苦節○○年 世界に羽ばたく日本のメタルバンド 特別編

前回のブログもLINEの「人間椅子」のサイトに投稿させて貰いましたが、その後和嶋氏御本人からその内容についてお返事を頂きました。


そのことについて、今回のブログの趣旨とは多少離れますが少しだけお話をさせて下さい。


和嶋さんは彼の音楽人生の中で時代のエネルギーと彼等の目指すバンドの音楽表現の方向性が合わなくて、受け入れられない時期が有ったということを正直に吐露されてみえました。


しかし、確かに彼の人生にとっては苦労したのかもしれない時期は有ったものの、決して音に対する妥協はせずに真面目に音楽と向き合ってきたということを話されていました。


和嶋さんのこのお話は、人生を生きるということは一体どういう事なのかとかということの霊的な意味での摂理を彼は良くご存知であり、彼の人生において実践し体現してこられたということの査証であると思うのです。


彼はまさに音楽を通して最も大切なものは何かということを体現されてきたのでしょう。


ここで話は少し逸れますけれども、SNS等で己の人生に絶望して自死を選ぶということを投稿している人達をたまに見掛けます。


しかしながら彼等に心から言いたいのは、人間は死んだらその苦痛から開放されて楽になると思ったら残念ながらそれは大きな間違いだということです。


この世で体現したことは、因果律の法則によって霊界に還った後、自分自身がその全ての行いに対して責務を追わねばなりません。


誰が裁くのでもありません、己自身が前世での己のした行いの全てに対して功罪を背負うことになるのです。


肉体というものは、実は人の本質である霊体がこの世で学ぶ為にまとった大切な借り物なのです。


彼等がもしも苦し紛れに死を選らんでしまったとしても、その苦しみからは決して逃れる事が出来なかったということを彼は死んだ瞬間に一瞬にして思い知る事になるでしょう。


彼等は今回の人生で、楽しいことや苦しい事などのあらゆることを体現するために今の人生を転生してきたのです。


それは彼等の魂の学びのためでもあります。


死んだら何もかもが消え去って苦しみから逃れられるという事は決してありませんから、どうかその自死を選ぶという判断を今までの人生を含めて今一度考え直してみて欲しいのです。


自死はこの世のすべてを司る霊的な摂理を冒涜し無にする行為であり、彼等が今回の人生を生きるために転生出来たことがどれだけ幸運であったのかということを、私は知っています。


今の苦しみをも体現するために彼はうまれてきたのです。

自死を選ぼうという人達はどうか今一度、今迄の人生を少し冷静になって内省してみて下さることを切に願っています。


そういう方達の苦しい胸の内は分かりますが、その苦しみをも体現し乗り越えてこそ魂の昇華があるのですから。


(上記の文はSNSで自死を選ぶということを言ってみえた方に対して返答した自分のメッセージです。)


和島さんがこういった霊的な摂理についてご存知なのかどうかは自分には分かりかねますけれども、少なくとも彼はその様な道理に沿った生き方を実践されてみえたということだけは言えると思います。


自分は彼とは生まれた年代も違いますし、青森と愛知で生まれた場所も遠く離れています。


しかしもしも身近な存在であったならばきっと良き友人となっていたことでしょう。


音楽は文字通り音を楽しむと書きますけれども、彼がたとえどんな境遇のときにも真摯に音楽と向き合い、妥協せずにその才能を表現してきたことが、多くの人達を楽しませ彼等の心の癒しになっているという結果に繋がっいるのです。


かくいう自分も名古屋までの仕事の為に出勤する往復の2時間、月にして30時間以上を車内で彼等の音楽を楽しませて貰って居ります。


それは自分にとっては本当にリラックス出来る至福のひとときなのです。



今回はイレギュラーでしたが、次回はいよいよこのトピックの最終回です、どうぞお楽しみに。



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