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最近訊いた話 住むとヤバい土地 後編

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以前のトピックでご紹介しましたが、小林薫さんの漫画「強制除霊師 斎」の主人公である斎さんのお話のなかでも(「呪念の地」第5話)、全く同じようなケースの霊視のお話が出てきます。 自分は今迄、実際いろんな霊能者の方に会ったり知ったりしてきましたし、TVやマスコミで有名になった方も沢山おられますけれども、おそらく彼女の霊的なパワーは日本霊能者史上最強クラスと言っても過言では無いでしょう。 誠に残念なことに、彼女は既に亡くなってみえますのでもうお会いしたりすることは叶いませんし、ご本人も二度と現世に転生することは無いと仰っていましたので、過去形のかたちでしか彼女のことを語ることが出来ないのが残念でなりません。 斎さんが受けた相談は次のようなものでした。 ある中年男性が、おそらく関東地方の何処かの地方都市のニュータウンの様なところに念願のマイホームを購入して、希望に燃えて家族三人で住み始めました。 しかし、皆がどうも家に居てもなんだか落ち着かないしものすごく居心地が悪い、そのうち奥さんの体調がだんだん悪くなっていき、頭痛や身体の不調で家事が出来なくなってしまいます。 そして一人息子さんも母親と同じように不調を訴えて、こんな家にはもう居られないと出て行ってしまいました。 ご主人と言えばはやがて会社をクビになり、鬱病を発症してしまいます。 奥さんは心身の不調を治す為にあちこち病院をまわりますがまったく原因が分からず、とうとう寝たきりの状態になって しまいました。 家の中がゴミ屋敷のように になってしまったところで、困り果てたご主人がツテを頼って斎さんに相談を持ち掛けたのですね。 斎さんがそのお家の近くへ行くと、ものすごくどす黒い瘴気のようなものが流れており、街全体を死臭が覆っていたのです。 そこでその住宅街を彼方此方周って調べたところ、ある場所からその瘴気が出ていて街全体を覆っていたということが分かりました。 この瘴気というのはですね、分かりやすく簡単に言いますと非常に悪い想念の塊のことでして、それがまるで川のように流れてその街全体に悪い影響を及ぼしていたのですね。 ある場所というのは皆さんもうお分かりですよね。 そこはおそらく江戸時代に磔や晒し首の処刑場だったところなのです。 漫画によると処刑場と言いましても、鈴ヶ森や小塚原処刑場のように有名で規模の大き...

最近訊いた話 住むとヤバい土地 中編 (自ら体験したノンフィクションのお話)

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今回のお話は、実際に自分が過去に体験したまさしく真実のお話なのですが、 以前にやっていた会社を清算してからある時期、自分は地元で暫くボランティア活動をしていたことがありました。 そこは地元ではつとに有名な、ホームレスの人達やDVを受けた女性などをシェルターに匿って食事を提供し、将来的に自立を促すというNPO法人なのですが、偶然の切っ掛けからそこの事務所にたまたまお邪魔することになりまして、そのまま数年の間ボランティアをする御縁となったのです。 ある時、シェルターに暮らしていた女性が民間のアパートに引っ越しをすることになり、自分ともう一人のスタッフとで引っ越しの荷物の搬入をお手伝いしたのですね。 行った先のアパートは二階建ての一階部分のお部屋で、なかはすべて綺麗にリフォームがされており、まるで新築のような新しさでした。 しかも家賃も当時の相場よりも明らかに安く、その女性に、本当に良い物件に巡り合えて良かったですねぇとお話しをし、彼女もとても嬉しそうに頷いてアパートを後にしたのです。 それから一週間程経った頃でしょうか、事務所に一本の電話が入り、それが件の引っ越したばかりの彼女からの電話なのでした。 電話を受けた事務長に一体どうしたのと訊いたところ、彼女は困った顔で、こないだ引っ越したあの人、部屋にお化けが出て怖くて夜眠れないから助けてって言って来た!と怪訝そうに返事をしたのです。 その日のうちに事務長と自分の二人でそのアパートへ向かったのですが、部屋へ入ると、一つの部屋だけまったく何も置いておらず空っぽの状態になって居りました。 入居した彼女曰く、この部屋オバケがいて怖くて眠れないから何とかして欲しい!と今にも泣き出さんばかりの勢いで訴えて来たのです。 一緒に行った事務長は幸いなことに祝詞をあげることが出来ましたので、所作に則って二人で空っぽの部屋で祝詞を上げ、そのまま事務所へ戻りました。 その後は幽霊は出ていないというお話でしたが、 それから先のことについては自分は関知していませんので、もう幽霊騒動は治まったのか、はたまた彼女がまた引っ越しをしたのか?  最終的にどの様な結末になったのかについては存じていません。 入居した彼女はシェルターに居た時も、部屋に置いてあった共用の古い姿見に女の霊が映っていると言って怖がったりしていましたので、もとも...

