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霊媒体質の人々 其の二十三 宇宙由来の魂について考える 参

さて、今回は自分の人生で出会った人達について少しお話させて下さい。 二十年位前になりますでしょうか、自分が以前にやっていた会社の取引先のひとつで、社長の奥さんの次男が、名前は忘れましたが何処かの惑星から初めて地球へ転生してきたという人がおりました。 確か聞いたところによると、その惑星である時戦争が起こり、自分はビビりだったのでその惑星から逃れるために地球に転生してきたと本人は話していましたが、その奥さんという人の長女もまた、インディゴチルドレンでなおかつブレサリアンという非常に変わった人でした。 ブレサリアンというのは、簡単に言うと全く何も食べなくても生きている人達のことですが、一般の常識的な価値観の方がその様な話を聞いても恐らく信じ難い事でしょう。 それってまるでゾンビじゃねーかという突っ込みが聞こえてきそうです(笑)。 ちなみにブレサリアンというのは、空気中にあるプラーナというエネルギーを体内に取り込んで肉体を維持している、生きている人達のことです。 現実にはそういった人達は確かに居り、身近なところでは弁護士で医学博士でもある秋山佳胤(よしたね)さんは不食に関する著書もあり、ブレサリアンという生き方の啓蒙もなさっているので、その名を聞いたことがあるという方もみえるかもしれません。 また自分の過去のブログで登場した、戦時中の沖縄の不浄仏霊達の存在を鎮魂するために沖縄地方裁判所の検事に自ら赴任された稲葉耶季(やすえ)さんという人も、秋山さんとのブレサリアンについての共著もあり、彼女は完全なブレサリアンではなかったものの、ブレサリアンに近い食生活をされていました。 その他にも私事で昔の話になりますが、ブレサリアンであったという人を自分は知っており、その人は本当に霊性の高い方で、当時自分の魂が苦境に陥っていた折、その人には本当に心の支えになって貰い助けて頂きました。 他にも世間では一般的に良く知られたベジタリアンやビーガンという人達も少なからず居りますが、ここで波動的な話をさせて頂くとベジタリアンよりもビーガン、ビーガンよりもブレサリアンの方が波動が精妙であるのは確かな事実です。 しかしこれは肉を食べる人が良くないという類いの話ではなく、肉は動物を屠畜しているので波動自体が荒いのです。 (それについてはまた別のブログで) お肉は栄養学的にはタンパクも豊富で、お年寄りが食

岐阜市 柳ヶ瀬 4th Sunday -     GIFU  ANTIQUE ARCADE  

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岐阜市の柳ヶ瀬商店街で、今年から毎月 第4日曜日の10:00〜15:00に、アンティーク•アーケイドという骨董市をやっているという情報を行きつけのモックモックさんで教えてもらい、本日行って来ました。 昔のラジオやレコードもありました ミニカー勢ぞろい      ドイツ シユタルフ社のアンティーク縫いぐるみ  昭和レトロな雑貨たち   古いミニ箪笥 ドイツかフランス辺り?のアンティーク皿 古いファッション雑誌 イギリスっぽいサンタ フランスの漫画、タンタンに出てくる犬もいました 初めて見てビックリ、しかも二匹 ! 行き付けのお店 モックモックさん 柳ヶ瀬商店街ではアートとのコラボもしているそうで、モックモックさんのお店に展示してあった岐阜の作家、林りゅういち氏の作品を購入しました(今週末までだそうです、要確認) 独特な何とも言えぬ雰囲気があり、他の作品も素晴らしかったです

