投稿

5月, 2023の投稿を表示しています

我が家の今年の収穫 自然農

イメージ
我が家では、あまり広くはないのですが空いたスペースを利用して、自然農で野菜やハーブを育てています。 連れあいが日本の在来種の種をコツコツと集めて、家の周りの彼方此方に植えました。 自然農というのは、川口由一(よしかず)さんという人が広めた農的形態のことで、肥料は一切やらず、耕しもせず、勿論のこと農薬なども使わない農法の総称でして、少しずつではありますけれども全国的にも広まってきているようです。 家の玄関先。ドアは何の変哲も無いアルミの扉だったものを杉板を薄く加工して貼りつけ、アンティークな感じに仕上げました。 玄関前の扉の上にある常夜灯は大正時代のガラスシェードを骨董屋で見つけて加工製作、配線をして取り付けましたが、この照明をつける事で一見古民家風のとても良い雰囲気を醸し出しています。 玄関前のポーチ。 家の南側を、花や木を植えたり畑にしています。 家の西側の狭い通路にもいろいろ植えてあります。 手前はブルーベリーの実が成っています。 駐車場、草に隠れていますがここで沢山イチゴが取れました。 人参とブロッコリーの種は来年用、人の背丈ほどあります。 上の写真は朝に収穫したイチゴで、今年は何度も収穫できて豊作でしたが、二年前に苗を植えてから昨年まで実はあまり実をつけませんでした。 自然農というものは結果が現れてくるのにどうやら三年位は掛かるようで、今年になってやっと実が沢山なりだしたということのようです。 できたイチゴはナメクジが結構食べていましたが、彼らも一生懸命生きていますのでそれで良いのです、虫も人も自然の一部なのですから。 ナメクジが食べた部分はキレイにカットして頂きました。 写真を見て頂ければわかるように、うちの家ではなるべく雑草も抜かずに出来るだけ自然のままの状態を保つようにしています。 ですからパッと見は畑なのか何なのかわからないような見た目なのですけれども、自然農は本来すべからくこういった感じなのです。 草の中には沢山の虫やカマキリの卵、幼虫、カエル達が暮らしており、蜂や蝶も花を求めて寄ってきま

ジャニーズ問題について考える 中編 ジャニー喜多川が冒した罪

元ジャニーズに所属していたタレントでカウアン某なる青年が、記者クラブに於いてジャニー喜多川が彼に対して行ってきた性的虐待について告発していました。 その内容たるやあまりにも酷いもので、つぶさに書くと倫理規定に抵触しバンされてしまうような描写になるかもしれませんし、皆さんを不快な思いにさせることにもなりますので、敢えてその内容についてはここでは触れません。 ジャニー喜多川氏は1962年にジャニーズ事務所を創業し、1975年に東京六本木に設立した事務所の社長を、彼が亡くなる2019年迄務めていました。 彼は事務所である自宅の一部を「合宿所」として利用し、所属タレントである若い少年たちを合宿所に集めて共同生活を送っていました。 そこが、半世紀のあいだ彼の性欲を満たすための温床の場となったのでした。 元ジャニーズJr.であった平本氏という人は、実名で合宿所での驚愕的な性的虐待行為を告発しており、単純に考えても2500人以上の少年達がジャニー喜多川の性加害の犠牲となったと訴えています。 この数字についてはジャニーの行為の軽重はともかく、彼がその行為を繰り返してきた年月の長さを考えると決して大袈裟なものであるとは思われません。 たとえ露骨な行為では無くとも身体に触れたりするようなものまで含めると、その数字はさらにとてつもないものになってしまうのではないでしょうか。 告発した平本氏によると、少年達に対する性的な行為は毎晩の様に行われており、やらない日は無かった、とまで彼は話しています。 それに対して受け身の側の少年達の対応は果たしてどの様なものだったのでしょう。 皆が皆、それを受け入れていたということはまず絶対に有り得無いでしょう。 おそらく一番多いのは、タレントとして有名になりたくてジャニーズに入ったのだから、その夢の為に多少のことは我慢をしようというものだったのでしょう。 (あまり今迄表沙汰にならなかった経緯を考えると、残念ながらこのケースが一番多かったと思われます) しかし彼等も横の繋がりの情報交換をし、絶対にジャニーが手を出さない子の周りに固まって身を守るというような涙ぐましい努力というか、防衛策もいろいろと講じていた様です。 まあなかには、自身が同性愛で受け入れた少年も居た(とても有名で告白した人も居ます)でしょうし、その逆に耐えきれずに辞めていった人も少なからず居たこ

