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医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 日本の医療制度について考える 一

日本の医療問題については薬の占める役割に密接な関係があり、特に今回のワ〇〇ンはそれに絡む利権を共有するものたちに対して、某自〇党政府は総花的に百兆円近くの予算をばらまいた訳ですが、これらの問題を個別に一つずつ検証していくとおそらく膨大なブログの量になってしまいますので、今回はなるべく関連付けながら簡潔に語っていこうと思っています。 この話については別の機会にも定期的に取り上げていくつもりでおります。 日本の医療制度と言えば、何と言ってもいの一番に改革しなければならないのは国民皆保険制度です。 皆さんご存知の通り、これからの高齢化社会に向けて医療費はますます増大していくのが規定路線のようになっておりますので、年金と共にもはや医療費についてもパンク寸前という状態であり、特に若い人達の世代にのし掛かる将来的な負担のことをを考えると本当に心配になってきます。 何故ここまで医療費が増大していったのかということについては、人口ピラミッドの推移も確かに相関性は有りますが、やはり日本の医療制度のシステムが機能しなくなってきているということにも問題の根本原因があると思うのです。 自分が知っているある病院の話ですが、そこの病院にかかると大量の薬を処方されるという話で、自分も実際に一度受診したことがあり、世間の噂通り大きな袋に二つ分の大量の薬と検査キットを渡されてその量の多さに驚いた経験があります。 そのキットを渡された時には、これは少し大袈裟なのではないかと一瞬思いましたが、検査の結果については案の定、異常は無いというものでした。 そしてその病院は地元の世間の人達の話では、どちらかと言えば手術を勧めると言われています。 確かに病院内の様子をよく観察してみると物凄い数のスタッフが居り、そこでは沢山の医師や看護師をはじめとする医療従事者、事務方、雑務のスタッフ、薬剤師、その病院に駐車場として土地を貸している地主の人達等々、その病院で就労したり係わっている大勢の人達の収入や生活の事を考えると、病院経営というものも傍からみて本当に大変なのだろうなぁとつくづく感じておりました。 そしてその病院の理事長とは、実は自分は同級生で青春の多感な時期を彼と共有しており、その頃の懐かしくも楽しい思い出は本当に沢山ありますけれども、学生時代以降、人生での彼との接点は殆どといって良いほど有りませんでした。 しか

医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 酒と煙草について考える その七

酒については、自分の様に生まれつき殆ど体質的に受けつけなかった人間もいれば、高校時代の友人にどれだけビールを飲んでも全く酔わないという猛者も居ましたし、本当にこれ程個人差の激しいものはありません。 彼には、どれだけ酒を飲んだところで全く酔わないから金が掛かってしょうがない、お前はすぐに酔っぱらうから本当に羨ましいといつも口癖のように言われていました。 そういえば高校時代の思い出と言えば、学校帰りに中華料理屋へ寄って食い物とビールをバンバン頼んでも誰にも何も言われることは有りませんでしたから、自分の若い頃はある意味本当におおらかな時代だったのですよね。 まあ学生にビールを出す中華料理屋の親父も親父ですが、昔は何事も緩いというかけっこうそういう雰囲気でした。 今なら完璧に断られるか、周りの客にチクられ(通報され)て警察が飛んでくるか、誰かにSNS に勝手に投稿されて大騒ぎになり、特定されて停学か下手したら退学一直線ものでしょう。 それから昔は飲酒運転の基準が今よりはるかに緩くて、ある時隣町でお客さんと炉端焼で深酒をしてしまい、夜中の帰り道の運転中に眠入ってしまい、電柱に車ごと激突して廃車にしてしまったたことがあります。 幸いにして当たったのが左角だったのでよかったものの、乗っていたのが軽の正面がないワンボックスでしたから、もう30cm右へずれていたらおそらくは重症を負っていたか下手したら死んでいたかもしれませんね。 自分は酒が弱かったことについては、心底幸いだったと酒の飲めなかった父親に感謝しておりますが、酒は今でもやめることなく飲み続けています。 それは何故かと言えば、たとえ酒が身体に良くはないと言われても、仕事終わりで家に帰った折に夕飯と一緒に晩酌をすると身体も緩んでいくのがわかるし、気分がスーッとリラックスしてくるのですよね。 ただし少しでも深酒をした時はてき面で、首筋の辺りが重くて痛くなって来て、そんなときは酒はやっぱり身体に良くはないのだなぁと感じます。 そこで自分が毎日健康的に?酒を飲み続けるために決めているルールがいくつかあるのでご紹介します。 必ず一週間に一度以上の休肝日をもうける 体調の悪いとき(病気等)にはその状態が治る迄、絶対に酒は飲まない 良い酒、楽しい酒を心掛ける イライラしたときに酒を飲むとどうしても深酒になり、精神、肉体共に非常にストレスに