霊媒体質の人々 其の二十ニ 宇宙由来の魂について考える 弐

前回のバシャールのお話については、ダリル・アンカというアメリカ人が彼の想念の世界で作り出した産物なのではないかということをお話しました。 お断りしておきますが、これは決して世間のバシャール信奉者の方達を敵にまわそうとして言っているものではありません。 自分は霊的な摂理については多少の知見があるので、あくまでもその可能性が有るのではないかという事をお話しているだけで、その真相は恐らくたとえ信奉者の方であろうと誰にも解らず、ひょっとしたらチャネリングをしているダリル自身でさえ本当は正確には解っていないのかもしれません。 同じように言えることは、我々が今住んでいるこの世界と幽界を含めた魂の故郷である霊界というものは、そもそも次元自体が異なっておりますので、我々の住んでいる世界から更に上の次元からのメッセージを受けたり、その真贋を認識するということは本当に大袈裟ではなく、下の次元からすると困難を極める事なのです。 そしてこれはこの地球という規模で考えても同じことで、地球には地球霊界という異なった次元があり、そういった意味では当然の事ながら我々のこの世界は、魂の領域迄も含めると多次元構造であると言えると思います。 さらにはこの地球というものも宇宙の一部であるので、この地球の様相は写し絵のように宇宙に投影されており、宇宙そのものもまた相似形の条件のように実は多次元構造であるということが言えます。 さて、昨今の宇宙物理学の分野では、宇宙というものが実は多次元構造になっており、様々な宇宙が存在するという学説をとなえている学者が居ります。 このことは、まさに我々の世界と多次元構造である霊界との関係、そして宇宙そのものも写し絵のように同じような構図であったと言えるのではないでしょうか? ですから我々が今住んでいる世界にもいろいろなステージの魂が在り、霊界もまた地獄界と言われる様なところから神界のレベルまで様々な次元があるのと同じ様に、宇宙にも善良なる宇宙意識や宇宙人が居り、またそれとは全く真逆の邪悪な宇宙意識や宇宙人も存在する訳です。 そして我々と霊界の関係、三次元の宇宙と多次元の宇宙の関係が相似系の構図であるとするならば、霊的素養がある人が霊界からのメッセージ(干渉)を受ける事と、宇宙由来の魂の人がチャネリングによって高次元の存在からのメッセージを受け取るということも実は同じ構図であ

霊媒体質の人々 其の二十一 宇宙由来の魂について考える 壱

まず、自分は地球霊界の転生を繰り返してきた魂だと確信しているので、宇宙由来の魂については本来であれば言及すべき立場にはないのですが、自分なりの解釈で語らせて貰うことを最初にお断りしておきます。 今回、宇宙人は果たしているのかどうかという次元の話で、そのようなものは絶対に存在しないという認識をお持ちのかたは、この場でクリックしてフェードアウトして頂いて結構です。 この地球という惑星について自分が常々思っていることは、決して我々の地球というものは無機質な存在ではなく、地球自身が一種のエネルギー体であり地球意思というものが厳然と存在していると思うのです。 古代に於いては地球意思を表す神というものは存在しましたし、万物に霊性が宿つて居るという日本人の独特な宗教観、精神性からすれば、この考え方は多くの人にも同意して頂けると思います。 それについては単に地球だけの話ではなく、他の惑星にも言えることで、たとえば「お天道様がみている」という過去のブログで言及した通り、日本人の魂の親神とも言える天照大御神はまさに太陽神のことであり、すべての日本人の魂は霊的に言えば天照大御神の霊光の内にあると言えます。 我々は今、この地球という三次元の世界で生を受けており、それぞれの人が人生というものを体現しています。 しかし何度もお話している通り人間の本来の姿というものは魂であり、人というものの拠り所ははっきり言ってしまえば霊界という別の次元にあるのです。 さて、昨今世間では自身が宇宙由来の魂であると認識している人が以前に比べてとても多くなってきていますし、書籍やYouTubeなどを見ていると宇宙からの高次元のメッセージを発している人も結構みえるようです。 そういった類いでよく世間に知られた話で、一般的にその名が浸透しているものでは、ダリル・アンカというアメリカ人が、UFOを目撃した事をきっかけにチャネリングする能力が備わり、バシャールという知的生命体と交信出来るようになったというものがあります。 バシャールとは惑星エササニという地球から500光年離れた星に住んでいる個人ではない集合意識体であり、エササニという星も物理的には不可視であると言われています。 日本においても、このバシャールのメッセージは精神世界のニユーエイジ系の人々には非常に支持されており、バシャールの信奉者も沢山みえるようです。 自分