前回の繋がりでタイの話題をもう一つ

前回は、本格的なタイ料理のお店を紹介させて貰いましたが、タイ繋がりでもう一つタイに関するお話をさせて下さい。 タイでは先日下院の総選挙が五月十四日に行われ、革新系野党である「前進党」が500議席の定員に対して152議席を獲得し、第一党となりました。 同じく革新系のタクシン元首相の流れを汲む(確かタクシン氏の娘が党首)最大野党であった「タイ貢献党」も141議席を獲得して、両党合わせて実に6割もの議席を獲得することとなりました。 タイと言えば、政治の世界では以前より軍事クーデターが頻繁に起こっていてもともと軍の力が強かったのですが、与党であった親軍派の二つの政党は合わせても76議席という結果となり、記録的な大惨敗となってしまいました。 特に首都バンコクでは野党側が圧勝しましたし、投票率も過去最高である75.2%を記録したということです。 何故そのような極端な現象が起こったのかというと、一つ目には「前進党」の党首であるピタ氏という人が、若干42歳でハーバード出身、しかも多言語にも堪能であり非常に経済通、理性的で能力もある、おまけになかなかの好青年であったことから民衆の圧倒的な支持を受けたことが挙げられます。 二つ目には8年も続いた前の政権与党が軍を後ろ盾にした政治をしていた為に、国民の間に軍政治はもう懲り懲りだという空気が蔓延していたことが雪崩的な現象を起こした要因となったのです。 さて、今回の大切な本題はここからです。 タイでは若者が中心となって、過去最高の75%という投票率で実際に政治をひっくり返してしまいましたが、翻って果たしてこの日本ではどうでしょうか? 相変わらず若い人たちの投票率は芳しくありませんし、選挙の投票率も5割を切るどころか下手したら選挙によっては3割代の投票率の場合もあるという始末です。 選挙にあまり関心がなく投票にも行かない日本の若者に対して、タイの若い人たちは選挙で政治を変えようという明確な意識を持ち、貴重な時間を割いて投票に行くという行動を起こして現実に政権を交代させるまでの結果を生み出しています。 確かに政治というものは本来とても難しいものです。 それは単に法律だけでなく、経済や世界情勢、文化、社会的な状況、医療、食料、教育等多岐に渡る事柄が包括的に繋がっていますし、世間に溢れ返った情報の洪水の中で、何が一体正しい情報なのかということの真贋を

世界的大ヒットのインド映画 「RRR」

先日、すぐお隣の街にあるシネコンまでインド映画の「RRR」を観に行ってきました。 三十年ぐらい? 前になりますか、同じインド映画の「ムトゥ踊るマハラジャ」という映画が、当時結構評判になり映画館まで足を運びましたが、インド映画を観に行くのはそれ以来実に数十年ぶりの体験でした。 何故自分が観に行ったのかというと、昨年この映画が日本でも公開され、既に7ヶ月が経過した今でも全国で異例のロングランヒットが続いており、しかも大手ではなく弱小インディペンデント系の配給にもかかわらず累計の興行収入が20億円を突破したという事をSNSで知り、どうしても観たい衝動に駆られて出掛けたという次第です。 だいたい映画というものは公開初週の売上が一番多くて、配給が終るまで段々と下がってくるのが普通のパターンだそうですが、この映画については初週の売上の何と45倍以上の興収を未だに続けているのです。 皆さんは20億円と言われてもピンと来ないかも知れませんが、「ムトゥ踊るマハラジャ」が当時ヒットしたといわれても4億の興収だったそうですから、如何にこのインド映画が異例のヒットを続けているのかが分かります。 映画に少しでも詳しい方なら何となくお分かりでしょうが、インド映画というものはとにかく激しい歌と踊りがつきもので、しかも上映時間が非常に長い故に、ややもするとインド映画は疲れると言われる方が居るのかもしれません。 ちなみに連れ合いを誘ってはみたものの、インド映画は激しいからいいとやっぱり拒否されてしまいました(笑)。 何せインド人という人は、スパイスのタップリ入った料理を每日毎食のように食べ続けている人達ですから、日本人の穏やかな感性とは全く違うのは至極当然のことなのでしょう。 しかし自分が以前会社をやっていた頃、すぐ隣にインド料理屋が突然出来て、それからというものの一年以上に渡ってほぼ每日のようにインドカレーを食べ続けたという猛者ですから、全くもって自分にはインド映画に対して違和感というものは微塵もありません。 (少し前にも家の近くでインド料理の凄く旨いお店を見つけてから、週に一度は禁断症状が出て通っています 笑。) しかも、ある時知り合いの霊的な素養のある友人に、○○ちゃん、あなた過去世でインドのヒンドゥー教の行者をやっていたね!と突然言われ、だから自分は每日カレーばかり食べまくってもまったく飽き

