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我が家の梅の花が早くも咲きました!

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実は、我が家の玄関前にある梅の花に蕾が付き始めているのを連れあいが見つけて(彼女は植物が大好きなのでそういうものには直ぐに目がいく人で、自然と共に生きている事を喜びとする様な人なのです)、あまりの早さにお互い顔を見合わせて驚いていたというのがつい三週間前の松の内の事でした。 それが今日、夜勤に出掛ける前に縁側へ出てみると花びらが何枚か床に落ちていましたのでまじまじと梅の木を見たところ、若干の蕾はあるもののほぼ満開の状態でした。 自分が住んでいるこの濃尾平野という地域は、その年の寒暖差によって多少のズレはあるものの例年だと三月の初旬が梅の花の見頃だと言われていますので(桜が咲く頃のちょうど一月前位が梅の花の時期なのです)、まだ一月の下旬ですから例年よりもひと月以上早くに咲いたということになります。 ひょっとして早咲きの梅なのかとも一瞬思いましたが、例年こんなに早くに咲いたことは今迄無かったので、ハッキリ言って今年の開花はやはり異常だと思われます。 この地上にある全ての植物というものは自然の摂理とともに生きていますので、開花の時期があきらかにずれてしまうというのはやはりあまり良い兆候であるとは言えません。 何故ならば植物には植物なりの一定の営みのサイクルというものがあるからです。 実は自分が読んでいた「日月神示」にも、桜が早く咲いたら気を付けなされよ、という啓示があり、今回我が家の梅の花のあまりにも早すぎる開花を見て一瞬ひょっとしたらという感情が頭を過ぎりました。 これは、決して読者の皆さん方の不安を煽ったり、世間でよくあるクリック稼ぎのために煽動的な事を書いたりしているという訳ではなく、そう遠くない将来に何らかの事象が現実として起こる予兆を感じるのですね。 少し以前の地震についてのトピックでも詳しく書きましたが、この日本という国に住んでいる限り何らかの災害に遭うという確率が誰しも高いことは日本人としての運命のようなものであり、そのことについては自分は別段不安を抱いているということはありません。 しかしながら今が何も起こらないから何となく生きれればそれで良いという事でも無く、それなりの意識は心の内にしっかりと持って、ある程度の備えもしながら日々を過ごしております。 余計な心配や要らぬ不安は全く有りませんけれども、来たるべくして起こるであろう将来の

父親が体験した霊的な話 その一

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自分の父親は大正末年(十四年)生まれで、彼が生まれて直ぐに昭和の御代になり、まさに激動の昭和の時代とともに生きてきた世代でもあります。 父が十代の終わり頃には戦時中の時節、当然の如く赤紙召集令状が届いて先の太平洋戦争で日中戦争さなかの中国大陸へ駆り出され、戦地へ赴いたという経験をしています。 父は恐らく広州から武漢、重慶へ至る中国大陸の真ん中辺りを東の海岸から西の内陸部の方へ行軍していったと思われますが、彼はまだ赴いたのが中国の戦地でしたので本当に幸運でした。 当時の日中戦争で日本軍と敵対していたのは、蒋介石の国民党軍か地方を統治していた軍閥達、若しくは毛沢東の共産党軍だったと考えられます。 しかし行軍の最中に敵軍と対峙して戦闘行為があったということは殆どなかったそうで、当時の兵隊さん達が亡くなられた主な原因は、過激な行軍に加えて栄養失調による免疫力の低下でちょっとした病気に罹ってもまともな医療行為やさしたる薬もなく、バタバタと亡くなっていったという事が真実のようです。 これがもしも南方戦線の戦地であったならば、当時の軍部(特に陸軍)の無策極まりない自殺行為とも言える作戦によってマラリアや栄養失調による餓死などの夥しい戦死者を出していましたので、おそらく自分は父の息子としてこの世に生まれることはなかった確率が高かったことでしょう。 戦争は日本の敗戦でやっと終結し、彼は数ヶ月程で日本に復員することが出来ましたが、自分が今住んでいる一宮という街も、B 29爆撃機による絨毯爆撃によって市街地のほぼ全てが焦土化されてしまいました。 前回のトピックではゴジラ映画について書かせて頂きましたが、その映画もやはり終戦の年から昭和二十ニ年迄の期間が題材となっております。 ネタバレしないように詳しくは書けませんが、映画の主人公が直面した様な現実も実際にはあった事でしょう。 幸いにして父親が赴いたのは比較的戦死者が少なかった部隊でしたけれども、それでも行軍の足手まといになるからと病気で見捨てられた戦友達も少なからず居たようです。 本当に人間というものは愚かなものです。 彼は故郷に戻ったのち、戦後は闇市の時代を経ていろいろな商売を経験し、無一文の状態からまるでわらしべ長者の様な人生を歩むこととなります。 続く