霊媒体質の人々 其の二十 ある宗教家の顛末 六

その先生が元々所属していた教団について少しだけお話しますと、その教団の教祖と言われる人は、私財を投げうって困窮した人々を助けるなどした人であったし、その教団についても自分はネガティブな印象は殆どありません。 その先生も教祖と言われる人については、本当に素晴らしい人であり心の底から尊敬していると以前に話してみえました。 しかし先生は自分が属していた教団の支部のなかの、おそらく人間関係ではないかと思うのですが対立して、その支部を結局のところ飛び出してしまいました。 しかもその支部にみえた多くの信者さんと一緒にです。 実は、自分は間近で先生と信者さん達の様子を見ていて、まるで一人の教祖に付き従う子羊の群れを見ているような思いに駆られていました。 自分の過去世がキリスト教徒であったせいなのか、まるでイエスに付き従う子羊のように感じられたのです。 今、冷静に考えてみると、先生は確かにその支部の教会を飛び出してしまったものの、あくまでも教祖や教団の教義に反発したからと言う訳では無かったのです。 本来であれば、同じ教団内のまた別の支部へ信者さん達と一緒に移ればそれで良かったはずです。 しかし先生はそうとはせずに、自ら神棚をつくり神様を迎え入れてしまいました。 確かにお祈りの仕方は所属していた教団のやり方を踏襲してはいた様ですが、先生には付き従う信者さん達が周りに居たこともあり、先生自らが教祖の様な立場となってそれが一つの小さな教団のようなかたちを形成する事となっていったのです。 周りがご自身の信奉者でも有った為にそこでおそらく魔が差したというか、いつしか祭り上げられた状態がそこに芽生え、雑霊に魅入られることとなった様な気がします。 しかしあくまでもそういった霊に感応し呼び込むのは、自身の魂です。 それに元々備わっていた霊的な素養があったために、その様な状況を作り出していったのでしょう。 ただひとつだけ先生の名誉の為に書かねばならないのは、先生ははっきりとした相談料を頂くということはされていなかったと思いますが、相談された方が、お布施という形で何がしかのものを持ってみえたということは有ったのかもしれません。 自分はそこへは相談に行ったわけではなかったので、そのことについては関知はしてはいませんが、自分は訪問した折りには、皆さんで食べて貰える何かの菓子類は持っていった様な気がします。

霊媒体質の人々 其の十九 ある宗教家の顛末 伍

しかしこういった話は、以前のブログでも既にお話した通り、実はその世界では実によくある事なのです。 これは広義の意味での霊障であるとも言えますが、霊障とは読んで字のごとく霊による障り、障害を受けるということで、係わった魂が非常にネガティブな影響を受けたり代償を払わされるということです。 今回の先生の話に限らず、そのようなことがあるのを自分は他にも知っておりますが、人生を狂わされたり精神的に病んでおかしくなったりといった重篤な症状から、都会の飲み屋街の酔っ払いに取り憑いている浮遊霊のような、これは憑依の類いですが、霊の干渉にも千差万別でいろいろあります。 そもそも霊的存在というものは、高次元であればあるほど神に近い存在ということになりますので、非常に謙虚であり自身をよく見せたり等は決してしないものなのですけれども、その霊的ステージが低くなっていくほど虚勢を張って自らを大きく見せようとします。 更にややこしいのは、三次元の制約を受けた肉体をもった人間が、それを判断して見破るということは本当に至難の技なのです。(本当にごく一部の人でそれがわかる人もなかには居ります) 何故ならば人から見て奇跡と言われるようなことでも、雑霊や低級霊レベルの存在でもいとも簡単に出来てしまうからです。 それは何故かといえば、我々の今住んでいる次元と霊界の次元が違うからで、霊界の次元というのは我々の次元の外側にある、つまり三次元の制約というものが無いので、上の次元からその様なことが起こせるのです。 ここだけのオフレコの話ですが、結構大きな教団の教祖といわれる人でも、ご本人は神界のレベルと繋がっていると思ってみえても実は幽界霊だったということは間々ある事なのです。 昨今の風潮では、SNS等であたかも高次元と繋がっているといって、特に今流行りのYouTube等で御商売に繋げている人が結構みえるようですが、自分にはそれがわかってしまうので、本当にごく一部を除いて観るということは殆どありません、というか観る気が起きません。 そういった方達を見ていると、老婆心ながらはたしてこの人は大丈夫なのだろうかと心配になってしまいます。 何度も言いますが、そもそも霊界というものに我々が今肉体を以て住んでいる世界と関わるということは、良くも悪くもその魂にとっては諸刃の刃でもあるのです。 しかしそういったことを認識していない