最近訊いた話 住むとヤバい土地 前編

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今回のお話は、自分的にはそのようなことも確実にあり得ると既に知っていたことなのですけれども、最近知り合った人からとても興味深い話を訊きましたので、是非皆さんにシェアしたいと思います。 その人はもともと名古屋の方で、ある時H区のT町にあるマンションに引っ越しをしたそうです。 ちなみに付け加えますと、その人は相当強力な霊的素養のある人なのです。 そのマンションに引っ越してから程なく体調がおかしくなり、本当にもう耐えられなくなったたところでいろいろ調べてみたら、そのマンションが建っている場所は、江戸時代に首切り処刑場があったという曰く付きの場所だったそうです。 おそらくそうとは知らずに引っ越しをした後に急に身体に変調を来たした為に、本来の素養も相まってそのような曰くがあるところだということに気付かれたのでしょう。 その場所は、尾張徳川のお殿様の居城である名古屋城から比較的近いところにあり、周りには必然として処刑場も確かに有ったのであろうと思われますが、当時の家臣達の武家屋敷も近くにあり、とても由緒有りそうなそこそこ山の手の一等地と言える場所ですからねぇ。 まさかそんな場所にあるマンションが、曰く付きの物件であるとは思いもしなかったと言うことなのでしょう。 彼女は当然ながらすぐに引っ越したのですが、運悪くそのような場所に当たってしまったということなのですね。 首切りの処刑場ですから、当時のずさんな吟味ではえん罪で殺されてしまった方達もなかには居たでしょうし、罪人やそういった人達の何百、何千という怨念や無念の想いというものが渦巻いて、悪霊団のような状態になって地縛霊として強く残っていたのでしょうね。 自分の地元にも有りますよ、 永禄元年(1558)清洲城主であった織田信長が岩倉攻略をはかり、これに対して岩倉城主織田伊勢守信安が応戦、ここに信長勢に加担する犬山城主織田十郎左エ門信清が加わり三軍が市内の浮野地区において衝突しました。 この合戦で討死にした者をとむらった「首塚」跡に「浮野合戦場跡」の碑が建てられていますが、 この戦いで討ち取られた900余りの首級(くびき)が埋葬されたと伝えられ、「うぐいす塚(浮剕首塚)」と呼ばれています。 実際に自分もそこへ行ったことがありまして、市街地から真東に当たる千秋町というところで、周りは畑や民家が点在する一見とても...