医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 酒と煙草について考える その六

煙草を吸っている人が一日に何本吸っているか、そしてその吸っている期間がどれだけかを掛け合わせた数値が高ければ高いほど、本人の身体に与えるリスクは高くなりますし、麻薬のような依存性や習慣性も数値に比例して高まっていきます。 世間ではよく、自分のお爺ちゃんはヘビースモーカーだったけど九十歳迄生きたから煙草を吸っても大丈夫だという様なことを言ってみえる方がおりますけれども、あれはよくよく考えればわかる話で、そういったものはあくまでも個人の身体の資質の差異の話であって、人と比較対象してどうこうというものでは無いのですよね。 極端な事を言えば、たとえヘビースモーカーでも九十歳迄人生を全うした人も居れば、全く煙草を吸わないにも拘わらず四十代で肺癌を患い死んでしまう方もなかには居るわけです。 自分の場合で言うと、ヘビースモーカーとはどういう者なのかということを四十年の間自身の身を以てしっかりと体現してきた訳です。 吸い始めた最初の頃はまだ吸う本数も少なかったので、後半の一日五十本との間を取ると平均して三十五本だとして、掛ける365日掛ける四十年とすると、その数値は511,000本というとてつもない数字になります。 そして自分が煙草を吸い始めた頃の煙草の値段は確かセブンスターが百円で、やめた頃はいったい幾らだったのか調べたところ三百円の時にどうやら止めていますので、値上げの変遷から逆算して後半の方が沢山吸っていたことを考慮すると、おそらくは一本十二円位になり、掛ける事の511,000本で何と⁉️ その金額は六百十三万円になります。 もしもこの煙草代を当時の金利で福利で毎月定期積み立てをしていたとしたら、数千万というとてつもない金額になっていたでしょう。 いや、五十年前からのことですから、当時のバブル前の高かった金利を考えると福利計算をしたらひょっとしたら億に届いていたかもしれません(笑)、面倒臭いのでいちいち計算はしませんけれどもね。 まさに字の如く煙となって消えた訳です、しかも神さんからお借りした大切な身体を痛めて。 前回のブログでお話しした通り、自分は世間で言うところの不思議な作用によって、幸いにもある日突然、苦もなく煙草をやめることが出来ました。 もしもこのブログをご覧の煙草を吸ってみえる方がおられるのであれば、やはり煙草は止められるのであれば出来ることなら止めた方が良いと思