岐阜県美濃市 うだつの上がる町並み

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岐阜県の美濃市という所に、国の伝統的建造物群保存地区に選定されたうだつの町並みがあります。 「うだつ」とは、屋根の両端を一段高くして火災の類焼を防ぐために造られた防火壁のことで、最近の人は知らないかもしれませんが、パッとしない人や地位や生活がさえない事をうだつが上がらない人、うだつが上がらない生活という様な言い方を自分等の世代は普通にしていました。 語源は裕福な家しか「うだつ」を造ることができなかったので、このような言葉が江戸時代から言われるようになりました。 美濃のうだつの町並みは、約四百年前に江戸時代の城下町として、商人の町が形成されたことが今に続いています。 町並みは、江戸期から明治時代にかけて造られた商家が軒を連ね、古いたたずまいを見せています。 なかでも、国の重文指定になっている造り酒屋の小坂家住宅や市指定文化財の旧今井家住宅は往時の繁栄の様子を今にとどめています。 こういった古い町並みを自分は大好きなので、今住んでいる家も内装を古民家風に自分で仕上げ、柳ケ瀬のモックモックさんという古道具屋等で購入した明治や大正、昭和の古家具、アンティークな雑貨を各部屋に配置して、少しでもイメージを古民家に近付けて住んでおります。 うだつの町並み 美濃市は美濃和紙も全国的に有名です。 造り酒屋 小坂家 酒類酒粕、麹の販売もしています 旧今井家 中の様子が見学出来ます

霊媒体質の人々 其の十八 ある宗教家の顛末 四

先生の処へ自分が行かなくなってから半年か一年程過ぎた頃だったでしょうか。 自分のまた別の知り合いに、とても変わった人がおりました。 その人はいわゆる霊能者と言われる人達の範疇とは明らかに違っていて、何というかとても形容しにくいのですが、強いて言えば三次元の枠から完全にはみ出しているといった様な感じの人でした。 自分が今までに知り合った中で、ユニークさで一人だけ挙げるとすれば断トツでこの人になる位面白い? 人です。 その人が、ある時どのような経緯で行ったのかは知りませんが、とにかく例の先生のところへ行ったという話を後日、本人から聞かせて貰いました。 そこで出た話の中で彼女が言うには、あの大きな神棚、彼処に祀ってある神様は、先生曰く至高の神だと言われたけれども、どう考えても幽界レベルの霊じゃないかと思うという事を言われました。 自分も以前に先生から、この神棚に祀ってあるのは○○○○○という最高神だという話を聞いた時、何か非常に違和感のようなものを感じていた事を思い出しました。 彼女と会って話してからすでに結構な年月が経っていますので、その結論についてはあいにく失念してしまいましたが、恐らくは動物霊、狐霊の類いではなかったかという事になったんだと記憶しています。 (狐霊やお稲荷さんについては話し出すとまたとても長くなりますので、別のトピックでまたの機会に致します。) 自宅の近くで住んでみえた家は、たまたまある時その前を通ったら空き家になっていましたので、またいつもの如く何処かへ引っ越しでもされたのだろう位に思っていました。 そのようなことがあってからさらに二年か三年か経った、その頃にはもうすっかり先生のことは頭の片隅にさえ忘れておりました。 そんなあるとき、風の便りでその先生が亡くなったと言うことを知りました。 先生は自分よりはたいして年上でもなかったので、その年齢ではまだそこそこ若かったはずです。 それを聞いたとき時正直思ったのは、先生はやはり魂を盗られたのだろうなということが直ぐに頭に浮かびました。 続く