「ゴジラ ー1.0 / C」 最高でした!

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(アメリカ版ポスター) 今回は仕事の夜勤明けで通常であれば朝9:00迄の仕事だったものが、介助の変更があり一時間の前倒しで介助終りになりましたので、仕事帰りに映画など観たら寝てしまうかも!という心配をしつつも帰り道にあるシネコンの9:15上映「ゴジラマイナスカラー版」を鑑賞してきました。 人には其々いろんな特技のようなものが誰しもあると思いますが、自分は時間の段取りにはめっぽう強くて、事前の予想通り席に座った瞬間にちょうど映画が始まるという絶好のタイミングでした。 この映画は昨年の十二月に既に二度観ておりまして、白黒版も一月十二日から上映が始まるという事を既に知っておりましたので、今回のタイミングしかもう観る機会がないだろうということで、人生初の同じ映画を三度観るということになったのです。 内容については未だ未鑑賞の方がみえると思いますので、残念ながらここではあまり詳しくは書くことが出来ません。 しかし正直言いますと、全く同じフィルムなのだから然程は変わらないだろうという事前の予想とは裏腹に、ハッキリ言ってまるで別の映画を観ているような印象で、色を抜いただけでこうも感じ方が変わるのだろうかという驚きの連続でした。 ネットで調べるとただカラーから白黒へ色を反転させたというだけではなく、監督のお話によるとコマ割り単位で細かく濃淡の色の微調整をしたという事の様です。 スクリーンがカラーの場合には、画面全体の様々な色が視覚を通して脳に情報として大量にインプットされる訳ですが、それが濃淡だけの白黒だとその情報がより単純化されますので、遥かに脳内のイマジネーションを掻き立てられるのですね。 ですから画面の中の二次元の人達の感情が、そのシンプルさ故により強く観ている側の自分に伝わってくるのです。 これは主役のゴジラについても言えることで、カラー版よりも白黒の映像の方が遥かに視覚的に恐ろしく感じられました。 この映画は、ゴジラという存在を通して原子爆弾を作り上げた人間という存在の愚かさ、そして今なおそのツールを手放せないでいる大国達の国としての業の深さを擬人的に投影させているのです。 原子爆弾や水素爆弾などというものは使用したら最後、人類はおろかこの神の最高傑作である地球をも滅ぼしてしまうであろうことは、世界で唯一被爆した日本人だけではなく誰しもが分かってい