岐阜市柳ケ瀬 本格的タイ料理 ポーヤイ

イメージ
美川憲一の最大のヒット曲「柳ヶ瀬ブルース」で有名な(ふるっ!)岐阜市の柳ヶ瀬にある、地元では名の知られたタイ料理の「ポーヤイ」さんに行ってきました。 岐阜高島屋の東側の通りを、南から北へ少しだけ入ったところにその店はあります。 地方のアーケード街は、残念ながら平日は何処もこんな感じでしょうね。 お店の全景。 入り口では、おじさんが無農薬野菜やクッキー、揚げパン等を販売していました。 タイの調味料などの食料品も販売していましたのでタイ米を購入しました。 (タイ米はカレーやチャーハンなどにはとても良く合い、調理の仕方を間違わなければ実はメチャクチャ美味しいのです) お店の中の様子、右がオーナーさん。 クラシックでオシャレな洗面。 ランチメニュー。 本日の日替わりランチ、おかず二品つきでオーダーしました(1200円)。 クィテオ ヌア(飛騨牛スジ肉の米の麺、太めのフォーみたいな感じ)を注文しました。 ここのオーナーの旦那さんがタイ人で、完璧なタイ料理を味わえます。 料理の辛さは、熱帯の国らしくはっきり言って辛めですから、苦手な方はどれ位辛いのか事前に聞いた方が良いでしょう。 以前死ぬ程辛い料理もありましたので、確かグリーンカレーだったか?(味仙の台湾ラーメンを更に辛くした感じで、インドカレー好きの自分もほぼギブアップ状態でした、) ちなみに今日食べた物はやや辛でとても美味しかったですよ。 それからタイ料理らしく香草をけっこう使用しています、香草が苦手な人はオーダー前に相談してみて下さい、連れ合いもベジタリアンだということを伝えると、肉抜きのランチ料理を作って貰えましたので多少は融通がきくみたいです。 お休みは、フリーマーケットをやっている日曜日は開いているみたいですが、その他の日曜は基本休みで、不定休の休みも時にはある様ですから必ず事前に確認してみて下さい。 パーキングははすぐ近くに60分200円で停める事が出来ました。 もしも柳ヶ瀬を散策したいのであれば、北へ100mほど真っ直ぐ行ったところに行きつけのお店、ア

