメンテイター達が言っているのかと思っていましたが、結局これは、コ〇〇という感染症を媒体とした一種の利権構造があると理解すると納得が出来ました。

タイトルにも有る通り、何故今頃になって大村知事が急にまともなことを言い出したのかということを考えると、穿った見方をすれば、終息のメドもある程度見えてきた事だし、そろそろ種明かしをしてもいいんじゃないか? といった態度に見えてしまうからです。(どうせ言うならもっと早くせいや❗)

一般的にはまともで正しいと思われていた価値判断からは距離をおき、かといってそれに対して激しく反発することもなく、ゆったりとこの喧騒の世の中を生きてきました。

ワ〇〇〇などを打たずとも、毎日充分な睡眠を取り、決してストレスを溜めず、本当に身体に良いものをしっかりと食べていれば、免疫力が高まりコ〇〇にはかかりません(但し重篤な疾患がある人は、この範疇ではありません)、しかし日々の暮らしでは罹患しない為のある程度の注意は必要で、全く無防備で何をやっても良いと言うわけではありません。

マスクについても自分は着けたり着けなかったりで、人混みが多そうな所ではマスクを常にポケットに忍ばせていますし、お店や飲食店でも着用要請されれば、そのまま場合によってはUターンしたり、どうしてもその店の物が食べたければ着用したりで、特にストレスを感じるということもありません。

自分の場合、持っているものはペラペラの安い布マスクで別に苦しい訳でもなく、あんなものははっきり言って自分に言わせればコスプレと同じで、着けている意味など殆ど皆無なのですが、世間がマスクを着けるか着けないかの二元論で騒いでくれているため非常に助かっています。

これでマスク警察の厳しい視線や、半強制的な着用要請を上手くかわしてきた訳です。

本来であるならば、サージカルマスク位着けないとあきらかに有意的な効果は無いはずですが、今まで外で何十万人ものマスクを着けた人達を見てきたものの、職場以外に誰一人着けている人を見かけることはありませんでした。

このブログでは何度も言っていますが、人の魂には、神をも犯す事の出来ない自由意思の行使という不変の摂理が厳然とありますので、ことコ〇〇に限らず、全ての物事について、それぞれの人がその人生を自ら選び体現していけば良いと思うのです。

これは因果律の法則と同じで、結局は全ての行いは自分に帰する、その責務は自身にあるのですから。 

追記
上記の話については、子供のワ○○○接種やマスクの着用要請(義務?)などについては、全く別の話になりますし、長くなりますのでまたの機会にします。 


終わり







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