医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 酒と煙草について考える その五

今ではれっきとした病院で禁煙パッチというニコチンを塗り込んだシールを身体に張り付け、皮膚からニコチンを吸収することにより禁煙の禁断症状を和らげるという医療行為が確立されています。 それはシールの大きなものから段々と小さいものへ張り替えていって、最終的に禁煙を成功させるという方法で、いったいその医療行為がどれ程の禁煙成功率なのかは自分には分かりませんが、少なくとも自分が繰り返し禁煙に失敗していた頃にはそのような治療方法は無かったのではないかと思います。 話は変わりますが、十年以上前のある時期、父親が所有している家の内外装等の修理を親から頼まれて、自分が仕事に行く前の朝の数時間をその手伝いに充てているこがありました。 今ではハッキリとは覚えていませんがその作業は結構長く掛かって、一年位はいろいろと修理が続いたでしょうか? そんな頃には自分も禁煙をすっかり諦めていて、毎日当たり前のように二箱吸っていたのは確実で、三箱目も半分残すか殆ど吸ってしまうかという日々が続いていました。   その日もいつも通り午前中の早い時間に父親の家へ行き、黙々と壁の修理作業に取り掛かっていました。 作業をしている最中というのは怪我をしないように黙々とその行為に集中しているので、殆ど他事を考えるというようなことは無いのですが、その日は作業をしている最中に突然、 これ以上煙草を吸っていると身体がマズイことになる、一刻も早く煙草は止めないといけない という想いが何故だか急に心のなかに湧いてきて、自分でも何が何だか訳が分からず、そのまま作業を続けていました。 先程もお話しした通り禁煙などとっくに諦めて、禁煙という言葉さえ頭の片隅にも無かったからこそ、そんな想いが突然湧いてきた事に戸惑ったのでした。 そしてその日もいつも通り決まった時間に作業を済ませて、自分のお店へと戻りました。 店の前まで来てシャッターをがらがらと開けて中へ入ると、テーブルの上に昨日吸っていた煙草の残りが十本程そのまま置いてありました。 おもむろにその箱に手を伸ばし、一本だけ取り出してゆっくりと吸った後、残りの煙草は握り潰して吸い殻の一杯詰まった灰皿と一緒にゴミ箱に捨ててしまいました。 これが自分の人生で吸った最後の煙草になりました。 そして不思議なことにあれだけ何度も繰り返しながら失敗し続けた、まるでのたうち回るような激しい禁断症状も

医療と薬(ワ○○ン)身体の相関関係 酒と煙草について考える その四

アメリカの国立薬物乱用研究所という機関が出した、酒や煙草、ドラッグの害についての統計を見ると、使用量の増えやすさについては、ヘロイン、煙草、酒、コカインの順となっており、常習性の依存度については煙草、ヘロイン、コカイン、酒の順になっています。 また、オランダ国立環境研究所による同じような統計によると依存度はヘロイン、煙草、覚醒剤、コカイン、酒の順で、害の強さはヘロイン、酒、覚醒剤、コカイン、煙草の順となっています。 他にも世界各国で、酒や煙草、ドラッグ等の依存性の強さや人体に与える害についての様々な調査研究がなされており、酒や煙草については非常に危険なドラッグと同等かそれ以上の数値が出ているものもあります。 ハッキリ言わせていただくと、そういった調査対象に危険なドラッグと同列に酒や煙草が入っているという事を考えると、何故そういったドラッグ類は法律で禁止されているにもかかわらず、酒や煙草は禁止もされず野放しになっているのか不思議な気もします。 まあ酒については他のものに比べて、世界中何処でも(イスラム教の厳しい国以外)比較的安価で気軽に身近に摂取出来ますので、スコアがやや悪くなるのも考慮しなければなりませんが。 また、日本では大麻は非合法で、所持しているだけでも逮捕されてしまいます。 しかし実は煙草の方が遥かに依存性や身体に与える害が大きいということを考えると、以前選挙等で何故煙草は合法で大麻は非合法なのか、大麻を合法にしろという公約を掲げていた人達が居たのもあながち理屈の通らない話でもありません。 自分も身を以て経験したことですから、事実として毎日五十本前後、三十年(トータルでは四十年)以上休むことなく煙草を吸い続けてきたような人間です。 しかも煙草は酒のように休肝日というものもなく、休禁煙日を実施している人というのを聞いたこともありませんし、だいたい毎日数十本吸っている人がただ一日だけ吸わずにいられるというのも自分の経験から言わせていただくと有り得ません。 それほど強い依存性があり、我慢できないのです。 何度となく禁煙に挑戦しても、最初の一週間の禁断症状を乗り越えることができなかったというのも、こういった統計を見るといかに難しいことであったのかが理解出来ます。 しかし今の自分はある時以来、ただの一本たりとも煙草を吸っていませんし、外出時近くで煙草を吸っている人が居