LGBTについて考える Ⅶ エピローグ LGBTとして生まれた意味

さて、前回はLGBTというものを霊的な意味合いから考察した内容でしたが、他にも書きたい事が沢山たまっていますのでそろそろこのトピックも締めにしたいと思います。 前のブログを補完する話になりますが、人の本質というものは、そもそもこの三次元世界で見たり感じたりするという肉体的な感覚で感知出来るものではなく、その内在する世界、別次元と繋がっている存在こそが本来の人間の姿なのです。 ですから我々が今、この世界を生きていて人生を体現する為に纏っている肉体というものは、分かりやすく例えて言うならば魂が着込んだ気ぐるみの様なもので、この世のすべての人々は今回の人生を全うする時には、その纏っていた気ぐるみを脱ぐ(即ち肉体の死)ということになるわけです。 そこで、肉体としての男女の性差は終わることとなります。 確かに生物学的な種の保存の法則から言えば、男性は男性らしく、女性は女性らしくあってお互いに惹きつけ合い愛しあって子孫を残していくということになるのですが、魂の側からみれば、肉体が滅んだ時点で男性性、女性性としての性差は終わり、どちらでもない本来の姿に戻っていく訳です。 それが証拠に、もしも魂にも性差があるのであれば、男の魂は男としてしか転生しないでしょうし、女の魂は女としてしか転生しないでしょう。 しかし皆さんは、その時々の魂の学びや必然性に応じて、実際には男になったり女になったりの転生を何度も繰り返しています。 簡潔にお話をすると、魂の世界というものは想念の世界でもありますので、なかには三次元での体験で性差が魂に色濃く残っているという人達が居り、そういった人達の中に、転生した人生でまとった肉体とは違った性が表に出てくる場合があるのです。 ですからそういった理屈を理解すれば、自分はLGBTであるという、当事者の方が悩む必要など全く無いということが分かります。 何せ魂には本来男も女も無いし、別にどちらでもいっこうに構わない訳ですからね。 もしもこのブログを御覧の方で、その方のお知り合いにLGBTで悩んでいるという人が居られたのでしたら、是非ともこのブログのトピックを一度読んでみるようお勧めしてみて下さい。 そしてもしその人が読まれたのであれば、何故肉体と想いが違うのかという魂の摂理の仕組みが理解出来て、自分がLGBTであるなどと悩むという事がなくなるのではないでしょうか。 例え肉

地元の禅宗寺院の名刹

イメージ
地元の愛知県一宮市で、最大規模の境内を誇る寺院として知られた妙興寺へ行ってきました。 妙興寺は貞和四年(一三四八年)、滅宗宗興によって創建された寺院で、当時の室町幕府によって厚遇されておりましたが、時代とともに栄枯盛衰の曲折があり、近代にも火災にあうなどして一部の建造物を失うなどしました。 しかし、なおも中世寺院としての遺構も未だに残しており、立派な門や伽藍、境内の敷地の広さなど、地元の尾張地区では禅宗寺院随一と言ってもよい古刹として知られています。 参道からみた総門、犬山城五代目城主であった成瀬隼人が寄進したもの。 勅使門(ちょくしもん)、南北朝期のもので市内では最も古い建造物です。 三十三観音。 本堂。 御本尊、天井の手描きの絵がみえます。 仏塔。 これは仏陀が生まれたネパールのルンビニにある塔を、そのまま模したものだそうです。 ルンビニと言えばネパール人のコックの友達がいましたが、その人はサリックラムと言い、はたして彼は元気でやっているだろうか? 末寺。 臨済宗禅道場、毎月一日と十五日には一般の方が参加出来る坐禅会もやっていますので、興味のある方は問い合わせをしてみて下さい。 座禅は精神がが安定しますので良いようですよ。 境内はけっこう広くて散歩にはうってつけですが、まことに残念なことにワンちゃんの散歩は禁忌となっていました。 眷属が居ないお寺さんでも駄目なところもあるのですね、眷属さんは動物を連れて行くと殆どの場合怒りますので神社ではペットの動物は駄目な場合が多いのです、 神社は神域ですので。 すぐお隣には隣接して博物館もあり、そちらの駐車場も広くて2箇所車を停める事が出来ますので、お寺と博物館、どちらも行かれると良いでしょう。

フリマの戦利品

イメージ
今日も気温が午後からけっこう上がりそうなので、朝早めに近くの桜で有名な「大野極楽寺公園」迄ペットの散歩に行ってきました。 家のワンちゃん、トイプードルのアプリコット。 毎日家の前を散歩されている北村さんという方が書いて下さり、プレゼントして頂いたのですが、自分から見るともうプロとしか思えないような画才にもかかわらず、あくまでも趣味として嗜んで見えるということでした。 自分には絵のことは門外漢なのでよくわかりませんが、水墨画と西洋の画法を併用しているようなタッチで描かれており、瞳はまるで生きている様でとても二次元のものとは思えない存在感があります。 園内の散歩のコースで、ちょうどフリーマーケットの準備をしている人達が居り(月一回の開催なのか?)、その中に骨董品を出していたおじさんがいてこれを見つけました。 木の手桶、タガが少し緩んでいるので水を入れて使うのは漏れてしまい無理ですが、物入れやプランターカバーとして利用出来そうです。 取っ手の部分まで40センチ位ありますのでまずまずの大きさです。 ちなみに下に写っている台は、大正時代に使われていた将棋差しの縁台で、津島市というところの骨董屋で購入しました。 丸いザル、直径60センチ位ある大きなもので、物凄く丈夫に作られています。 手箕(てみ)、農作業でもみ殻を選別したり、運搬に使ったりするカゴ。縦が50センチ位あります。 昔のお百姓さんは皆さんこれを使っていました。 かご類は、お隣の扶桑町というところの古いお百姓さんの納屋に有った物だそうです。 おじさん曰く、おそらく明治時代のものでどう見てもあまり使われた形跡もなく、色焼けはしていますがまるで新品のようなコンディション、さらに昔の日本の籠職人さんの手編ですからいかにも丈夫そうで見た目の品質も最高級、まさに職人技の逸品という感じです。 今、ホームセンターなどで売られている某中国製の物など(ディスるつもりは非ずとも事実だから仕方がない)比べるべくもありません。 もしも同じ大きさ、品質の作りの手箕を、新品の日本の籠職人さんの手編物で探せばおそらく大一枚では絶対に済まないのではないかと思います。 自分には極めて特殊な超能力(笑)がありまして、物などを見ると大体の価値が直

