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11月, 2023の投稿を表示しています

岐阜県各務ケ原市 市民公園 学びの森の黄葉

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自分が住んでいるところの直ぐお隣に岐阜県の各務ケ原市という街があり、そこのほぼ中心部にと学びの森とへいう二つの大きな公園が電車の線路を挟んで隣接して有ります。 その学びの森側のすぐ南には「冬ソナストリート」と名付けられたイチョウ並木の通りがあり、SNSでちょうど黄葉が見頃だという記事を読んで出掛けて行きました。 学びの森、ここは以前には岐阜大学の農学部があったところで、結構広い敷地が広がっている中に大きな木や竹林、池などが点在しています。 竹林が正面に見えますが、市民ボランティア団体によって綺麗に手入れをされ整備されています。 イチョウの大木が公園の中心部辺りに何本か並んで立っており、ちょうど色づき始めていました。 イチョウ並木の少し先には杉の木の並木もオレンジ色に色づいて、青い空に向かって天高くそびえていました。 モミジも綺麗に赤く染まっています。 並木のすぐ横には「遊び創造labo」という木造りの屋内遊園地のような市営の建物があり、休みの日には沢山の親子連れで賑わっていますが、今日は朝早かったので未だ開いておりませんでした。 市民の森側のイチョウ並木の風景。 市民の森には向かって右手に市の図書館があり、入口を入ったところで障がい者施設の団体がつくった無農薬野菜等を販売しています。(毎日かどうかは不明、要確認) そこでは天然由来の固形石鹸を安価で販売しており、何個か買わせて貰いました。 市民の森公園も結構な広さで、散歩をするにはもってこいですね。 ここの公園の素晴らしいのは犬の散歩が自由にできるという事で、沢山の方がワンちゃん達と一緒に散策を楽しんでいました。 これは皆さんがとてもモラルが良いということの証なのでしょう。 また、Xmasに向けてライトアップも始まります、夕方に掛けてみえれば昼間の黄葉と綺麗なイルミネーションのどちらも楽しむこ

苦節○○年 世界に羽ばたく日本のメタルバンド 最終回 前編

今回でこのトピックも終わりにしようとおもいましたが、あまりにも書かねばならない事が多すぎて急遽最終回を前編と後編に分けることにしました(笑)。 今回はお楽しみ曲がいっぱいありますよ。 「人間椅子」は三人組の極めてシンプルなバンド編成でありながら、曲を聴くととてもたった三人のバンドだとは思えないような重厚なサウンドで、それぞれのテクニックとキャラがしっかりと立ちつつもバランス良くまとまった実力を兼ね備えたバンドです。 そして彼等の音楽性も前回お話しました通り極めてユニークであり、日本はおろか世界でも唯一無二と言っても良い彼らにしか出せない音作りを追求してきましたが、そのアクのある個性が時代とマッチしなかった時期がデビューしてから暫く続いた時期も確かにありました。 彼等がデビューした頃は高度成長期の残り香が未だ続いていた時代で、独特な雰囲気や当時としては特異な曲調からキワモノバンドのような認識をされ、暫くインディーズでの活動を余儀なくされていました。 和嶋さんのLINEでのお返事通り、なかなか自分達の音楽が世間に受け入れられなかった時代が続いて、実際にバンド活動意外にバイトを余儀なくされていた時期が長らくあったということなのです。 しかし和嶋さんは本屋でのバイトをバンドの傍ら続けていたそうで、彼等の楽曲の多くの作詞を彼が手掛けているのですが、彼の書く詞が本当に独特で古典的な言い回しも多用されており、おそらく古今東西の書物をバイトの折に読み耽って素養を養っていたのでしょう、彼の造詣の深さが詞の行間からしっかりと滲み出ています。 本屋での長らくのバイトの経験やその時代の彼の生き様が、作曲や詞をつくるうえでの糧となっていたのでしょう。 また彼等の曲は総じて長く、多くの曲の途中から曲調がガラリと変わる曲も多くて、和島氏のギターソロが突然始まる辺りはイギリスの70年代のプログレロックを彷彿とさせるものがあり、昔のロックを聴いていた世代には懐かしくもあり堪らない魅力なのです。 ボーカルについては殆ど和島氏と鈴木氏が交互に受け持っていますけれども、ライブでは一曲だけアニキ(ドラムのサイトウノブ氏)が歌うのが近年の恒例となっている様です。 さて、ここで彼等の曲もご紹介しましょう。 と言っても彼等は今迄に三十三枚のアルバムを出しており、世に出された曲の数は数百曲にものぼりますので、独断と