医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 酒と煙草について考える その三

このブログを始めるに当たって最初の方でお話しした通り、その内容については自分が実際に人生で体現した事と、自分が真実であると認識している事を中心にして書いておりますので、今から書くことも一切の脚色無しで淡々と書いていきます。 今でもハッキリと覚えていますが、人生で初めて煙草というものを吸ったのは中学一年になって暫くしてからでしょうか、同級生の悪ガキと町のとある大きな公園の裏山で、近所の自販機で買った煙草を吸ったのが最初の体験でした。(昔は誰でも煙草の自販機で何の制約もなく買えたのです、勿論違法でしたが) しかしそこで何本か吸った後、猛烈に吐き気がして来て気持ち悪くなり、のたうち回ったのを今でもハッキリと覚えています。 そこで身体に良くない物だとキッパリ止めておけば良かったものを、余った煙草をチョロチョロと吸ってその後もまた買ったりしているうちに、いつしかしっかりと一端の煙草飲みになってしまい、それから数十年の間煙草と付き合う事となりました。 高校時代にはまだ一日一箱位で済んでおりましたが、大学の時には炉端の店で皆で酒を飲んだ時や、パチンコに行ったりした折に余計に吸ったりした為更に本数が増え、社会人になってからは今にして思えばストレスを感じていた為なのか、徐々に吸う本数がまた増えていき一日に二箱を越えるようになってしまいました。 その様な状態が三十年近くは続いたでしょうか、一時期には毎日50本かそれ以上は吸っていたと思います。 世間で所謂チェーンスモーカーというやつで、一本吸って消したらまた直ぐに次の煙草に火をつけるという、まるでチェーンが繋がるような繰り返しが毎日休むことなく、365日続いていました。 初めて煙草を吸ってから計算すると最初の数年は本数が少なかったものの、ほぼ四十年近くその様な状態が続いた訳です。 しかし毎日惰性のように煙草を買う訳ですから、煙草代も塵積で一月にするとバカにならず、更に年間分を計算すると更にビックリするような金額になり、何だかまるで自分は煙草を買うために働いているのではないかというような気分に段々なってきていました。 それとやはり立派なヘビースモーカーの部類に入る訳ですから、身体の調子も何だか良くないなぁという自覚があり、何回トライしたのかはハッキリと覚えてはいませんが、吸っている間には何度も繰り返し禁煙は試みていました。 まずは禁煙パイ

医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 酒と煙草について考える その二

(前回の続き) 自分がまだ学生時代だった若い頃、我が家では毎年クリスマスになると母親がケーキと骨付きのチキンのモモ肉を買って来てくれていました。 それを親兄妹の家族五人でカットして分けて食べるというのが、家でのクリスマスの行事だったのです。 ある年にはそれらの食べ物にシャンパンが加わったことがあって、よりいっそう華やかなクリスマスらしい雰囲気になりました。 当然家族皆で食卓を囲む訳ですから、シャンパンも皆で分けて少しずつ飲みましたが、父親もそのシャンパンを少しだけお裾分けのように口にしていました。 そして 「ああ、やっぱりシャンパンはアルコールが少し入ってるから酔いがまわるなぁ。」と父親は話しながらケーキを頬張っていましたが、その顔は幾分赤らんでおりました。 自分も父親程では無いものの、当時アルコールをあまり受け付けない体質であったので、何か変だなと思いながら傍らにあったシャンパンの空き瓶の裏を何気に見てみるとそこには    「炭酸飲料」とハッキリと書かれていました。 要はそのシャンパンはシャンパンのような味のする、炭酸入りの清涼飲料だったのです。 勿論その事は父親の名誉のために見なかったことにして、その場の誰にも言わず自分の心のなかに留めておきましたけれども、何だか見てはいけないものを見てしまった後ろめたさがあったのを今でも覚えています。 今はこうやってブログに書いておりますが、何せもう半世紀も前の事ゆえ親父も笑って許してくれる事でしょう。 世間では所謂プラシーボ効果というものが現実に有ってどなたもご存知の事と思いますが、人の想いというものには本当に強いエネルギーがあり、身体にとても影響を与えるのだということをつくづく感じます。 話を本題に戻します、人類と酒の歴史は、はるか昔に食べ物をそのまま放置して置いたらそれが腐って(発酵して)偶然酒が出来たという話だそうです。 その酒が生まれた時期には諸説があって三千数百年から八千年前迄の幅が有るようで、おそらくはメソポタミヤ文明時代ではないかと言われており、人類が最初に手にした酒はビールの原型のようなものだったそうです。(その元となった食材が麦であった為) 人間と酒との関わりは数千年間にわたる程の本当に長いつきあいの関係で、いくら現代医学でアルコールが身体に悪いと判明したからと言って、じゃあ止めましょうかというような単純な