LGBTについて考える Ⅵ 霊的に想えば見えてくるもの

今回LGBTというものを、このブログらしく霊的な立場で考察してみたいと思います。 我々は今、この三次元の世界で生を受け、其々の人が其々の人生を体現しながら生きています。 そしてそのことを満たすためには、たとえ誰であろうとも肉体がなければ不可能であり、叶うことはありません。 さて、このブログの読者の方々は既にご存知の通り、自分が何度も書いているフレーズを今回もお伝えしなければなりません。 人というものの本質は霊主体従の存在であり、人は(肉体をもって)この世界で生きていますけれども、実は人の本質というものは肉体の内面にある魂こそが本当の姿なのです。 自分は何度もそうやって人生の転生を繰り返してきました。 そして自分は魂の存在の拠り所である霊的な摂理こそが、今我々が生きている世界を内包し、決定的な影響を与えているのだということを知っています。 しかしながら私は何かの宗教に取り憑かれている訳でもありませんし、皆さんを怪しい思想で洗脳しようと思っている訳でもありません。 人にはそもそも自由意志というものがありますし、それぞれの人が経験し蓄積した信念は千差万別であり、各々全てが違いますので、もし自分の事を胡散臭い奴だと思われる方が居るのであれば、拒否して遠ざけ見なければ良いだけのことなのです。 霊的な摂理のフィルターを通してお話をすると、自分は今男性の肉体を纏って今世を生きています。 しかし自分がもしも死んだとしたなら、当然の事ながら男性としての肉体はその時点で消滅する訳です。 そして魂となってあちらの世界へ還ることとなるのですが、また来世こちらに転生してきた場合、果たして男となって戻ってくるのか、はたまた女性として生まれ変わってくるのかは分かりません。 つまりその魂にはどんなカルマがあり課題があるのかという、魂が経験しなければいけない事柄によって男性として生まれるのか女性として生まれるのかが決まる訳です。 まあ例外もあるのでここではあまり詳しくは話しませんが、本来魂というものには男も女もありませんし、肉体というものを纏って初めて性差というものが生まれてくるのです。 もしもその人が生まれ変わって転生してくる場合、殆どの転生では過去世の記憶は消されていますが、なかには魂の性分として過去世での性の記憶が色濃く残っていることがあり、そういった人達が今の肉体の性と合わない場合が俗に言う