霊媒体質の人々 其の十七 ある宗教家の顛末 参

先生は自分より若干年上であったと思うのですが、当時五十代後半位にお見受けしましたけれども、先生には長年連れ添った旦那さんが居りました。 その旦那さんというのは九州出身の人で、いったいどの様ないきさつで先生と夫婦になったのかは分かりません、ただ旦那さんにはちょっと困った性分があり、昔からパチンコやギャンブルが大好きらしく先生もそのことについては苦労されていたようでした。 しかし自分が通っていた頃には、何時もその家で信者さんや来客の方にお茶をお出したり世間話をするなどの応対をされていて、如何にも九州人らしい大柄で明るい感じの人でした。 お邪魔した折りには昔のギャンブルの話も時々出てはいましたが、その癖はもう治まったのか当時は先生と一緒にいつも家に居るという感じでした。 自分が最後に先生のお宅に行ったのは、何かのお祭り事が有った大勢の信者さん達がみえている日でした。 今となっては何が原因であったのかをはっきりと思い出すことができません。 その日、大勢の信者さん達が部屋にいる目の前で、先生が旦那さんのことを思い切り叱責したのです。 自分には、叱責というよりも罵倒に近い感じの怒り方に思われ、あの大柄な旦那さんがまるで塩を掛けられたナメクジの様に小さくなって、しかも衆目の中、横で見ていて本当に可哀想でした。 たとえどんな失敗を旦那さんがしたにせよ、さらにその場では自分の方が立場が上であったとしても、相手は彼女の身内であり夫なのです。 自分は決して男尊女卑の考えがあるわけではありません、しかし彼女の言動には余りにも夫に対する思いやり、配慮というものがありませんでした。 後で二人になったところで怒りをぶつけるのならまだ分かります、しかし自分にはさすがにこの先生の感情のもっていき方は間違っている、人の道を外れていると思われてならず、そのことがあってからぷっつりと行くのを止めてしまいました。 後日、例の観て貰う事が大好きな知り合いから聞いたところによると、最近〇〇さん(自分の事)来てないけどどうしたんだろうという話が時折先生の口から出ていたそうですが、二度と行く気もなかったし、ある気になることもあったのでそのままにしていました。 続く

霊媒体質の人々 其の十六 ある宗教家の顛末 弐

その先生という人はもともとある宗教団体にみえた人でした。 先生が所属していたという教団は教祖と言われる人が江戸末期に生まれ、明治に入ってから信者数を徐々に増やしていって戦前の一時期には日本で有数の規模を誇っていました。 特定されない為に教団名は明かせませんが、今でも全国に一万数千か所の支部教会があり、おそらく殆どの人がその教団の名前をご存知だと思います。 先生も教団のある地区の支部に所属し熱心な信者さんでしたが、そこの支部長と支部の運営の仕方、考え方で衝突してしまい、結果その支部を抜けてしまったそうです。 詳しくは分かりませんが、おそらく当時からその先生には霊的な素養があったのでしょう、先生が支部を抜けるときに同じ支部にいた一部の信者さん達も先生に付いていって支部を脱会してしまいます。 それから以降先生は借家を借りて何か所かを移り住んでいた様で、たまたま自分の家の近くに引っ越しをされてから自分と知り合ったということでした。 初めてお邪魔してから何回か通ったでしょうか、行く度にお弟子さんのような信者さん達が何時も何人もみえていました。 先生のお宅にみえた人達というのは、元々の教団の信者さんと新しく信者になった人も結構居たようで、自分がよく話をした人で今でも印象が残っているのは、NGY市の建築資材の会社の社長さんという人が、自身が癌になった時に先生に助けていただいたということから通っているという人でしたが、他にもいろんな経緯の人達がみえていましたし、たまたまお邪魔した時に先生に相談にみえているという人も何人かおりました。 相談事は、どちらかと言えばやはり病気に関するものが多かったような気がします。 また、月に一度お参りの日というものがあり自分も是非にと請われ一度だけ参加させて貰いましたが、信者さん達が二間の部屋にほぼ一杯に集まり前の教団のやり方を踏襲してお参りをするというものですが、どういった関係なのかわざわざ千葉県から毎月みえているという人もいてとても賑わっていました。 部屋の間取りについては居間の正面に大きな祭壇があり、信者さんのお参りの時には神棚に向かって祈りを捧げ、相談者がみえたときなどにはその祭壇に祀ってある神様から御神託を受けていた様で、先生曰く最高次元の存在の神様がみえるという話でした。 自分はその先生からいたく気に入られ、その後何度もお邪魔しましたが、あ

