名古屋市北区 カトリック城北橋教会
名古屋市北区にあるカトリック城北橋教会は、春の季節の桜の花がつとに有名で、こちらの教会へは実に数年ぶりにお邪魔致しました。 礼拝堂の祭壇 聖母マリア様、慈悲深いお顔です。 主イエス・キリスト像 名古屋市内には幾つものカソリック教会が有りますが、名古屋教区(中部五県)の司教座聖堂として中心的役割を果たしている布池教会と共に、この城北橋教会も自分が一番好きな教会のひとつです。 この日本には、社会的に組み込まれた檀家制度というものがあり、多くの方はお葬式や法事、お墓参り等で生活の中に仏教というものが深くかかわっていると思うのですが、昨今の風潮では華美なお葬式でお金を掛けずに質素な家族葬をしたり、地方出身の人が実家から遠く離れてお墓参りへ行けなくなり、墓仕舞いをするといった事が段々と増えてきている傾向にあります。 日本人はよく無神教であると言われていますけれども、これはあくまでも一神教ではないという話であって、この日本にはやおよろず(八百万)の神が御座すと言われている通り、昔から日本人としての民族魂のなかにご先祖様や太陽神としての天照大御神、自然のなかの霊的な神々、多くの神社や仏閣等々あらゆる存在を我々は魂の支えとして受け入れてきました。 そして自分の様に霊的な摂理を知った上で、自然のなかに神性を感じ、カソリックというキリスト教にも非常にシンパシーを抱いている者も居るわけです。 このような民族は世界的に見ても非常に稀有な存在で、これからますます我々日本人として生まれた魂は宗教という分離した垣根が取り払われていく様に感じます。 自分は洗礼を受けた者ではありませんが、何故キリスト教を魂の拠り所としているのかと言うと、それは愛の宗教だからです。 聖母マリアや主イエスは愛の具現者であり、その存在は愛そのものです。 今回も祭壇の前で祈りを捧げていると彼等の愛がひしひしと感じられ、自分にはまだまだ愛が足りないのだ、微笑みを以て愛を為せる人になれるようどうか見守っていて下さいと強く念じて来た次第で