ジャニーズ問題について考える 前編 BBCの告発

今年の三月にイギリス国営放送のBBCが、ジャニーズ事務所の前の社長であるジャニー喜多川氏が長年に渡って所属タレントの少年達に性的な行為を行なっていた、というショッキングなドキュメンタリー番組を放送しました。 BBCは世界的にとても影響力のある媒体ですから、この醜聞はあっと言う間に世界中に知られることとなり、当然のことながら日本にも飛び火して大騒ぎとなっています。 つい先日、現社長でジャニーの姪のメリー喜多川氏は謝罪会見を開いて、自分はジャニー氏の性癖については知らなかったとし、第三者委員会を設置して真相究明することはしないと釈明しましたが、彼女がそのことを把握していなかった等という戯言は1000%絶対に有り得ませんし、本当は出来ることなら今迄のように有耶無耶にしたかったのでしょう。 しかし、世界中に知れ渡ってしまったのでもうどうしょうもなくなり、嫌々ながら最低限の謝罪会見を開いて、何とか火消しをしょうとしたのが見え見えの謝罪会見であり、茶番劇でした。 数十年前になりますが、自分の記憶では国会でもこのジャニー氏の性癖については問題になり、取り上げられたのをテレビで実際に見ています。 この様な話は、普通であれば発覚した時点で大変な大騒ぎとなり、下手したらジャニー氏は逮捕、事務所は分裂か解散になるぐらいの大事件となるのでしょうが、何故ジャニー氏は50年にも渡って少年達に対する性的虐待をのうのうと続けてこられたのでしょうか? このことは、日本の芸能界、ひいては芸能事務所とマスコミとのあいだのいびつなまでの関係性を如実に物語っています。 特に女性の方、ジャニーズのタレントの誰かのファンである、若しくはかつてはファンだったという人は非常に多いと思うのですが、ジャニーズ事務所というのは昔から非常にマスコミに対して強い影響力を持っていた存在だったのですね。 日本のテレビ局はそもそも視聴率を取ることが至上命題であり、視聴率によってスポンサーの広告料収入は変わって来ますので、ジャニーズ事務所に対して少しでも不利益をもたらすようなことを言えば彼等の所属タレントを回して貰えなくなるし、出演させられなければ視聴率が取れなくなり、結果的に局の収入も減り局が困るという力関係の構図が、両者の間に長年続いて来たわけです。 これはジャニーズ事務所の常套手段で、過去にもダ•パンプが人気が出た頃に手持ちの

LGBTについて考える Ⅴ ある大学教授の告白

青山学院大学の文学部、英米文学科のエリック.マグレディなる米国人教授が、ある訴訟を起こして話題になっています。 彼の言い分によれば、男性である彼の自己認識はあくまでも男性ではなく「女性」であり、女性の妻との関係は「レズビアン」であると主張していて(??)、日本政府に対して法的にもそれを認めるよう訴訟を起こしているという話なのです。 これは一見何を言っているのかわからない様なややこしい話ですが、要は肉体的には男と女だけれども、レズビアンの関係であるということを法的に認めろという事です。 まあ彼が肉体的な性は男だけれども心は女性だという主張は、特別彼だけが特殊な訳でもなく、世間では時々聞く話で、旦那が突然化粧や女装をしだしたという話は以前にも何度か耳にしたことがあります。 しかしこの大学教授自身が自分は女であると認識していることが、感情の発露であろうがはたまた妄想であろうが、彼が実際にそう思っているのであれば誰もとやかく言うものでもありません。 (今回の記事では出てきていませんが、当事者である彼の妻がそれに対してどう思っているのかということはまた別の話です) ここで自分がおかしいと思うのは、彼はそのことを公表することによって別に大学の教授の座を追われたなどの不利益を被った訳でもないし、社会的な制裁を受けた訳でも無い、彼が自分の感情に正直になって周りに意思表示をしたのはあくまでも彼の自由意志なのですけれども、何故それを国に対して認めさせなければいけないのかということなのです。 人の魂には、自由意志を以て己の人生を体現するという神をも侵すことが出来ない絶対法則がありますので、彼が何を想い、何を彼の人生で体現しようがそれは彼自身にしか許されないことであり、そのすべてについての責務は彼自身にしか負えないことなのです。 しかし今回の彼の行動は、国に対して過度な権利を主張していることになり、やはり行き過ぎた行為であると自分は言わざるを得ません。 たとえその話(魂の性別)を聞いても、彼に対しては取り立てて何も否定するつもりもありませんし、世間の人がそれで良いと思っているのであれば、それで済むだけの極めて簡単な話なのではないでしょうか。 何故それをわざわざ国に認めさせねばならないのでしょう。 前回、キリスト教国家のLGBTに対する相対的な関わりを聖書から紐解きましたが、これもやはりキリ