「ゴジラー1・0 / C」 追記

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(日本版ポスター) アメリカでも現地時間の一月二十六日から、モノクロ版が一週間の限定ながらがいよいよ公開される事が決定致しました。 この映画はトータルの興収も全世界あわせて既に一億ドルを突破しており、日本映画のアメリカに於いての興収記録も当然の如く今回塗り変えておりますけれども、果たしてどこまでこの数字を積み上げることが出来るのか、非常に楽しみです。 東宝さんも前回の「シン・ゴジラ」の件がありましたのであまり前宣には力を入れていませんでしたし、年末ギリギリの十二月公開だった為かアカデミーにもノミネートしていなかった様ですが、今回の「ゴジラ ー 1・0」は本当に嬉しい番狂わせという結果となりました。 今回のヒットを受けて監督の山崎貴氏は新年早々渡米して、今年度のアカデミー賞に向けての下準備をされているということで、現地ではあまりの評判の良さに大物監督や俳優達から山崎氏への面会オファーが殺到しているという状況になっているそうです。 今回のゴジラ映画がアメリカに突きつけたのは、その内容の素晴らしさは勿論のこと、たった千五百万ドルの予算であれだけの画像を作り上げたという事実が映画関係者に衝撃を以て受け止められているようでして、たとえ予算を掛けなくてもこれだけ素晴らしいCG技術の映画が創れるのだという見本を山崎監督は彼等に対して示したのです。 実際現在のアメリカではこの十倍の一億から二億ドルの予算を費しても、一部の映画に見られるマンネリ化した脚本とLGBTやポリコレに配慮するあまりの演出や配役が仇となって、その政治的な堅苦しさが一般の観客に受け入れられなくなってきており、採算割れや殆ど利益が出ていない非効率な作品が出始めているのです。 為替の変動はありますが、日本円換算にするとだいたい百五十億から三百億ですよ! ハッキリ言ってバブリーというかどう考えてもコストが掛かり過ぎです。 今回のゴジラ映画のクオリティの予算が、たったの千五百万ドルと聞いて彼等が腰を抜かす訳です。 アメリカはそれだけの予算を使っても世界中に配給すれば以前なら軽く元を取れていたものが、最近ではその手法が段々と通用しなくなってきているのです。 そもそも映画というものは純粋に娯楽として楽しむことが本来の使命であって、そこに政治的な意図や価値観の押しつけなどが入ること自体がそもそもおかしい

重要なお知らせ

突然のことで驚かれる方もみえるやもしれませんが、今回よりブログのタイトルを「不埒(ふらち)なスピリチュアル三昧」に変更させて頂きます。 実はこのタイトルはですね、十年程前に別のサーバーで数年間掲載していたもので、突然ある事情があって止めてしまったブログのタイトルなのです。 その事情といいますのは、ある特定の分野についてのブログを載せると、せっかく書いたブログを速攻で消されてしまうということが何度もあり、当時ボランティアで知り合ったネットに詳しい友人にその理由を訊いたところ、そのレンタルサーバーの運営元はどうやらお隣のK国の様で、彼等にとって都合の悪い内容を載せた場合には一方的に削除されてしまったということの様でした。 しかし当時から、自分が体現した真実のみをブログに載せるという方針は変わりませんでしたので、投稿しては何度も消されるという憂き目にあっているうちに何時しか段々嫌になってしまい、そのブログをある時に止めてしまいました。 当時のブログは熱心に登録されてみえたコアなファンの方もいらっしゃいましたので、このタイトルではおよそ十年ぶりの復活ということになった訳ですけれども、実は今回のブログを載せている間に以前のブログのタイトルを復活させたいという思いが自分の心の内にはあったのです。 それは何故かと言いますと、自分には人生のある時期に気付きのような体験をしたということがありまして、私達が今住んでいるこの世界は実は霊的な摂理の影響のうえでこそ成り立っているのだという真実を知ってしまったが故に、皆さんにその事をお伝えすることが自分の現在の使命であると確信しているからなのです。 しかしながら前のブログのメインタイトルである「参政党」については、興味が無くなってしまったから変更したということでは決してありません。 国の政事(まつりごと)というものは生きていくうえでは日々の生活にかかわるとても大切な要素ですし、今でも応援している気持ちには決して変わりはありません、そして地元の地域の所属議員さん達がしっかりと活動され職務を全うされている事も良く存じておりますし、皆さんにもそのことについてははっきりとお伝えしておかなければなりません。 参政党についてはよくご存知無い方もなかにはいらっしゃると思いますので少しお話をさせて頂くと、この政党は数年前に結党した未だ若い政党であり、先の参院

