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日本の食について考える

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このブログの読者の方は既にご存じの方もいらっしゃるとは思いますが、連れあいが岐阜県の白川町というところに移住致しましたので(飛騨の白川郷ではありません、よく間違えられますので)、名古屋で仕事がある折には食事は全て自分で作って食べています。 今日は食についての考察ですので、今夜のメニューをご紹介します。 自分は本当のことを言うとパンやパスタ等のほうが馴染みがあるのですけれども、小麦粉に含まれているグルテンが日本人の体質にあまり良くないということは以前から知っておりましたので、普段はなるべくご飯を意識して食べる様にはしています。 (うちの家はちょっと変わっていまして、母親は結構昔の人なのに味噌汁というものを作ったことが殆ど無く、朝はだいたいサンドイッチとかが多かった記憶があります) しかしながら自分が過去世でインド人だったことが災いしてか、何時も備蓄してある玄米ご飯ではなく、インド料理屋で買って来た長粒米をどうしても定期的に食べたくなってしまうのですよ(笑)。 と、言うことで今日のご飯はジャスミンライス、それからお隣は簡単に出来る椎茸の生姜焼き、スープはイタリアントマトとバジルのソースにニンニクペーストを入れて、ネギとセロリ、椎茸スライスを具材にしてコンソメで味付けをしました。 本日のメインディッシュはゴボウと竹の子、鶏肉の煮物を作りました。 和食は本当に苦手で、どうやって味付けをしてよいのかよく分かりませんでしたので、醤油と酒、味醂と砂糖を適当に入れて水分が無くなる迄煮付けましたが、自分で言うのも何ですがビックリする位完璧な出来ばえに仕上がり、エビスビールのツマミにピッタリでご飯も美味しく頂けました。 ちなみに今日の料理は、味付けをした調味料を含めて添加物は全く入っておりません。 家では連れあいのお陰で、工場生産された添加物まみれの調味料類は一切置いてありませんし、使用した食材も殆どが天然のものばかりです。 読者の方で特に若い方は、そういった事についてあまり気にせずに食生活を送ってみえるのかもしれません、しかし自分は自身の身を以て経験しています。 若いうちは何を食べても身体自体が元気ですし、免疫力もしっかりと有りますので、殆どの方にとっては何の不具合も無いことでしょう。 しかし、自分も若い頃から目茶苦茶な食生活をして来ましたけれども、四十歳を過

死の直前、認知症患者の記憶が明晰になる「終末期明晰」は、何故現代医学では解明出来ないのかを霊的に考察する

今回は少し堅いお話になりますが、タイトルの件について霊的な立場からお話をさせて頂きます。 現代日本の高齢化社会において、老年層の認知症問題というのは、周りの家族の方を含めてとても重大な社会問題となっております。 認知症を西洋医学的に定義し類型化すると、脳の病気や障害によって認知機能が低下し、生活に支障をきたす状態を指し、アルツハイマー型・レビー小体型・脳血管性・前頭側頭型の4種類があり、それぞれの種類によって症状も異なってきます。 認知症の中核症状には、記憶障害、見当識障害、実行機能障害、理解、判断力の低下、失行、失認、失語等の脳機能障害が見られ、その進行状況によっては御本人の精神状態に多大な悪影響を及ぼします。 認知症は現代医学に於いては、軽度の場合に対策を講じる事で進行を抑えたり、回復の見込みが若干上がる事はあるものの、残念ながらが認知症に対する根本的な治療法や予防法は見つかっておりません。 まわりのご家族にとっても、御自身の親が人として壊れていく様を間近で見ながら、コミュニケーションが取れなくなっていくという事は本当に辛いものがあるでしょう。 しかし認知症の方がその終末期を迎えると、突然に過去の意識や記憶の状態に戻る「終末期明晰」ということが起こる場合があります。 ただしその様な事が起こる認知症患者の八割以上が一週間以内に亡くなるというデータも有り、何故そのようなことが起こるのかという科学的な検証は現代医学では未だになされておりません。 これはですね、実はとても真っ当な話で、脳機能などという三次元的なカテゴリーのなかでは説明出来る筈もないのですね。 「終末期明晰」が起こることは、霊的に考えればごく当たり前の事なのです。 殆どの人間は、肉体という三次元的な制約の中で生きておりますので、脳機能の物理的作用によって認知症の症状が出ている訳です。 認知症の人がその死期が近づいてくると、肉体とその人の本質である魂を繋いでいたシルバーコードが伸びてきて段々と切れそうになるのですよ。 例えば障害者の方は、肉体や染色体遺伝子の作用によって身体や知的等の物理的制約を受けている訳ですけれども、一度肉体から離れる(亡くなる)とその様な三次元的な軛(くびき)から開放されて、魂本来の正常な状態に戻ることになるのです。 重篤な認知症の人が突然発症前の元の状態に戻るということは、その人の死

