「ゴジラー1・0 / C」 追記

(日本版ポスター)


アメリカでも現地時間の一月二十六日から、モノクロ版が一週間の限定ながらがいよいよ公開される事が決定致しました。


この映画はトータルの興収も全世界あわせて既に一億ドルを突破しており、日本映画のアメリカに於いての興収記録も当然の如く今回塗り変えておりますけれども、果たしてどこまでこの数字を積み上げることが出来るのか、非常に楽しみです。


東宝さんも前回の「シン・ゴジラ」の件がありましたのであまり前宣には力を入れていませんでしたし、年末ギリギリの十二月公開だった為かアカデミーにもノミネートしていなかった様ですが、今回の「ゴジラ ー 1・0」は本当に嬉しい番狂わせという結果となりました。


今回のヒットを受けて監督の山崎貴氏は新年早々渡米して、今年度のアカデミー賞に向けての下準備をされているということで、現地ではあまりの評判の良さに大物監督や俳優達から山崎氏への面会オファーが殺到しているという状況になっているそうです。


今回のゴジラ映画がアメリカに突きつけたのは、その内容の素晴らしさは勿論のこと、たった千五百万ドルの予算であれだけの画像を作り上げたという事実が映画関係者に衝撃を以て受け止められているようでして、たとえ予算を掛けなくてもこれだけ素晴らしいCG技術の映画が創れるのだという見本を山崎監督は彼等に対して示したのです。


実際現在のアメリカではこの十倍の一億から二億ドルの予算を費しても、一部の映画に見られるマンネリ化した脚本とLGBTやポリコレに配慮するあまりの演出や配役が仇となって、その政治的な堅苦しさが一般の観客に受け入れられなくなってきており、採算割れや殆ど利益が出ていない非効率な作品が出始めているのです。


為替の変動はありますが、日本円換算にするとだいたい百五十億から三百億ですよ! ハッキリ言ってバブリーというかどう考えてもコストが掛かり過ぎです。


今回のゴジラ映画のクオリティの予算が、たったの千五百万ドルと聞いて彼等が腰を抜かす訳です。


アメリカはそれだけの予算を使っても世界中に配給すれば以前なら軽く元を取れていたものが、最近ではその手法が段々と通用しなくなってきているのです。


そもそも映画というものは純粋に娯楽として楽しむことが本来の使命であって、そこに政治的な意図や価値観の押しつけなどが入ること自体がそもそもおかしいと思うのですが、グローバリズムに席巻されているアメリカのマスコミや娯楽業界も不本意ながら早晩修正を余儀なくされることになるでしょう。


今回の映画の大ヒットは日本のアニメやマンガ、ゲーム等と同様に、またしても日本生まれの「ゴジラ」というキャラクターがアメリカを始めとする世界を席巻することになった訳ですが、文化という側面に於いてはここ数年の日本の世界に対する影響力には本当に目を見張るものがあります。


日本という国はかつては経済(庶民の収入)は一流であったものが、今では二流、いや下手をすると三流国家に成り下がろうとしている瀬戸際であると自分は本当に危惧しています。


しかしかつての英国のように、日本もまた文化や独自の精神性、ソフトのコンテンツの部分ではこれからますますその影響力を世界に強めていく事になるでしょう。

(この件については、また別の機会にトピックを立てて詳しく検証したいと思っています)


終り

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