医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 酒と煙草について考える その一

酒は百薬の長という言葉は世間一般に広く知られており、どなたも何度か耳にしたことがあると思います。 この言葉の由来は、中国の五漢時代の歴史書の古事から来ていますが、本来は飲酒をする事は健康に良いという漢方医学的な意味合いのものではなかったものが、言葉だけがいつしか一人歩きをし、酒飲みの飲酒の言い訳のような意味に変容していったのです。 日本でもその様に間違った意味を戒めるために、兼好法師が著した「徒然草」 のなかで、「酒は百薬の長とはいえど、万の病は酒よりこそ起れ」とあり、深酒を繰り返すと万病の元になると戒めています。 しかしながら一般的には適量のお酒は健康にも良いというのが通説のようになっており、以前には適量の飲酒を守れば、全く飲まない人達よりも寿命が長いという医学的なデータも有ったようです。 ただ酒飲みの人達にとっては残念ながら最近の医学の常識では、酒は飲むよりは一切飲まない方が身体に良いという治験結果が出ており、それが定説となっている様です。 しかも日本人というのは世界的にみても希に見る程のアルコール耐性の弱い民族の様で、ヨーロッパなどでは朝や昼からビールやワインを食事と一緒に飲んでいますし、ロシアでは結局は極寒の気候のせいなのですが、どれだけ強いウオッカを飲みまくっても事故さえ起こさなければ警察に捕まることも有りません。 日本の飲酒運転のアルコール基準を彼等ヨーロッパ人に当て嵌めると、おそらく100%免停か下手したら多くの人が免許取り消しになってしまうことでしょう。 ご多分に漏れず自分の父親もまた、一切酒が身体に受け付け無い体質でした。 自分もその父親のDNA をしっかりと受け継いだ為に、若い頃はほんの少しのビールを飲んだだけでも真っ赤になって直ぐに寝てしまうので、その後の酒宴の楽しさを味わうということもありませんでした。 しかしたまたま進学した大学が東京の中央線沿いにあり、通学途中にちょうど新宿駅があったという好条件? もあり、大学の仲間達と四年間飲んで鍛えまくったお陰か、いつしか何とか人並みに少しは飲めるようにまでにはなりました。 自分の父親というのは、大正末年生まれで実は先の太平洋戦争でぎりぎり召集された世代で、中国大陸の東シナ海沿岸から内陸の重慶の方まで行軍していったそうですが、復員してからは全く酒が飲めなかった体質のために宴会などの酒席には一切参加する

医療と薬(ワ○○ン)身体の相関関係 食について考える ⅩⅠ

今までいろいろと食について述べてきましたが、医食同源という言葉があるとおり、やはり普段からどの様なものを食べているかと言うことはとても重要な要素です。 普段からの食が中年以降(自分に当て嵌めると40代以降)の将来的に出てくるであろう不調(病気)にとても影響を及ぼすのは至極当然の如くで、まさに日々の食生活の積み重ねが身体を作っていくという意味でもとても大切であるというのは言うまでもありません。 しかし一方で、俺にはそんなものは関係ない、食べたいものを食べて何が悪いんだ、将来病気になろうが今は健康なんだから関係ないとばかりに、農薬や添加物まみれの食べ物を食べ続けて一切食について注意を払わない人が居るのも、それはその人の自由意思でありその人の価値観だと思うのです。(これもはっきり言って因果律と同じ様な話です) よく世間では、医者から止められているにもかかわらず酒飲みが酒を飲み続け、案の定肝臓をぶっ壊して結局亡くなってしまうという方が見えますが、これはもう同じ様な話でまさに確信犯というやつです。 自分も以前に滅茶苦茶な食生活をしていた時期がありましたので、因果応報という話でいろいろと身体に不具合が出て来たのも仕方がありませんが、今の自分はご縁があった身内のお陰でそれを中庸の状態に戻すために努力をしている最中ということでしょうか。 本当に人生とは、どちらかに片寄っても揺り戻す様に上手く出来ていて面白いものです。 しかし日本の場合は、健康というものを考えた時に単に食だけに気を付ければ良いという事にとどまりません。 個人名は控えますが、以前に誰かさんが規制緩和の名の元に雇用環境をぶち壊して某国に日本の虎の子の資産を売り飛ばしてくれたお陰で、低賃金なのにサービス残業が多いという世界にも悪名高い労働環境でブラック企業も多いせいか、ハードワークもこの日本ではやむ無し的な部分は残念ながらあろうかとは思います。 その様な労働環境の渦中にある当事者の方にとっては仕方がないという事なのかも知れず、少しでも改善されるように願っていますが、やはりサービス残業等というものは、世界から見ても異常な労働形態であるというほかありません。 そういった企業に勤める日本の男性諸氏は本当に大変でしょうし、女性もまた非正規雇用等で低収入に甘んじている方が実に多いという現状は、本来ならば政府がもっと早急に改善しなけれ