苦節○○年 世界に羽ばたく日本のメタルバンド 特別編

前回のブログもLINEの「人間椅子」のサイトに投稿させて貰いましたが、その後和嶋氏御本人からその内容についてお返事を頂きました。 そのことについて、今回のブログの趣旨とは多少離れますが少しだけお話をさせて下さい。 和嶋さんは彼の音楽人生の中で時代のエネルギーと彼等の目指すバンドの音楽表現の方向性が合わなくて、受け入れられない時期が有ったということを正直に吐露されてみえました。 しかし、確かに彼の人生にとっては苦労したのかもしれない時期は有ったものの、決して音に対する妥協はせずに真面目に音楽と向き合ってきたということを話されていました。 和嶋さんのこのお話は、人生を生きるということは一体どういう事なのかとかということの霊的な意味での摂理を彼は良くご存知であり、彼の人生において実践し体現してこられたということの査証であると思うのです。 彼はまさに音楽を通して最も大切なものは何かということを体現されてきたのでしょう。 ここで話は少し逸れますけれども、SNS等で己の人生に絶望して自死を選ぶということを投稿している人達をたまに見掛けます。 しかしながら彼等に心から言いたいのは、人間は死んだらその苦痛から開放されて楽になると思ったら残念ながらそれは大きな間違いだということです。 この世で体現したことは、因果律の法則によって霊界に還った後、自分自身がその全ての行いに対して責務を追わねばなりません。 誰が裁くのでもありません、己自身が前世での己のした行いの全てに対して功罪を背負うことになるのです。 肉体というものは、実は人の本質である霊体がこの世で学ぶ為にまとった大切な借り物なのです。 彼等がもしも苦し紛れに死を選らんでしまったとしても、その苦しみからは決して逃れる事が出来なかったということを彼は死んだ瞬間に一瞬にして思い知る事になるでしょう。 彼等は今回の人生で、楽しいことや苦しい事などのあらゆることを体現するために今の人生を転生してきたのです。 それは彼等の魂の学びのためでもあります。 死んだら何もかもが消え去って苦しみから逃れられるという事は決してありませんから、どうかその自死を選ぶという判断を今までの人生を含めて今一度考え直してみて欲しいのです。 自死はこの世のすべてを司る霊的な摂理を冒涜し無にする行為であり、彼等が今回の人生を生きるために転生出来たことがどれだけ幸運であっ

苦節○○年 世界に羽ばたく日本のメタルバンド 最終回 後編

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今回の大須のエレクトリックレディランドでのライブはこの秋に発売された23枚目の新譜、「色即是空」の発売記念ツアーであり、新曲「さらば世界」のお披露目公演でもありました。(この曲もとてもノリの良い如何にもライブ受けする彼等らしいテーマ性のある曲ですので、是非聴いてみて下さい) 今回はベースの鈴木研ちゃんが腰の持病が悪化してしまい、長時間立つことが出来ないということでやむなく椅子に座ってのライブとなりました(文字通り人間椅子)が、後半に僧衣の裾の部分がはだけてしまい褌が途中から丸出しになってしまったので、それが気になってイマイチ曲に集中することが出来ませんでした(笑)。 演奏時間はおよそ二時間三十分程で、タップリと新曲だけでなく旧曲も沢山堪能出来、もちろん自分が人間椅子にハマる切っ掛けとなったあの名曲「無常のスキャット」もナマで聞くことが出来ました。 アンコールでは和嶋氏、ノブ氏とも和装とダボシャツからTシャツに着替え、鈴木氏も黒い僧衣を脱いで腰痛をおして椅子から立ちあがって演奏してくれました。 また、アンコール曲は都合四曲演奏され、何とサービス精神旺盛なハンドなのかと感激致しました。 今まで東西いろんなバンドのコンサートに行きましたけれども、演奏が終わったらサッサと帰るバンドもいたりしましたが(特に外タレに多い、外タレは出稼ぎの様にトットと仕事をして帰ろうというのが見え見えのグループと、ドップリ日本にハマって親日になるグループに分かれる様です)、10年前に岐阜市で見た山下達郎のコンサートと自分の中では双璧で、曲とMCを長時間たっぷり堪能出来ました。 今回は彼等がファンのことをとても大切にしているということがヒシヒシとこちらに伝わって来る本当に素晴らしいコンサートで、また彼等が名古屋に来ることがあれば是非とも行きたいと思いました。 曲間のMCトークがまたとても面白く、ベースの研ちゃんが粗大ごみで出ていた三味線を家に持ち帰ったところ突然体調が急変して悪くなってしまい、やむなく元の場所へ戻しに行ったら、その三味線は実はドラムのサイトウノブ氏の亡くなった身内の物だったという話もしてくれたのが自分的には高ポイントでしたが、和嶋さんはその口ぶりからどうやらそちらの世界の話については結構詳しい様でした。