人は何故此の世に生まれてきたのか? 霊的な摂理のお話

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今回は霊的な摂理についてのお話なのですが、人生を生きるうえでとても大切な手掛かりともなりますので、どうか皆さん、是非とも御一読なさって下さい。 人は何故此の世に生まれてきたのか?という問いに対する答えは非常に複雑でいろいろな答えがありますけれども、一つの明快な理由はハッキリしているのですね。 魂というものはそれこそ百人百様であり、すべての魂には此の世に生まれてきた意味というものが必ずあるのです。 ですから、それぞれの人達の人生というものも、生きる意味や使命、克服しなければならない課題(カルマ)というものが複雑に絡んで、各々の人生の体現として生きていくということになっているのです。 しかし、どんな人達にも共通する真っ当な魂の生き方というものがあるのですよ。 およそ人というのは、自分だけの為に生きようとすると人生が段々と歪んでくるのですね。 それは何故かと申しますと、自分のことだけに拘って生きるという事は、ややもすると我欲の道に繋がるものがあり、それを追い求める人生を歩んでいると魂の昇華の道程からだんだん外れていく事になりかねないのです。 ある人はそこでハッと気付くことでしょう。 そんな人生が虚しくなってくることに。 人生で大きな成功をおさめた人が、突然人の為のボランティアを始めたり寄付をするようになるのは、どんなに三次元の世界で全てを手に入れたと思っても、ある時彼はそこで何かが足りないと気が付くのですよ。 三次元的にどれだけ満たされたとしても、それだけでは決して心(魂)が満たされないということに。 では彼の人生には、いったい何が欠けていたのでしょうか? それは人に尽くすということです。 これがなかなか難しいことでして、人というものはどうしても己の欲望や我欲というものにとらわれて、優先してしまいがちなのですね。 例えば恋愛感情について考えてみても、嫉妬は愛のいち表現だという人が居ますけれども、嫉妬はややもすると相手のことを独占したいという感情に繋がるものであり、一方的なエゴにすり変わる可能性がある、つまり自分の我欲の行使だけのために相手のことを支配したいということにもなりかねず、そこには相手のことを思いやる気持ちが欠片もないのですね。 また、好きなものを食べることをやめられない人というのは、その食欲というものと太るということの正比例する厄介な難題...

美容整形を霊的な価値観から考える 後編 絶対普遍の真実

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それほど美の基準というものは、如何に移ろい易くて不確実なものであるのかということなのです。 我々は、転生を繰り返して生まれ出でた自然の姿かたちに対して、その時の基準で美しい、醜いなどと大騒ぎしたり悩んだりしているのです。 ここで美輪明宏さんにご登場願いましょうか。 彼女は、親から貰った肉体にメスを入れて美容整形することについては、美しくなるのであればそれは良い事だと肯定的な発言をしています。 美輪さんは魂は女性性そのものですから、女性が美しくなりたいのは本能であり、決して悪いことではないと考えているのでしょう。 確かに女性は花にたとえられ、男性はミツバチにたとえられるお話が有りますけれども、花は美しく咲くことで見る者に癒しを与えるという存在意義があるのは事実ですからね。 さて、自分の見解をお話し致しましょうか。 あくまでも肉体というものは、魂が転生して此の世で生きる為のウツワであり、言葉を変えれば神的な存在から頂いた借り物とも言える訳ですから、建前としてはその肉体に少しでも手を加えるということは、本来ならば決して宜しく無いであろうと思われます。 しかしながら、転生した時代の美的水準から大きくかけ離れた女性がその外見故に苦しんでいるのであれば、多少の手を加えて幸せを手に入れる場合に限って是としなければならないと考えます。 但し整形もややもすると、三次元的な美に固執するあまり、顔をいじくりまくってバケモノの様になってしまった女性も世間には結構居ますから、人の歪んだ想いというものについては本当に気をつけなければなりません。 その様な女性は、美に対する執着や心の醜さが投影された結果として、三次元的な己の顔に現れたということなのですからね。 また、身体に入れ墨を彫ったり、身体のあちこちに穴をあけてピアスをしたりする行為については、決定的な美醜とは殆ど関係がありませんから、やはり出来うる限りしないに越したことは無いと思います。 若気の至りで入れ墨を入れたとしても、歳を取ってから精神的、肉体的にその絵柄が自分に全くそぐわなくなったと感じてレーザーなどで消す人も少なからず居る位ですからね。 もしもどうしても入れ墨を彫りたいのであれば、ヘナペイントの様に後で消えていく天然のもので皮膚に描いたり、シールを貼ったりして個性の発露として楽しめば良いではないでしょうか...