「超絶蚤の市」 追記

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前回のトピックで、蚤の市で購入した商品についてもっとよく見たいという読者の方の心の声が聞こえてきましたので(笑)、そういった方のご要望にお答えして今回個別に載させて頂きます。 ローズレリーフグラスボウル、これはよくよく考えたら自分が以前にやっていた会社で販売したことが有りました。 結構な人気で良く売れた商品でした。 ですからこれはアンティークという訳ではないですね。 昔のシール、これを皮トランクに貼るとこうなりました。 陶器の箸置き、手描きの手造り品ですので少しイビツなかたちが風情があります。 ドイツ製ビアグラスと蓋付きビアジョッキー。 これで飲むと、気のせいかビールが格段に美味しくなりますね。 額も飾るとなかなかよい感じで、家の雰囲気にピッタリです。 近々フレームも手作りで作製しようと思っております。 曲げわっぱの漆塗り茶器入れ、お菓子とかを入れても良いですね。 前回は骨董の仕入れ値段が上がってしまったことについて触れましたが、自分が思うに為替が円安になってよかったことが一つだけあります。 それは何かと申しますと、お金の為だけに日本に働きに来ている人達が恐らくこれから減っていくだろうということです。 彼等は、当然ですが円建てで賃金を貰っていますので、円が安くなってしまうと非常に困るわけです。 これを簡単に説明しますと、例えば1ドルが100円の場合と150円の場合では、同じ給料を貰っていても母国へ送金すると3割以上給料が目減りしてしまう事になります。 ですからお金に執着しているような人達は、もしもこのまま円安が続けばもっと効率の良い日本以外の国へ出稼ぎに行くことになるでしょう。 昨今の日本では、外国人の空き巣や窃盗等の犯罪率の増加が問題となっておりまして、やはりそういった事に手を染めるのはお金の亡者の様な価値観の人達なのです。 もしも日本に来た海外の人が、日本の文化に興味があったり日本に対して敬意の気持ちを持ってくれているような人であれば、例え仕事の為に日本に来ていたとしても自分は大歓迎しますよ。 そういった彼等の多くがいつかはお国へ帰る日が来るでしょう

リバーポートパーク美濃加茂 「超絶蚤の市」

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昨日から今日にかけて、移住先の家の廃材の薪割りと片付け、それから畑の整地と草刈りをしてちょうど一段落しましたので、本日は念願の岐阜県美濃加茂市リバーポートパークで開催されていた「超絶蚤の市」に行ってきました。 今回はゴールデンウイークだったのでたまたま土曜日開催でしたが、基本は第一日曜日開催で寒い時期の冬場には開催を見送っている様です。 実は昨年の今頃もここへは一度お邪魔しており、今回はある物を探すために二度目の参加となった訳ですが、昨年と比べるとビックリする程出店者の数が増えており、あるお店の人にその理由を訊いてみたところ、テレビで紹介されてから出店者数と来場者が急に増えたのだという事を話してみえました。 今回は90店舗余りの出店で数店のフード関連、そしてパークのすぐお隣にはとてもオシャレなテラスがあるピザの有名店もあり、昼食や飲み物等の心配は全くありませんが、ゴールデンウイークの最中だったせいか駐車場が満杯で少し待たないといけない様な状態でした。 出店者は9割強プロと思しきお店でしたけれども、根気よく見廻ってお宝探しをしたところ、結構掘り出し物も何点か見つけることが出来ました(二時間以上掛かりましたが目的の品物もお値打ちに見つかりました)。 自分は見映っ張りな性格なのか、値切るということがどちらかといえば嫌いなのですが、こういったバザールの醍醐味は何点か買ったら値引き交渉をするというのも楽しみの一つでして、彼方此方で値段交渉の駆け引きをしている人達が居りました。 しかしお店の人にも仕入れ値や生活がある訳ですから、店主が困る様なあまりにもしつこい値切りは端で見ていて決して気持ちの良いものではありませんし、ここは日本なのでボッタクリのプライスタグはつけていませんので、程々でスマートに買い物を楽しみましょう。 さて、今回の戦利品をご紹介します。 真ん中から時計周りに、昔のシール二枚(皮のトランクに貼ろうと思って)、文字の並びからして戦後直ぐのものだと思われます。 手作りの箸置き五個セット(刻印入り)、ドイツ製ビアマグとドイツ製蓋付きビアジョッキー(今回のお目当て品です)、薔薇のグラスボウル、植物画の油絵、木製漆塗りの茶器入れ、籐巻きの傘(新品)の九点で、果たして合計幾らだったでしょうか? 答えは最後に👇 リバーポートパークは木曽川沿いの美濃加