LGBTについて考える Ⅰ 過度なポリコレによる社会的軋轢

最近のポリコレには本当に驚くような事例が、特にアメリカやヨーロッパ諸国等で見受けられます。


ポリコレ、即ちポリティカル・コレクトネスとは、社会において特定の少数派の人々に対して不利益を与えたり不快な思いをさせないように配慮された政策等を表す言葉の総称とされていますが、近年特にLGBT(性的マイノリティー)に対する差別や権利に配慮するあまり、特にアメリカ等ではとんでもない事例が起こっています。


性的マイノリティーとは、簡単に言うと身体の性と心の性が一致しない人達のことです。


これは別に今に始まったことでもなく、自分が大学生だった頃の数十年前にもバイトをしていた新宿の深夜営業のスーパーで、自分よりはるかに背の高いスカートを履いた明らかにそれとわかる人達をお客として結構見ていましたので、何時の時代や洋の東西にかかわらずそういった性的不一致のマイノリティーの人々は何処でも居たのですね。


この日本という国の歴史をみても、侍の文化として男色というものが大っぴらに有ったのは周知の事実であり史実なのです。


それがここ一、二年のうちにある意図を以て過剰にマイノリティーに対する配慮が行き過ぎた結果、社会的な軋轢があちこちで生じ始めています。


男女間のことについて言えば、ざっと上げると更衣室の問題やトイレ、サウナや風呂、スポーツの競技などでトラブルが多発しています。


これに対してある女性のインフルエンサーがツイッターでトイレでの懸念を吐露したところ、マイノリティーに対して配慮が足りないと猛烈なバッシングにあい、彼女は結局謝罪に追い込まれることになってしまいましたが、このブログをご覧の皆さんは果たしてどう思われるでしょうか?


確かに性的なマイノリティーの人達は、世間の偏見や差別的な奇異の目で見られたり、肩身の狭い思いをされてきたことについては、容易に想像がつきますし実際にそうであったとも思います。


これは大変残念なことですが、自分の価値観を押し付けて人を差別する人達というのは、何時の時代でも常に一定数居るからです。


しかし、LGBTの多くのトラブルについて考えた場合、本当に配慮が必要なのは女性の側の立場なのではないでしょうか。


確かに心が女性であると思っている人が、女子トイレを使ったり、女性の更衣室を使いたいと思うのは理解出来なくもありませんが、もしも筋骨隆々などう見ても男にしか見えない人が突然女子トイレや女性の更衣室に入ってきたりしたら、その場にいた女性達は一体どう思うでしょうか?


自分が女性であったとしてその立場に出くわしていたら、不快というよりももはや恐怖心しか湧いてこないでしょう。


というのは、世間でいうところの性的な犯罪の多くは男性が女性に対して行なったものが殆どですし、もしも万が一性的に歪んだ性癖のある悪意を持った男が、自分は性的マイノリティーであると詐称してトイレや更衣室、サウナなどに入ってきたらいったいどうなるでしょうか。


世間の女性達にある懸念の声は、自分にはどう考えても至極当然な話だとしか思えませんし、女子更衣室で心が女性であると称する男がそこに居合わせた女性に対して暴行したという話も実際に起きています。


スポーツについてもそうですが、ボクシングや柔道などのように、細かい体重差に分けないといけないようなほんの少しの体格差でもスポーツというものは差が出てしまうものなのです。


しかし圧倒的に肉体的に性差のある男女が、心が女性であるからと言って同じ競技で競い合う等ということはどう考えてもおかしいに決まっていますが、これも実際に白人国家では女性アスリートに男性が混ざって競技をし、勝ってしまったということが起こっているのです。


昨今のこういった風潮は、自分にはあきらかに行き過ぎているとしか思えませんが、我が国の政府はLGBTやポリコレに対して、一見最もな美辞麗句を並べてアメリカの言われるがままの事を行おうとしています。



この問題は続きます。



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