里山の秋 紅葉の風景

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今年の秋も暖冬気味のあまり季節感のない気候が続いていましたが、白川町の山あいの里山も最近やっと紅葉が色づいてきました。 白川口から黒川への道すがらあまりにも幻想的な風景に出会い、思わず車を停めて写真を撮りました、実際はこれの十倍位の天使の階段の様な放射線状の強い光が目の前に広がっていました。 七宗町から白川へ向かう41号沿いの景色。 白川口にある東濃ひのきセンター。 黒川地区へ向かう迄の景色。 黒川地区ののどかな風景。 帰りの美しい夕焼け。 すっかり日も暮れて犬山城がライトアップされていました。 我々の認識では「雲」の存在はいつも空の上に見上げるものなのですが、山の方へ行くと時には中腹からさらに下の方へ雲がかかっていて、まるで今いる場所が雲と一体となり、自分が霧のなかに居るかのような錯覚を覚えることがあります。 その様な山の様子を見ていると、その雲の中には仙人が住んでいて、自分も自然と一つになってその中に溶け込んで居るような感じになります。 その景色は本当に幻想的で圧倒的であり、自分達は実は自然に生かされて今を生きているのだということをつくづく思い知らされるのです。 我々も自然の一部なのです。

苦節○○年 世界に羽ばたく日本のメタルバンド  後編

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「人間椅子」はギターの和嶋慎治氏、ベースの鈴木研一氏、ドラムは今までに何人かメンバーが変わっており今現在はサイトウノブ氏が務めるという三人組の極めてシンプルなバンド編成で構成されています。 この「人間椅子」というバンド名については、大正から昭和期にかけて活躍した怪奇小説作家としてつとに有名な江戸川乱歩の短編小説のタイトルから取ったものです。 名は体を表すという言葉の通り、和嶋氏、鈴木氏ともにイギリスでカルトな人気のあった「ブラック サバス」(彼等の代名詞となるような初期の大ヒット曲は「パラノイド」で自分も当時シングル盤を持っていました)の大ファンだったことから、グループの名前もおどろおどろしい雰囲気にしたかったのでしょう。 「人間椅子」が非常にユニークなのはそういったブラックサバスのような雰囲気に1970年代のプログレ的なハードロックが加わり、更に重要なのは両氏ともに青森県、弘前(ねぷた祭りで有名)の出身で、和嶋氏が三味線的なギター奏法を曲に取り入れたり、恐山に代表される様ないかにも青森の一種独特な風土を連想させる曲作りをしたりしていて、それが彼等の強烈な個性の一部となっているのです。 また、明治、大正、昭和初期の日本文学から着想を得た古典文藝ロックという独特のジャンルも彼等の持ち味で、最初にお話した和嶋氏の如何にも明治の文豪のようなステージでの和装の出で立ちや、鈴木氏の顔を白塗りしたまるで妖怪のような怪しい怪僧ぶり、ノブ氏のリーゼントにテキ屋を連想させるステージ衣装も如何にも日本のバンドっぽい雰囲気を醸し出しており、近年海外でバズった(数年前の曲「無常のスキャット」が何と1400万回再生!)のはそういった独特のステージでの雰囲気や日本的な曲調も大いに関係があるのではないかと思います。 大須のライブのステージでは和嶋氏がバンド結成35周年であると話していましたので、彼等が「いか天」に出演したのは彼等がちょうどバンドを結成して一、二年後のあたりということになります。 しかしご多分に漏れずプロで食っていくのが難しい他の多くのバンドと同様、彼らも大学の卒業を控えて就職の時期となりました。 鈴木氏は上智大学の外語学部ロシア語学科出身で、既に某大手上場企業に就職が決まっていたのですが、たまたま行ったレコード店でブルースのレコードを探しに来ていた和嶋氏と