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医療と薬(ワ○○ン)身体の相関関係 食について考える 番外編 前編

前のブログ記事でお話しました通り、私達は通常の世界では殆ど化学肥料や農薬を使った野菜しかお目にかかることは出来ません。 今回のお話は本旨と若干外れますが自分の想念の胸の内を少しお話させて下さい。 本当に地球の意思(バランスの取れた自然と生き物が調和した世界)のことを思えば、農薬や化学肥料などを使った野菜をつくったり遺伝子操作をしたりといった、利益や効率性優先の人為的な干渉は止めたほうが良いに決まっています。 しかしながら自分の周りで売られている作物が、自然農で作られた野菜たちに取って代わるようなことは将来的にも絶対にあり得ないでしょう。 百歩譲って自然農の野菜が五割、いや三割、二割にでさえなることがあるでしょうか? それでさえあり得ないと思います。 実際自然農で作付けをしている農家はおそらく全体の1%あるかないかだと思うのですが、それに加えて減農薬や化学肥料をなるべく使わない農家までカウントしても5%には満たないのではないかと思います。 このことについて自分にはずっと以前からある想いが有り、確信になっていることがあります。 今でもYouTubeではサムズアップのボタン、いいねボタンがありますが、以前はその逆のディスライクの評価が具体的に数字で表示されていました。 ある時、YouTubeで素晴らしいクラシックの演奏を見ていたことがあり、それはもう決して大袈裟でなく感動のあまり涙が溢れるほどの動画だったのですが、そんな動画にもかかわらずディスライクをクリックしている人がいて本当にびっくりしたというか、何故この動画にそのように評価するのか正直驚きを禁じ得ませんでした。 その後も注意深く見ているとやはり度々同じようなことが何度もあり、やはりどんなに素晴らしい動画であっても3、4%は必ずそういった人達が存在するのですね。 その事で思ったのは逆もまた真なりで、実は世間を見渡してみると同じようなことは法則のように沢山見られるということに気付いたのです。 例えば自分にとっては当たり前の事で、100%確信以外の何物でもない霊的な摂理についてはどうでしょう。 自分と同じように確信的に理解している人はおそらく数%、頭に浮かんでくるのはやはり全体の3から4%位でしょうか。 それに加えて、自分ではよく分からないけれども何となくそういったこともあるのかもしれないと 「肯定的に」 思っている人達

医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 食について考える Ⅶ          

化学肥料については農薬や除草剤と比べると即時的な害は少ないものの、やはりこの三つは同系列上にあると定義しなければなりません。 化学肥料は園芸店やホームセンター、JA などで手軽に入手できますのでややもすると過剰に施肥しがちですが、やはり土中にある、土を肥えさせる有益な微生物を殺す働きがありますし、作物が化学肥料を容易に吸収するために根が土中に張らなくなるといったデメリットがあるのです。 化学肥料に頼る栽培方法は結果的にその土地を痩せた土地にしますし、環境の点からも決して良くはなく、収穫した野菜の栄養価の点からみても滋味に富んではいない野菜が出来ることになります。 但し、化学肥料を使用することに対しては一つだけメリットがあります。 それは農作物が化学肥料を素早く吸収するので速効性があり、結果的に収穫量が増えるということで、確かに戦後や飢餓などの食糧難な時には有益な手段であると言えるのかもしれません。 これにたいして有機肥料は天然由来のものですので環境を汚染するということはありませんが、促進的に野菜を生育するといった速効性という点では化学肥料に今一歩遅れをとります。 これを分かりやすく例えるならば化学肥料は西洋医薬であり、有機肥料は天然由来の漢方薬といえると思います。 自分だったらどちらを選ぶかと言えば、西洋医薬は化学的に生成された物なので出来ることならあまり体内に取り込みたくはない、服用したくはありませんが、突発的な急病などの火急の場合もありますので自分は西洋医学を完全否定するものでもありません。 さて、此処まで自然農の野菜が身体にとって如何に良いかということを力説してきましたが、やはりネックになるのは一般のスーパーなどで売られている野菜に比べてどちらかと言えば値が張ることと、そもそもJAの産直や通常のスーパーなどでは無農薬の野菜にお目にかかることは殆ど無いという現実問題があります。 確かに普通のお店ではなかなか扱っていませんし、ナチュラルフードの専門店では一般のスーパーに比べて結構高い値段がつけられています。 ではどうすれば良いかということを、自分の場合を例にお話しましょう。 まず一番手っ取り早いのは農福連携の施設を探すことです。 最近は結構流行りのようですので何処でも探せば必ずあると思いますが、福祉施設の作業所が農業を専業にして野菜などを作っている のですね。 自

