最近訊いた話 住むとヤバい土地 前編
今回のお話は、自分的にはそのようなことも確実にあり得ると既に知っていたことなのですけれども、最近知り合った人からとても興味深い話を訊きましたので、是非皆さんにシェアしたいと思います。 その人はもともと名古屋の方で、ある時H区のT町にあるマンションに引っ越しをしたそうです。 ちなみに付け加えますと、その人は相当強力な霊的素養のある人なのです。 そのマンションに引っ越してから程なく体調がおかしくなり、本当にもう耐えられなくなったたところでいろいろ調べてみたら、そのマンションが建っている場所は、江戸時代に首切り処刑場があったという曰く付きの場所だったそうです。 おそらくそうとは知らずに引っ越しをした後に急に身体に変調を来たした為に、本来の素養も相まってそのような曰くがあるところだということに気付かれたのでしょう。 その場所は、尾張徳川のお殿様の居城である名古屋城から比較的近いところにあり、周りには必然として処刑場も確かに有ったのであろうと思われますが、当時の家臣達の武家屋敷も近くにあり、とても由緒有りそうなそこそこ山の手の一等地と言える場所ですからねぇ。 まさかそんな場所にあるマンションが、曰く付きの物件であるとは思いもしなかったと言うことなのでしょう。 彼女は当然ながらすぐに引っ越したのですが、運悪くそのような場所に当たってしまったということなのですね。 首切りの処刑場ですから、当時のずさんな吟味ではえん罪で殺されてしまった方達もなかには居たでしょうし、罪人やそういった人達の何百、何千という怨念や無念の想いというものが渦巻いて、悪霊団のような状態になって地縛霊として強く残っていたのでしょうね。 自分の地元にも有りますよ、 永禄元年(1558)清洲城主であった織田信長が岩倉攻略をはかり、これに対して岩倉城主織田伊勢守信安が応戦、ここに信長勢に加担する犬山城主織田十郎左エ門信清が加わり三軍が市内の浮野地区において衝突しました。 この合戦で討死にした者をとむらった「首塚」跡に「浮野合戦場跡」の碑が建てられていますが、 この戦いで討ち取られた900余りの首級が埋葬されたと伝えられ、「うぐいす塚(浮剕首塚)」と呼ばれています。 実際に自分もそこへ行ったことがありまして、市街地から真東に当たる千秋町というところで、周りは畑や民家が点在する一見とても長閑な田舎...