LGBTについて考える Ⅳ 聖書に於けるポリコレ

このブログで前にお話しました「LGBT理解増進法案」が、審議をしていた部会で反対18名、賛成が10名であったにもかかわらず、自民党内で何故か了承され部会長一任というかたちで一応の決着がつきました。 しかし賛成より反対が上回ったということは、民主主義の原理から言えば否決されて然るべきなのですが、全員一致のルールに反して何故部会長一任というかたちになってしまったのでしょうか。 これはあからさまな自民党内の保守派に対してのガス抜きパーフォーマンスといえる出来レースでして、来るG7広島サミットに向けての、岸田首相のアメリカやその他の西側諸国に忖度した行動であると言わざるを得ません。 (つまり日本だけがLGBT法が無いので、他のメンバーにおもねったか、アメリカの言いなりになってのことでしょう) このトピックで少しお話をしました通り、日本はLGBTについてはどちらかといえば寛容な文化的背景がありました。 地元の戦国武将である織田信長の側近で、森蘭丸という信長の身の回りのお世話をしていた小姓がおり、彼の名は世間でもつとに有名ですが、身の回りのお世話というもののなかには夜のお相手も含まれており、信長もまた彼のことを非常に寵愛していました。 このような主従関係は特別この二人に限った事でもなく、当時は主君と小姓の間ではよくあることでしたし、この逆パターンは大奥などではよくみられましたので、日本という国は性についてはある程度の寛容性を秘めた社会だったということが出来ると思います。 それに対してキリスト教徒である白人の国家は、LGBTには非常に不寛容な社会でした。 というのは聖書には同性愛を禁止する記述があり、それはつまり当時の時代の社会や文化的な背景が多分に影響していたのではないかと思われます。 聖書が書かれた時代背景を鑑みるに、古代中東や地中海沿岸地域の文化や社会が多分に関係しているのは至極必然なことで、当時の人々の価値観では社会的通念として男女間の結婚というものがあくまでも一般的であり、LGBTのようなかたちでの恋愛は当然の事ながら社会的にも忌避されていたために、聖書においても同性愛というものに対しては否定的な記述として反映されたのでしょう。 また聖書では、絶対神であるヤハウェは土からアダムを創り、アダムのあばら骨からイブ(エバ)という女性を創ります。 それが人類の根源となり、男性と

LGBTについて考える Ⅱ メリークリスマスはもう使えない!?

アメリカを代表するビールのメーカーといえば、何方でもすぐにバドワイザーというブランドを思い浮かべると思います。 そのブランドを展開するアンハイザー・ブッシュ社が自社の主力商品であるバド・ライトの広告宣伝のために、ディラン・マルベイニーなる人物を四月からキャンペーンモデルとして起用することを発表しました。 そのディラン・マルベイニーという人は、極左のトランスジェンダー啓蒙運動家として知られる元ミュージカル俳優で、人気インフルエンサーとして活躍しているトランスジェンダーの人物です。 実際に四月から彼女(元男性)がバド・ライトの広告塔として世間に登場すると、アメリカの一般の消費者、特に保守層が一斉に反発し、週を追う毎にバド・ライトの売上が減少していき、一ヶ月で何と26%もの売上減となってしまいました。 世間の不買運動の嵐は相当だった様で、あちこちの小売店でバド・ライトのケースが売れ残ってうず高く積まれた様子をSNSなどに投稿する人達が続出し、このトランスジェンダーとのコラボレーション事業を管理し推し進めていたバドライトのマーケティング担当副社長であったアリッサ・ハイナーシェードは、一時解雇されたのではないかという噂が飛び交っていました。 実際にはこれはまだ正確な話ではなく、休職しているという話も出ていますけれども、彼女の経営判断の誤りによって多大な損害を会社や株主に与えたのですから、おそらく近い将来には彼女はクビになるかもしくは役職を左遷させられるのではないでしょうか。 このような極端な社会の反発が意味するところは、決して性的マイノリティーに対する差別的な意味合いからではなく、アメリカ社会の行き過ぎたポリコレ(例えるなら一時期居たマスク警察のような)の押し付けに対する不満が如何に一般の人達に溜まっていたかということの現れなのでしょう。 こういった事例は他にもあり、ディズニーのカトゥーンで非常に人気のあった「リトル・マーメイド」の実写版の配役に黒人の女性が充てられると分かると、あまりにも行き過ぎた配役の過剰な行為ではないかともの凄い反発を食らっています。 ちなみにオリジナルの主役であるアリエルは赤毛の白人女性ですので、この場合は明らかにポリコレに対する露骨な配慮の配役であったと言わざるを得ません。 そもそもアメリカという国は先の大統領選でも露見したように、GAFAに代表され