医療と薬(ワ○○ン)身体の相関関係 食について考える Ⅵ

自分が今現在住んている地域は市街地の外側の住宅もまばらな郊外にあり、専業農家と思しき田畑が周りに点在しています。 そしてとても残念なことに、そういう人達(特に畑の作付け農家)に限って思いっきり除草剤を撒くのです。 自分の身内はそれに対して過敏に反応してしまいますので、家の中で顔が痒くなってくると近くの何処かで誰かが除草剤を撒いたということがすぐに分かるそうです。 雑草というものはそもそも非常に生命力が強く、春先からは何度刈ってもすぐに生えてきますが、除草剤を撒けばあっという間に草を枯らしてそのあとはなかなか生えてこなくなるので、撒く人達にとってみればおそらくは手間を考えて安易に撒いているのでしょう。 しかしあの生命力の強い雑草が数日の内にみるみる茶色く枯れて死に絶えるということは、如何に除草剤の毒性が強いかということを物語っています。 自分は除草剤を撒いている人を見る度に(家の地域では殆どの場合男性のお年寄り)、確実にその方が噴霧された毒液を吸い込んでいる事を思うと、本当に心配になってきます。 除草剤にはパラコート、シマジン、グリホサート、ネオニコチノイドなどいろいろな種類があり、そのどれもがそもそも植物だけに効いて動物には影響しないなどということは断じてありません。 それらの除草剤については微量であれば人体には影響はないというような言い訳がされておりますけれども、これは不特定多数の人にとって取り敢えずは大丈夫だろうという話であって、ワ〇〇ンを打って突然死んでしまう人が居るように、また身内のようにほんの微量の風に乗って飛んできた薬剤を吸い込んで服反応が出てしまう人がいるという現実からも、人によっては重篤な症状があらわれるというのは紛れもない事実であり、今現在症状が出ていないから大丈夫だとは決して言えるものではありません。 全く花粉症でなかった人が、ある年から突然酷い症状を発症したりするのはよくあることですし、体内に蓄積された薬剤の化学物質がある病気の遺伝子を呼び覚まして突然症状が表れたりするのはどの様な体質の人にとっても将来的に起こり得る事なのです。 しかもまずいことに一部の農薬については、EUでは禁止されているものであっても日本では認可されていたりします。 これも食品添加物の認可の場合と同じケースですが、日本は一応先進国と対外的に言われているにもかかわらず、何故こ