今年は辰年、龍神の年 追記

今回のお話はとても大切な内容を含んでいますので、慈悲ともご覧になって下さい。 前回、石川県の能登半島地震の発生時刻を午後三時頃とお伝えしましたが、実際には四時過ぎに発生しており、それと今朝の出勤途中のラジオで聴いたところによると、最初は震度5だとネットで伝えていたものが実際には震度7だったそうで、今回の地震は非常に大きな地震だったのだとあらためて驚きました。(すみません、うちの家にはテレビというものが有りませんのでリアルタイムの情報が入ってこないのです) 今回、能登半島の先端を中心に、判明しているだけでも百名以上の方が亡くなられたそうですが、行方不明者の数を勘案すると死傷者の数は更に増えると予想されます。 亡くなられた方達がすみやかに魂の故郷へ帰られ、どうか平穏を得られますように御冥福を心より御祈り申し上げます。 前回にも書きましたけれども、昨年連れあいが岐阜県の白川町に移住して自分は仕事の関係で愛知県に残ることになりましたが、一人暮らしをするようになって、出勤時や寝る前には万が一の事態に備えて必ずガスの元栓を閉めるようになりました。 今回の能登半島の地震でも火災が発生して市街地が焼けてしまいましたし、以前に起こった阪神淡路大震災では神戸の下町がまるで空襲でも受けたように丸焼けとなってしまいました。 そもそも地震というものはいったい何時来るのか、果たして昼間なのか、真夜中なのか誰にも全く分かりません。 確かに揺れや津波も怖いものですが、揺れは建物の耐震構造によってある程度は軽減出来ますし、津波は高いところへ行けば回避することが出来ます。 しかし火災については、家を動かすことも出来ず何としても出火元になることだけは避けなければなりません。 不測の事態に備えてせめて長時間家を空ける場合には、ガスの元栓を閉める習慣だけはつけたいものです。 今回の地震でも大きな火災が発生したというニュースを聴いて、たまたまガスの元栓を閉めるという習慣が偶然ついたものの、ますますその必要性というものを感じました。 それから地震が発生した場合にインフラで真っ先にやられるのは電気、そして水道、ガスの順でしょうか。 ですから水のある程度の備蓄とカセットコンロはやはり必携で、特にカセットコンロは冬の鍋料理には大活躍しますので、たとえ地震が来なくても備えておいて決して損はありません。 以前に移住の経緯

今年は辰年、龍神の年

新年明けましておめでとう御座います。 本年も皆さんにとってどうか良い年でありますように。 今年は自分が二日の早朝から仕事が入っでいるということで連れあいが白川から来てくれまして、午前中は日常の買い物や初インド料理を済ませ(キーマカレーとタンドリーチキンを美味しく頂きました)、午後は和室でゆったりとレンタルの映画を観ておりました。 午後の三時前後だったでしょうか、映画に集中していると何だかガタガタ音がしているような気がして、あっ、これはひょっとしたら地震かもと思い暫く静観しておりましたところ、自分が住んでいる地域では幸い弱い揺れではありましたけれども結構長い間微震が続いていました。 今年は辰年、つまり龍の年ということで、元旦の初っ端から地震の洗礼を受けた訳です。 皆さんご存知の通り、この国には八百万(やおよろず)の神が御座しますが、彼方此方で祀られている龍神さんにもいろいろなタイプがありまして、色も実に様々であり、もともとは幽界の存在で眷属的な立場であったものが、神界レベルまで昇華した存在は龍神さんとして神社に祀られております。 我が街、一宮のお隣の岐阜市の伊奈波神社には、非常にパワーの強い黒龍さんが祀られておりますし、あの世間でも有名な「日月神示」を下ろしたのも龍神さんなのですね。 自分が龍についていつも思うことは、北海道から沖縄諸島までの日本列島を眺めるにつけ、まるでそれは龍の背中をみているようだと感じるのです。 龍が動くと地脈も変わりますので地震とは相関的な関係があり、そもそもこの国にとって地震というものは一種の宿命のようなもので逃れられないものなのです。 タイトルは忘れましたが以前に出版された漫画で、未来のことを非常に当てているという有名な漫画があり、また世間のご商売をされている霊能者と言われる人達の中にも地震や災害を予知しているような人をSNSなどではよく見掛けます。 しかし、こういった事を気にするのは実はあまり意味のない事なのです。 だいたい将来の事を言い当てるということは、幽界の低級霊達でも朝飯前の所業ですし(何ら大したことでも有難いことでもありません)、そもそも幽界(霊界)で起こったことが現世で必ず起こるかといえばそれは決してそうでもないのです。 何故なら、幽界というところは想念の世界であるからです。 ですから過度にそのような事を気にして心配するのはあ