霊媒体質の人々 其の十五 ある宗教家の顛末 壱

世間では占いやら予言やら、兎に角いろいろと見てもらう事が好きというか、それがまるで趣味であるかのような人がいます。 それからやたらに神社へ行く人、それが例えば観光目的の神社巡りで、その人が穏やかな気持ちでその土地の安寧を願ってお参りをするのであれば何ら問題はありません。 しかしその人が何らかの心の問題を抱えていて、その埋め合わせをするための代償行為として神社へ行くというのはあまり良くありません。 以前の知り合いで、やたらあちこちの神社へ参拝に行く人が居ましたが、やはり何かしら病んでいる様な感じをその人から受けました。 神社というものは本来、五穀豊穣を願い、自然を畏敬して感謝を捧げ、生かせて頂いている事に対しても感謝を捧げる場であって、願事のために現世ご利益を受けるといった我欲を満たすという好都合な場所ではないのです。 昨今の神社の姿は、人集めのために本来の神社としての在り方が形骸化してしまっていると言えるのかもしれません。 会社をやっていた頃、仕事の関係である人と知り合いました。 その人、彼女は兎に角占い事、易断、パワースポット、ご利益があるという神社、霊能者、御神託をする宗教者等々何でも直ぐに飛び付き、何処へでも行って自分のことを観て貰うというような人でした。 少しでも人の口に上がるような人であれば、手相や占い、占星術、オーラ診断から霊能者、予言者に至るまで全く疑いもせずにお金を払って、片っ端からという感じで彼女は観てもらっていましたが、何故そこまで彼女が自分の将来について気にするのか、それに固執しているのかという事が最初のうちは理解出来ませんでした。 しかし彼女の生き様を観じていると、どうやら彼女の過去世でのトラウマがその様にさせているのだということが自分にはわかりました。 そんな彼女がある知り合いから、病気直しや仕事や悩み事の相談でとても評判が良いという宗教家のことを聞きつけてきて、自分にこういった先生がいると教えて貰いました。 話を聞くとその先生はたまたま自分が住んでいる街の人で、場所を聞けば何と自宅から車でほんの数分程度の所にお住まいでした。 占い好きの例の彼女は相変わらず相談事があると言い、自分は特に何も無かったのですが、どの様な人か興味が有った為彼女について行って一緒にお邪魔するという話になりました。 続く

各務ケ原マーケット日和2022

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毎年恒例で行われる市民祭が、今年も11月3日文化の日に岐阜県各務ケ原市民公園で開催されました。 フリーマーケットの様子。隣り合った市民公園と市民の森の二箇所で80店舗位出ていたでしょうか。 こちらは岐阜市柳ヶ瀬にある古道具、モックモックさんの出店。夕方の閉店直前なのでお客さんはあまりみえませんが開店後から大盛況でした。 こちらのお店では水屋や箪笥、文机など明治から大正、昭和のいろいろなものを買わせて貰いました。 古いもの、特に和骨董が大好きなので。 これはモックモックで購入した百三十六年前の総欅箪笥。明治十九年に製造された物。 毎年野外コンサートも開催され、今年のゲストはバルカン半島の民族音楽、シンガーソングライターの弾き語り、自分が愛してやまないケルトミュージックトリオの3組の出演でした。 公園の横にある「冬ソナストリート」と名付けられた銀杏並木通り。 今がちょうど見頃ですね。 ここはどういう経緯か、ベトナム人と思しき人達の写真撮影がやたら多かったです。 着物、アオザイ、民族衣装、ウエディングドレス等など様々で、プロのカメラマンのような人もおり、ひょつとしたら新婚旅行の撮影会のような感じの人たちもいて、本国では案外有名なスポットなのかもしれません。 あまり研修制度で来た人達という雰囲気はなく、どちらかと言えばツーリストっぽい感じでした。 以前に仕入れでベトナムへ行ったことがあり、ベトナム語を話しているのは何となくイントネーションでわかりました。 やはりバイン・ミーの屋台がありました。 バイン・ミーはベトナム版サンドイッチのようなものでしょうか、彼の国は一時期、フランスの植民地支配を受けていた時期があったのでパン食文化が根強く残っており、ベトナムコーヒーも結構有名ですよね。 苦い珈琲に激甘の練乳をタップリ入れるヤツです、自分は血糖値がやや高めなので絶対に飲みませんが(笑)。 無料駐車場は周りに三、四か所ありますが、直ぐに埋まってしまいます。 早めに行かれるか、逆に午後1時過ぎとかなら帰る人もいるので入れるかもしれません。 名鉄の沿線沿いの