医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 食について考える Ⅴ

日本が世界では一番農薬を使用していると喧伝している方達が一部に見えますが、前回のブログでお伝えした通り、これについては確かに正しいとは言えません。 しかしながら上位に列挙された国は殆ど果樹系の栽培が盛んな南国の国々が多く、それを考慮するならばやはり日本という国は残念ながら農薬大国であると言わざるを得ません。 では何故我が国はそのような農薬に依存する様な構造になっているのでしょうか? このブログをお読みの皆さんの地域には、一部の大都会や都市部を除いて必ずと言って良いほどJA が有ると思います。 自分が住んでいる県でも、NGY市内にJAがあるのかは分かりませんが、その他の各市町村には必ずと言ってよいほどJAがあります。 まさにこのJA こそがキーワードとなるのです。 当然のことながらJAはその地域の農家と密接に繋がっており、近隣の農家にたいして彼等は除草剤や化学肥料、農薬を売り付けることによって利益を上げているのです。 参政党の神谷さんが無農薬の農業をやっていた石川県の一部の地域では、JAも無農薬の農業の推進にかかわっていますが、このようなケースは全国的にみれば極めて希な例と言わざるを得ません。 そして除草剤、化学肥料や農薬などをたっぶりと使用した野菜がJAを通して一般のスーパーや道の駅などで売られることとなるのです。 スーパーなどで売られている野菜をよく見ていただくと分かりますが、形や大きさも均等で見た目も大きく一見綺麗ですが、これらの野菜の多くはF1種と言ってその年一年で収穫して終わりの穀物メジャーの種や苗であり、毎年購入しなければならないのです。 日本人はとても神経質なところがありとても見た目にこだわりますので、皆さん良い野菜だと思って買われている方もみえるのでしょうが、実はこれらの野菜は見た目が良いだけで栄養価の点でいうと非常にロースコアで、栄養価の劣った野菜なのです。 しかも野菜本来の旨味がなく、密度が薄いスカスカの味しかしません。(自然農の野菜と比べるとその差は一目瞭然です) 更にそれらの野菜は外側だけではなくその内部にも農薬を取り込んでいますので、水に浸けただけでは決して農薬を除去することは出来ず、残留農薬の問題が常につきまとう訳です。 農薬を推奨している側の方達は厳重な検査をしているので人体には影響はないと言いますが、それはあくまでも短期的な話であって、

医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 食について考える Ⅳ

何処のスーパーでもよく売られているアボカドは、自分も大好きで、たまに買ってはサラダと混ぜたりワサビ醤油で食べたりしていますが、非常に高カロリーで栄養価も高い食品として知られています。 今日本で売られているあの卵のような楕円のかたちの物は、99%以上が輸入で、しかもその殆どがメキシコ産のものなのですが、世界にはなんと六十以上のアボカドの種類があり、世界中いろいろな用途で食べられているようです。 アボカドも御多分に漏れず農薬が使われていますけれども、日本では輸入の際定期的に抜き打ち検査がされていることと、アボカドの良いところは日本に輸入されている品種は皮が非常に固くて厚いので、農薬が内側の実の部分に染み込みにくいという利点があるようです。(ただ数年前には残留農薬の検査で引っ掛かった事があります) そして自分が時々購入するものに、ニュージーランド産のリンゴとキウイフルーツがあります。 そのどちらも身体にとっては非常に有益な、健康に欠かせない良い果物といえます。 そもそもニュージーランドという国は、世界的に見ても環境問題に対して非常に意識の高い政策をとっていますし、農薬などに対しても比較的使用量が少ない国の一つに数えられています。(が、この件については後述します) さて、我が国日本の状況については果たしてどの様な位置付けなのでしょうか? 作付け面積当たりの農薬使用量を見てみると、日本は世界的に見て上位から十位を少し過ぎたあたりに位置しております。 しかしその前後には、中国や韓国を含めた東アジアのグループがかたまっており、実は皆さんが嫌っているイメージ的に良くないお隣の中国と日本は、農薬という括りではさほど変わらないというのが実情なのです。 何故中国という国がそのようにイメージが悪いのかというと、まず中国共産党という存在自体が日本の価値観と全く相容れないし、今一つ信用出来ないという事が根本にあります。 さらに以前中国の餃子の餡の部分にダンボールを混ぜていたということが発覚して、日本でもセンセーショナルにダンボール餃子として報道されていましたし、十年程前にも排水溝や下水に溜まった廃油から作った地溝油というものが流通していたりして、一部企業のただ儲かれば良いというあまりのモラルの低さが中国の食全体のイメージを悪くさせているのだろうと思います。 ただ、よく調べれば中国でもきちんと生

