医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 酒と煙草について考える その一

酒は百薬の長という言葉は世間一般に広く知られており、どなたも何度か耳にしたことがあると思います。


この言葉の由来は、中国の五漢時代の歴史書の古事から来ていますが、本来は飲酒をする事は健康に良いという漢方医学的な意味合いのものではなかったものが、言葉だけがいつしか一人歩きをし、酒飲みの飲酒の言い訳のような意味に変容していったのです。


日本でもその様に間違った意味を戒めるために、兼好法師が著した「徒然草」 のなかで、「酒は百薬の長とはいえど、万の病は酒よりこそ起れ」とあり、深酒を繰り返すと万病の元になると戒めています。


しかしながら一般的には適量のお酒は健康にも良いというのが通説のようになっており、以前には適量の飲酒を守れば、全く飲まない人達よりも寿命が長いという医学的なデータも有ったようです。


ただ酒飲みの人達にとっては残念ながら最近の医学の常識では、酒は飲むよりは一切飲まない方が身体に良いという治験結果が出ており、それが定説となっている様です。


しかも日本人というのは世界的にみても希に見る程のアルコール耐性の弱い民族の様で、ヨーロッパなどでは朝や昼からビールやワインを食事と一緒に飲んでいますし、ロシアでは結局は極寒の気候のせいなのですが、どれだけ強いウオッカを飲みまくっても事故さえ起こさなければ警察に捕まることも有りません。


日本の飲酒運転のアルコール基準を彼等ヨーロッパ人に当て嵌めると、おそらく100%免停か下手したら多くの人が免許取り消しになってしまうことでしょう。


ご多分に漏れず自分の父親もまた、一切酒が身体に受け付け無い体質でした。


自分もその父親のDNA をしっかりと受け継いだ為に、若い頃はほんの少しのビールを飲んだだけでも真っ赤になって直ぐに寝てしまうので、その後の酒宴の楽しさを味わうということもありませんでした。


しかしたまたま進学した大学が東京の中央線沿いにあり、通学途中にちょうど新宿駅があったという好条件? もあり、大学の仲間達と四年間飲んで鍛えまくったお陰か、いつしか何とか人並みに少しは飲めるようにまでにはなりました。


自分の父親というのは、大正末年生まれで実は先の太平洋戦争でぎりぎり召集された世代で、中国大陸の東シナ海沿岸から内陸の重慶の方まで行軍していったそうですが、復員してからは全く酒が飲めなかった体質のために宴会などの酒席には一切参加することはありませんでしたけれども、ある年齢になってからの戦争当時の戦友会には懐かしさからか何度か行っておりました。


まあその酒の席は初老のおっさん達の集まりですから結構な酒飲みも多く、宴会では日本酒などもバンバン飲んでいた様で、たまたま隣に座った父親は横で飲んでいた人の日本酒の熱燗のアルコールが揮発するのを吸ってしまい本当に酔っぱらって困ったという話をしてくれました。


まったく飲んでいないにもかかわらず隣で飲んでいる人の横に居たから酔ったというような話は、世間ではあまり聞いたことがありません。


まさに希に見る人間国宝級の酒の弱さです。


また父親にはもうひとつ、酒にまつわるビックリするような話が有りますが、その話は次回に続きます。








 












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