モネの池

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  名もなき池 (モネの池) 岐阜県関市板取にある「根道神社」境内の横に通称「モネの池」と呼ばれる貯水池があります。 大きさはテニスコートよりやや大きい程度の池で、常に湧き水が流れ込み湧水池となっています。 七年ほど前からネット等でこの池の事が話題に上り始め、TVや新聞等のマスコミに取り上げられたことから一気に全国的に有名になりました。 透明度が高い湧き水に咲く睡蓮が美しく、池の中を泳ぐ錦鯉が、まるでクロードモネの代表作である「睡蓮」の絵画のようである事から、この名がつけられました。 根道神社 板取川、紅葉がちょうどきれいでした。

霊媒体質の人々 其の十四 魂が人生で生きるということ

例の龍神の先生のところに相談に行ったのは、当時、未だ年齢も二十代で人生経験も大して積んでおらず、未熟な部分があったからなのでしょう。 当時は自分にとってその問題は、人生の岐路のこれからを左右するような大きな問題のように思えて、自分ではどうしても解決できない、判断出来ないと思ったからでした。 しかしその渦中に居たときには、人生にとって物凄く重大な問題だったと思っていたことも、今になって冷静に考えてみると全く違った様相に思えるのです。 結局はどちらの道に行っても大して変わらなかったような気がします。 人生、もしもあのときこうだったらどうなっていたのだろうかと思うことは誰しも有るのかもしれません。 若いうちであれば、がむしゃらに生きていけば何とかなるのかもしれませんが、自分の様にある程度人生経験を重ねてきた人は、果たしてどちらを選ぶかという岐路に立ったことは一度ならず何度かあったことでしょう。 しかしよくよく考えてみると、人生というものはたとえどの様な道を選ぼうと、今世に生まれた魂にとっては肉体をお借りして人生というものを経験するということ自体が大切なことなのです。 実は人生を体現するというそのことに、幸不幸、良いも悪いも無かったのです。 人というものは本当に様々な悩みを抱えて生きています。 仕事や職場の悩み、対人関係の悩み、苛め、夫婦の価値観の相違、浮気、相続争いや会社の倒産、失業などの金銭的な問題、心や身体の病、孤独、自分は誰にも必要とされていないという絶望感、人や社会のなかでうまく生きていけないという不器用な人の精神的圧迫、等々いちいち並べたらきりがありません。 なかには何で自分はこんなに不幸で上手くいかないんだと人生に絶望し、死んでしまいたいと思う魂もあるのかもしれません。 苦労や悩みというものや、更にもっと大きな人生の試練、例えば人に騙されて莫大な借金を背負った、事故に遭って不随となった、突然癌の宣告を受けた等ということは、普通から言えば本人にとっては耐え難い絶望間に苛まれることだと思うのです。 しかしこういったことでさえ、我々の上から見ればそれは不運でも不幸でもありません。 はたして絶望の淵に落とされてもう死んでしまおうと思うのか、その境遇のなかでも少しでも周りに感謝して少しでも前向きに生きていこうと思えるのか、またたとえ病で死んでしまったとしてもその直前の想