美容整形を霊的な価値観から考える 中編

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美白という言葉のニュアンスについても、海外ではあらぬ誤解を受けますので安易に口に出してはいけませんよ。 日本はほぼ同質的な単一民族国家ですが、海外ではアメリカを始めヨーロッパでも今では多種多様な民族が共存して暮らしていますからね。 白い肌は美しいと捉えられかねないニュアンスを含んだ言葉は、たとえ(不用意に)悪気もなく言ってしまったとしても非常に問題視されますし、この人は大丈夫かとドン引きされますよ。 しかし正直申しまして、世界で一番カラーイズム(美白至上主義)が蔓延っている社会というのはおそらくインドなのですが、日本にとっては反面教師ということで、 インドについては別のトピックでカースト制度やカラーイズム差別についてまたの機会にお話をさせて頂きます。 ここで、もう一つの面白いエピソードについてお話しを致しましょう。 それは あるYoutubeの番組で、来日中の外国人ツーリストに写真を見せて反応をみるというものなのですが、その写真は左から順番に痩せた人から太った人迄5.6人の女性を並べたものなのです。 どこからが太った人だと思いすか?という問いに対して、殆どの人の回答は真ん中より右側、なかにはこの女性達は全て太ってはいないと回答する人もいまして、日本では一般的に一番左かその次より右からは太っているという認識になりますと言うと皆さん一様にとても驚いていました。 世界では別に太ってはいないというレベルを許容しない、 このような日本人の独特な認識となる気質を考える上で、さかのぼってだいたいどの時代からその様な気質が形成されて来たのかということを考察しますと、おそらくは江戸時代頃からの影響であるというのが社会学的にみた常識であると思われます。 江戸時代は、ほんの数パーセントの武士達が支配階級、役人として社会を束ねておりました。 そして都市部を中心にした地域では、商人や職人、産業に携わっていた生産者達が分布しておりましたが、その他の大多数の者達は殆どが農民だったのですね。 割合で言いますと、武士階級は上位6〜7%、商人や職人(産業従事者含む)は最大値でも10%程度、農民に至っては全体の80〜85%と圧倒的多数派だったのですね。 (そして、これらの階級に含まれない人達もなかには居りました、所謂被差別部落民といわれる人達です。) 現在の日本人というのは、世界...

美容整形を霊的な価値観から考える 前編

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    日本の昨今の基準では、欧米系の白人女性の外観が美の基本みたいになっているのは疑いのないところでしょう。 美女が多いと言われている東ヨーロッパのスラブ系女性や、他の若い白人女性達が日本にやって来て、モデルやコスプレイヤー、Youtuberなどをしていたりするのを目の当たりにすると、自分としては複雑な思いとともに少しイラッとするのですよね。 何故かと言いますと、正直彼女等のお国ではただの素人同然のような人達が、日本へ来たら何故モデルやタレントまがいの事をやれているのかという話で、白人だったら良いのかという歪んだルッキズム、疑問を感じざるを得ないからなのです。 そこまで来ると、白人の外人特権と言っても過言ではありません。 例えばですね、昨今の世界での日本のカルチャーブームから、アフリカ出身で日本文化に憧れを抱いた黒人女性も少数ながら日本に来ていると思うのですが、彼女等が此方でモデルになったという話はついぞ聞いたことがありませんので、如何に日本の美意識というものが偏っているかという事だと思うのですよ。 日本でも海外の企業のCMなどに出ている黒人モデルは普通に登場しますし、アメリカやヨーロッパでは、黒人のモデルも非常に人気があって成功している人も居たりするのですが、そこにはそれぞれの人種ならではの独特な美しさや個性というものが確立されているのです。 白人女性に対する逆説的な偏見を示す例として、日本に来た白人女性に対して、日本人が他意もなく鼻が高くて綺麗ですねとか、顔が小さくて羨ましいということを彼女等に平気で言う人がいますけれども、本人達はそんなことを言われると驚かざるを得ないのですね。 日本では鼻の整形と言えば、ほぼ100%シリコンを入れて高くするのでしょうが、アメリカやヨーロッパでは大きな鼻を削って逆に小さくするというのがあちらの鼻の美容整形の定番なのです。 ですから、整形で鼻を小さくするような人達に向かって鼻が高いから綺麗で羨ましいということを言われても、彼女達にとってはあまりピンと来ないのですね。 そして、顔が小さいとか頭が小さくて良いとか羨ましいと言うようなことは、彼女らの感覚では一般的には決して言わないですし、そんなことを思いもしないのですね。 そう言う事を褒めたつもりで言われると、顔が(頭が)小さい? ということは脳が小さくてお前は馬鹿だ...