医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 食について考える Ⅹ

このグルテンというのは実は結構厄介な存在で、ただ単に腸内環境を乱すだけでなく、様々なアレルギーを引き起こしたりする原因にもなっており、アレルギーをいろいろ調べてみると実はグルテン不耐性だったという話も有るほどで、全人口の数パーセントはこのグルテン不耐性とも言われています。 これが日本人の話になれば、長年の間小麦を食べる習慣が無かったことから、潜在的に不耐性だという人は更に増えるということが容易に想像できます。 腸という内蔵機関は第二の脳と言われるくらい人体にとって非常に大切な役割を担っており、単細胞生物の中には腸だけが特化して生存している生き物も居る程、種の生存にとっては必要不可欠な存在なのです。 その腸の働きを乱すのが小麦に代表される食品類だと言われ始め、吉野先生の様に将来的に重篤な副作用をもたらすという話になれば、本來ならそういった食品の摂取をなるべく控えなければならないということになるのかもしれません。 しかし、たとえ小麦が身体に良くないからといって、それでは皆さん小麦を使った食品は全てやめましょうという話になっても、正直言ってそれは余程の健康オタクか意思の強い人でないとまず無理な話でしょう。 自分も、今後一切インド料理の店でチーズナンを食べるなと言われても、せいぜいどう頑張っても二、三カ月我慢出来るのが関の山だと思います。(個人的にはチャパティーのほうが良いのですが、今迄数十軒インド料理屋巡りをして一軒もそれを出す店に当たった事は残念ながら有りません、だいたいインドやネパールではナンを食べることは殆どありませんからね) 自分の身内も、小麦粉を沢山食べた後は明らかに体調に異変があるということをよく話していますので、やはりあまり良くはないのだという認識は二人共持っています。 ですから小麦を食べる場合には、いろいろと注意している事が何点か有ります。 まず家でパンを焼く場合、以前は小麦でしたがそれが全粒粉に変わり、今では全て米粉を使っています。 (実は米粉で焼くのは意外と難しいのですが、やっとコツが掴めたのか上手く焼けるようになりました、米粉の製粉器も購入する予定です) それから外でパンを購入する場合、国産小麦を使っているかをチェックします、これで常連となったお店を何軒か確保しました。 (うどん屋や意外な店でも国産のものを使っているお店が少数ですが有ります、外国産は

