空き家バンク 過疎地をまわって思ったこと 五 

皆さん、どうもお久しぶりです、ご無沙汰しておりました。


既に以前のブログで皆さんにお話をしました通り、田舎暮らしの実現に向けての準備が突然にどっと生活の中に押し寄せてきましたので、前のようなペースでのブログの更新が能わなくなってしまいました。


ここ何日もの間ブログの更新が出来ていなかったのも、あまりにもやらなければいけない雑事が有ったせいで、今日も実は半日程時間を割いて現地での片付けや打ち合わせをしてきました。


今の状況を鑑みるに当分のあいだは同じ様な生活のパターンになると思われますので、少し落ち着くまでブログの更新も全くランダムな投稿になるであろう事をどうかご容赦下さい。




過疎地を一年以上にわたって彼方此方まわってつくづく思ったことは、自然環境は当然のことながら、一番違うのは人との関わり方の著しい差異にあるということでした。


今自分が住んでいるのは愛知県の一宮というところで、北へ30分も走れば岐阜県の県庁所在地で、かつては織田信長の所領であった岐阜市へ行けますし、南へ40分走ると日本の偉大なる田舎と言われている名古屋市があります。


日本の地図をご覧になるとわかりますが、この濃尾平野というところは日本列島のほぼ真ん中に位置しており、東名と名神の堺であるとともに東西南北何処へ行くにも極めて便利な交通の要衝であり、その中心にあるのが一宮市という町なのです。


人口も平成の合併により38万人余りになりましてそこそこの規模の地方都市でありながら、この市のキャッチフレーズは「とかいなか 一宮」というもので、確かに中心市街地が有りながらも自分の家の周りには住宅と共に田んぼや畑が結構あちこちに点在しております。


ですから過疎の地域と一見似たような雰囲気はあるものの、例えば今度移住する過疎の地域で一人の人と知り合ったならばこちらでは大雑把に人口から割合を考えると五十人位の人と出会ったというような感じになります。


もっとわかりやすいお話をしますと、自分は大学時代の四年間東京に居りましたけれども、過疎地で一人の人と出会うということは割合的に言えば東京では千人、二千人の人と出会ったという事になります。


しかしながら実際には東京で暮らしていたアパートでは、同じ建物に何年ものあいだ住みながらも只の一度も顔も会わすことの無かった人が結構いましたし、ご近所さんも行き付けのお店の店主以外には会話を交わしたり親しく知り会いになるということもありませんでした。


こういった人との関わり方の差異が、都会と移住先での暮らし向きのちょっとややこしい価値観の相違になるのです。


住んでいるところが都会になればなるほど人との関係性は薄れていきますし、逆に過疎地へ行く程その個々の関係は濃密になっていきます。



この話は続きます、次回はいよいよエピローグです。






































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