霊界探訪 霊的摂理を語る その十二 霊能者の苦悩
自分は宗教者としての転生は何度か繰り返してきましたけれども、今世では霊的な素養を持って生まれて来るということはありませんでした。 しかし、別段それについて残念に思っているというようなことは全く無いのですね。 しかし世間では、霊能が有る人をやたら羨ましがってその様な力が欲しいと願ったり、サイキックなパワーが欲しくて修行まがいなことをする様な人達が時折居られます。 また、瞑想に嵌っている人達には、ニルヴァーナー(涅槃)の境地を求めて瞑想に安寧を求める人もなかにはみえます。 しかし自分に言わせれば、中途半端に霊能のパワーを得ようとしたり、霊的存在にかかわったりするというのは本来とても危険な事ですし、下手をすると魂に害が及ぶことにも成り兼ね無いことなのです。 霊能があるから羨ましいなどと言うのは、その霊能者の本質のほんのごく一部分しか見えていない愚かな思いであると言わざるを得ません。 また瞑想というものについても、自分は伝道瞑想というメソッドを一年程続けましたが、これについてもYoutubeなどでは(高次元の)悟りの境地に至る手身近な手段であると盛んに喧伝している人もなかには居ります。 これもですね、自分に言わせれば諸刃の刃のようなもので、どんな人でもニルバーナの境地に到れるのかと言うと決してそんな生易しいものでは無く、瞑想中に偽りの幻想を見せられたりして魔界に引き込まれる場合も有るのですね。 たしかに瞑想をしていると、魂が浮遊するような感覚に襲われますので、涅槃(別の次元)へと導かれる可能性は確かにありますけれども、逆に低次元の存在からの干渉も受けるという危険性もあり得るということなのです。 まあ今世での自分は、あちらの世界から時折メッセージを受け取ったりもしましたし、霊的な世界の片鱗を見せられたりしたという経験はしばしば有りましたけれども、霊的な素養というものは自分自身全く持っていないですし、そのことを本当にラッキーだったとさえ真剣に思っているのです。 自分は今迄の人生を生きて来て、本当に様々ないわゆる霊能者と言われる人達や、いろんな霊的素養を持ち合わせた人達とかかわって来ました。 彼等の過去世からの因縁で、生まれながらに霊能がある人達というのは、当然のことながら幼少期から三次元の世界に居ても霊が視えたりしてしまう訳ですから、ほかの人達も自分と同じように視えているのだと...