医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 食について考える Ⅸ

我が家では米は常に土鍋で炊いており、ほぼ毎回のごとく炊くのは玄米ご飯、ほんのたまに五分づき米を食べる位で白米は家では一切食べておりません。 これはマクロビオティックでは玄米が非常に栄養価が高い(白米では削られてしまうふすまや胚芽部分)とされており、マクロビの食事の基本中の基本であるために日常的に食べているのですが、慣れもあるせいなのか食感も自分には全く気になることもなく、かえって白米では物足りなく感じてしまう位です。 しかしながら外食などをしたりする場合で玄米が出てくるということは殆どありませんし、せいぜい有ったとしても五穀米が選べる場合がある位でしょうか。 昔の日本人は米かヒエや粟などの雑穀もしくは飢饉の折りなどには芋も食べていたそうですが、自分の父親の世代でも(大正末年生まれ)食事では物凄い量の米を食べていたそうです。 翻って昨今ではそんな時代も有ったねと(何かの歌のようですが)本当に昔日の感がありまして、お米を食べる機会は年々減っていて消費量は右肩下がりをしているのが現状です。 それに取って変わった新しい主役は、小麦です。 昨年末近所にも結構大規模な新しいパン屋さんがオープンしましたし、我が町では何処もかしこもパン屋さんが増えており、まるで世間はパンブームなのではないかと錯覚? する程ですが、それだけ一般の人達には需要がありパンを食べる機会が増えたということでしょう。 しかしながら小麦粉はことパンだけに留まりません。 うどんやラーメンなどの多くの麺類も小麦粉ですし、イタリア料理のパスタやペンネ、ピザ類も小麦粉、自分が大好きなインド料理のナンも小麦粉、洋菓子系のクッキーやケーキ等も小麦粉を使っています。 それに加えて以前からお好み焼きや焼きそば、たこ焼き、たい焼き等も食べていた訳ですから、食の多様化から見れば米の消費量が減ってしまっているのも致し方無いと言えるのかもしれません。 しかし我々は千年以上に渡って米を食べ続けてきた訳で(今の定説では数千年前から稲作が行われていたという話も最近出てきています)、DNA に刻まれた体質的には米の方が絶対的に合っているのです。 しかし小麦がこれ程までに生活のなかに広まっていった切っ掛けは、先の大戦における敗戦でアメリカ産の小麦を国が買わされたことから、給食などでパンを出されるなどして米ではなくパンを食べるという習慣が日本人に

医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 食について考える Ⅷ

前回のブログの最後の部分については実はそれだけで何章か費やさなければならない程にとても重要な要素を含んでいたのですが、書き出せばキリがありませんのでまたの機会に譲ることとして、この食について考えるというトピックもまだ書きたいことは沢山有るものの、ある程度で目処をつけなければ非常に長くなってしまいますので端折り気味に書いていくこととします。 いよいよ日本における食の問題の最重要ファクターで主役とも言える、食品添加物の問題について登場願います。 おそらく多くの一般的な消費者の方達は、スーパー等で食品を購入する場合、裏面の品質表示欄をいちいち見て確認をするといった行為はなかなかしていないのではないかと思います。 近所でとても人気のある、ごくごく普通の人達でごった返している店舗でも、購入しようとしている食品の裏面を明らかに読んでいる仕草をしている人達を殆ど見たことがありませんし、おそらく確認しているとしたら量とか値段を見ているのではないかと思われます。 昨今の円安による為替の影響で輸入品が高騰していることや、天然資源の高止まりによる物流コストの圧迫等で食料品が昨年来何度も値上げしている事を考えると、高齢者や家庭を任された主婦の方にとっては生活の遣り繰りも大変でしょうからそれどころではないのかもしれません。 ですから我国が食品添加物について非常に基準が甘いといった事実があるという現状を知ってみえる方は、一般的なレベルでは非常に少数派なのではないかと思います。 2020年現在、日本では約1500種類の食品添加物が認可されています。 この数字を見ても興味のない人にとってはさっぱり分からないのかもしれませんが、ヨーロッパの先進国からするとこれはとてつもない数字です。 しかも前回の薬の場合でお話しした通り、人にはそれぞれの個体差というものがあり、もしも総花的に全員が同じものを摂取したと仮定しても健康的に同じ様な症状が出てくるという単純なものでもありません。 しかし安全と言われている食品添加物のなかにも明らかに安全性に懸念のある食品添加物が多々含まれており、食品添加物が本来科学的に生成されたものが非常に多いということを考えると、そもそも論として安全性の評価にも現状では限界があることから、なるべくなら摂取を減らすための努力をするというのが賢明だと思われます。 食品添加物を長年の間食べ続け

