霊媒体質の人々 其の二十 ある宗教家の顛末 六

その先生が元々所属していた教団について少しだけお話しますと、その教団の教祖と言われる人は、私財を投げうって困窮した人々を助けるなどした人であったし、その教団についても自分はネガティブな印象は殆どありません。


その先生も教祖と言われる人については、本当に素晴らしい人であり心の底から尊敬していると以前に話してみえました。


しかし先生は自分が属していた教団の支部のなかの、おそらく人間関係ではないかと思うのですが対立して、その支部を結局のところ飛び出してしまいました。


しかもその支部にみえた多くの信者さんと一緒にです。


実は、自分は間近で先生と信者さん達の様子を見ていて、まるで一人の教祖に付き従う子羊の群れを見ているような思いに駆られていました。


自分の過去世がキリスト教徒であったせいなのか、まるでイエスに付き従う子羊のように感じられたのです。


今、冷静に考えてみると、先生は確かにその支部の教会を飛び出してしまったものの、あくまでも教祖や教団の教義に反発したからと言う訳では無かったのです。


本来であれば、同じ教団内のまた別の支部へ信者さん達と一緒に移ればそれで良かったはずです。


しかし先生はそうとはせずに、自ら神棚をつくり神様を迎え入れてしまいました。


確かにお祈りの仕方は所属していた教団のやり方を踏襲してはいた様ですが、先生には付き従う信者さん達が周りに居たこともあり、先生自らが教祖の様な立場となってそれが一つの小さな教団のようなかたちを形成する事となっていったのです。


周りがご自身の信奉者でも有った為にそこでおそらく魔が差したというか、いつしか祭り上げられた状態がそこに芽生え、雑霊に魅入られることとなった様な気がします。


しかしあくまでもそういった霊に感応し呼び込むのは、自身の魂です。


それに元々備わっていた霊的な素養があったために、その様な状況を作り出していったのでしょう。


ただひとつだけ先生の名誉の為に書かねばならないのは、先生ははっきりとした相談料を頂くということはされていなかったと思いますが、相談された方が、お布施という形で何がしかのものを持ってみえたということは有ったのかもしれません。


自分はそこへは相談に行ったわけではなかったので、そのことについては関知はしてはいませんが、自分は訪問した折りには、皆さんで食べて貰える何かの菓子類は持っていった様な気がします。


俗に世間でいうところの営利目的の先生の類いでは無かったと思います。


先生は小さな集団の中で、教祖という偉い立場になってしまったことで、霊的な素養があったがゆえに安易に霊的な力を借りようとしたことが、彼女のその後の人生を左右することとなったのでしょう。



続く











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