LGBTについて考える Ⅰ 過度なポリコレによる社会的軋轢

最近のポリコレには本当に驚くような事例が、特にアメリカやヨーロッパ諸国等で見受けられます。 ポリコレ、即ちポリティカル・コレクトネスとは、社会において特定の少数派の人々に対して不利益を与えたり不快な思いをさせないように配慮された政策等を表す言葉の総称とされていますが、近年特にLGBT(性的マイノリティー)に対する差別や権利に配慮するあまり、特にアメリカ等ではとんでもない事例が起こっています。 性的マイノリティーとは、簡単に言うと身体の性と心の性が一致しない人達のことです。 これは別に今に始まったことでもなく、自分が大学生だった頃の数十年前にもバイトをしていた新宿の深夜営業のスーパーで、自分よりはるかに背の高いスカートを履いた明らかにそれとわかる人達をお客として結構見ていましたので、何時の時代や洋の東西にかかわらずそういった性的不一致のマイノリティーの人々は何処でも居たのですね。 この日本という国の歴史をみても、侍の文化として男色というものが大っぴらに有ったのは周知の事実であり史実なのです。 それがここ一、二年のうちにある意図を以て過剰にマイノリティーに対する配慮が行き過ぎた結果、社会的な軋轢があちこちで生じ始めています。 男女間のことについて言えば、ざっと上げると更衣室の問題やトイレ、サウナや風呂、スポーツの競技などでトラブルが多発しています。 これに対してある女性のインフルエンサーがツイッターでトイレでの懸念を吐露したところ、マイノリティーに対して配慮が足りないと猛烈なバッシングにあい、彼女は結局謝罪に追い込まれることになってしまいましたが、このブログをご覧の皆さんは果たしてどう思われるでしょうか? 確かに性的なマイノリティーの人達は、世間の偏見や差別的な奇異の目で見られたり、肩身の狭い思いをされてきたことについては、容易に想像がつきますし実際にそうであったとも思います。 これは大変残念なことですが、自分の価値観を押し付けて人を差別する人達というのは、何時の時代でも常に一定数居るからです。 しかし、LGBTの多くのトラブルについて考えた場合、本当に配慮が必要なのは女性の側の立場なのではないでしょうか。 確かに心が女性であると思っている人が、女子トイレを使ったり、女性の更衣室を使いたいと思うのは理解出来なくもありませんが、もしも筋骨隆々などう見ても男にしか見えない人

一宮 最強モーニング ひなのや

イメージ
今回は夜勤明けで何とか時間も間に合いましたので、朝食、昼食を兼ねて一宮市の浅井町というところにある「ひなのや」さんに行ってきました。 このお店は、実は自分の隠れ家的なお店でして開店した当初から通っており、本当はあまり紹介したくない気持ちもあったのですが、そういう狭い了見は捨てて喜びはやはり皆で分かち合わねばなりませんので今回ご紹介させて頂きます。 ここはもともとは地元にある企業の社長の豪邸だった所で、取り壊すかという話があったものを、ある社会福祉法人がそれならということでその物件を譲り受け、別棟で弁当の作業所と就労支援の場として喫茶店を始めたというのが始まりのお店なのです。 店内の様子、とても広々としています。 個室も有ります。 本日自分が頼んだモーニング、ごぼうと三つ葉チーズセット、これでアメリカン珈琲代金のみの470円! (人参シリシリ、ヨーグルト、ゆで卵、ミニ蕎麦付) 他にも五種類あり。 プラス料金のセットもあります。 プラスしても安い、美味い、無添加! このお店の特筆すべき点は材料にとてもこだわりがあり、変な添加物を使っていないことですが、自分は舌がそういうものに慣れていますのでとても良い食材を使っていると分かります。 そしてもう一つには、ドリンクに玄米珈琲と黒大豆珈琲があることで、これは他のお店ではなかなかお目にかかることは出来ません。 店内から見た日本庭園、ちゃんと庭師を入れて手入れされた素晴らしい佇まいです。 イチオシは何と言ってもやはりモーニングでコスパは最高です、しかし以前に食べたランチの蕎麦もとても美味しかったです。 土日はお休みとなっていますが、念の為SNSなどで必ずご確認ください。