医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 食について考える 番外編 後編

今現在数%居るであろう香害に苦しんでいる人達が、果たして将来的にその苦しみから解放される日が来るということが有りうるのでしょうか? まずそういった原因となる合成洗剤や柔軟剤が未だに大量に巷では販売されており、天然由来の石鹸等はごく一部のお店で売られているに過ぎません。 そして大手の化学メーカーは、人体にとってよくないといういろいろなデータが出ていることを知りつつも、利潤追求のために安価で出来る合成洗剤の販売を止めるどころか大量のCMをたれ流して販売を続けており、日本消費者連盟が何度となく電話や書面を通して指摘や情報開示請求をしているにもかかわらず、のらくら逃げの対応に終始し取り合うこともしていません。 しかし自分自身が何も感じない為に、そういったことを知らずに乗せられて購入し使用している人達に罪があるとは自分は決して思いません。 そのような洗剤には様々な人体的影響があるということが指摘されている事を鑑みるに、彼等も今は何も感じていないだけで実は香害に苦しむ人達と同じように大手メーカーの潜在的な被害者であると言えるからです。 しかしながら世の中には、香害に苦しんでいるのでやめていただけませんかとお願いしても、自分は何も感じないので関係ないと馬耳東風な人と、他方では自分にはわからないけれどもそういった人がいるのならやめようという人もなかには居ります。 その違いは一体何かというと、それは苦しんでいる人達に対する思い遣りの心があるか無いかです。 それは自分さえ良ければ他人のことは関係ないという我よしの境地であるのか、困った人の為に寄り添い尽くそうという利他の気持ちがあるのかの違いで、そこには非常に大切な霊的な摂理の実践ととても愛通ずるものがあります。 また香害には除菌消臭スプレー、制汗剤、芳香剤等の製品も関係しておりますが、何といっても一番被害が多いのは柔軟剤で、柔軟剤は合成界面活性剤のなかでも非常に毒性が強い陽イオン系であり、ネットで検索すれば代用できるものがいろいろ出てきますので、このブログをご覧の方やこの事実を知ってしまった方々は是非ともまずは購入する事を止めることから始めてみませんか。 たとえそれが微々たる変化でしか無かったとしても、おかしいことはおかしいと声を出し続けることが真実を知った者の使命であると自分は考えています。 この番外編も書きたいことは他にも沢山有り

医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 食について考える 番外編  中編

そのような人達にとっても、人生で何らかの重大な悩み事などにぶつかった場合、一部の人達はたとえ信じていなくても霊能者に頼ったり、将来の予言に一喜一憂したり、また別の人は過去世を興味本意から知りたがったりします。 そもそも人生に於いていろいろな悩み事や問題が起こって来るのは、自身の作り出した原因に起因する場合や、前もって魂が意図して生まれてくる場合が多く有りますし、若しくは因果律の揺り戻しのために過去世のやったことが今世に具現化するということも多々あります。 もしも霊的な摂理の機微に触れた人達が居たとして、その事を知った人と信じない人達の割合が大きく変わることが有りうるでしょうか? 自分は数十年前から霊的な摂理について考え、模索し実際に人生で折に触れて体現してきましたが、未だに明らかに変わったという認識は残念ながらあまり実感出来ず、答えは否、と言わざるを得ません。 別の二、三の例を挙げましょうか。 過去のブログでは香害について身内を例に詳しく取り上げましたが、家の両隣や奥の家にも香害に苦しんでいるということを周知したにも関わらず、未だに時折合成洗剤や柔軟剤を使っています。 右隣の人には、香りが駄目なら引っ越ししたらどうかと言われしまいました(笑)。 前回お話しした通り我が家にはテレビがありませんので通常CM などを見ることも無いのですが、仕事の関係で週に一度だけ夕方以降テレビを見る(というかそこにテレビが常についている)機会があります。 そこでは視聴率の高いゴールデンタイムに、K〇や L〇〇〇、P〇〇といった大手の洗剤メーカーが香の強い柔軟剤や合成洗剤のCMを有名タレントを使って頻繁に垂れ流していて、しかもそれがとても良い香であるかのように視覚的に非常に強く訴えるものなのですね。 すでにご存じの方も多いと思いますがそれらの洗剤にはとても有害な化学物質が含まれており、さらに強い香りのものは非常に細かいマイクロカプセルになっていてそれが弾けて人体に直接吸い込んだり、経皮毒として皮膚を通して体内に有害な化学物質を取り込んだりして血流に迄浸透し、肝臓や子宮などの内蔵に溜まるということがわかっています。 さらに悪いことにはナノ化されたマイクロカプセルは下水処理場で完全に取り込むことが出来ずに川や海へ流され環境や自然を汚染する原因となっています。 そしてそういった洗剤で洗った衣類は