医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 食について考える Ⅲ

今日、愛犬のおやつの石焼き芋を買いに近くのスーパーへ出掛けて行きました。 お店の入り口を入って直ぐ右手のところにのコーナーがあり、何種類かのバナナが置いてありましたが、一番下の段の何本もが房になって百円以下で売っている物を見ると案の定、D〇〇Eのバナナでした(笑)。 フィリピン産のバナナ、特に安く売られているものには結構な問題があり、大規模なバナナ農園では営利追求の効率性からセスナ機で大量の農薬をばら撒くため、そこで働く貧困層の小作農の方達の重篤な健康被害が問題となっています。 この構図は途上国での大規模農園ではステレオタイプの様に何処でもみられる問題でして、昔のアメリカでは綿花農場で黒人奴隷が過酷に使役されていましたし、そういった悪しき慣習が踏襲されているのか、今現在でもカカオやコーヒープラント等で幼い子供達が低賃金で過酷な労働環境にさらされております。 自分はフィリピンでのそういった事情を知ってから穀物メジャーの扱うバナナは一切買わなくなり、数年前からは某コンビニで売っているエクアドル産の田辺農園のバナナをもっぱら購入するようになりました。 しかし、たとえ自分が買わなくなったからといって、フィリピンの小作農の人達の暮らしが決して良くなる訳でもありませんが、そのようなバナナを購入することによって穀物メジャーの利益に少しでも資する様なことは、やはりしたくは無かったのです。 そういった想いは実は非常に大切なことで、何度か過去のブログでもお話させて頂いている様に、我々が今現在肉体を以て住んでいる三次元の世界とは違い、魂の世界では想念こそがその本質であり、我々が肉体の奥底に隠し持った想いも、一度肉体を脱ぎ捨てて魂となった瞬間にすべてさらけ出されて露見するというのが霊界の摂理なのです。 ですから霊界にはオレオレ詐欺や振り込め詐欺といったものは、絶対に成り立ちませんし存在しません(笑)。 霊的な摂理に少しでも理解のある方であればご存知の通り、祈りというものには非常に大きな力があり、それと同じように、善なる意識の想いにもやはり大きな力があります。 我々のこの三次元の肉体を纏った世界の外側に、魂の世界(霊界)というそれよりも高次元の世界が確かに存在するのであれば、高次元の世界は物理的な制約を受けた我々三次元の世界を内包していますので、想いというものの影響力がこの肉体の次元に対して

医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 食について考える Ⅱ

皆さんの近くのスーパーなどへ行かれると、外国産の果物がよく売られていると思いますが、自分はなるべくならそれらのものは買わないようにしています。 少し古い話になりますので若い方たちはご存知無いかもしれませんが、日本車がアメリカで売れはじめた頃、アメリカのビッグスリー(GM  フォード クライスラー)を圧迫しているとしてデトロイトなどから日本車排斥運動が起こり、日本車をハンマーで叩き壊すというパーフォーマンスのニュースが日本でも配信されていました。 アメリカはこの時の日米貿易交渉で、日本車に規制をかけてアメリカで売れなくするる代わりにアメリカ産の農産物を日本側が輸入するよう圧力を掛けて来ました。 当時日本では規制され、ヨーロッパでも禁止されていた防腐剤を、アメリカの柑橘類等の農産物は使用していましたけれども、日本は自動車との交渉の見返りにその規制を緩めてしまい、今現在でもそれは続いております。 これは所謂バーター取引というやつで、日本車を売らせててもらう代わりに本来なら輸入できないアメリカ産の農産物をアメリカの言いなりになって受け入れたという話です。 我々国民は、そのような健康被害が出る恐れがあるものを食べさせられているのです。 アメリカ産のオレンジなどは輸出する前に防腐剤のプールにどっぷりと浸かっており、それを見た人は二度とそのような恐ろしいものは食べられなくなると言います。 またアメリカ産の牛肉も非常に問題があり、アメリカ産の牛肉には大量の抗生物質が入っておりこれはヨーロッパでは厳しく規制されているものです。  そしてショッキングな話ですが、動物保護施設で安楽死させたペットたちが、毎年数百万頭牛の飼料として攪拌機に投げ込まれ牛のエサとなっています。 それだけではありません、牛や鶏等の排出する大量の糞は処分するには莫大な費用が掛かるので、牛の飼料に混ぜて食べさせているのです。 また家畜のエサとなる穀物は、人間の食料に比べると非常に基準の緩い高濃度の農薬残留が許可されていて、それらの穀物を飼料として牛は食べており、当然の事ながら遺伝子組み換えの穀物がえさになっています。 本当に何故、自民党政府はそのようなものを輸入して国民に食べさせているのでしょう? はっきり言って忖度しているか、彼らの言いなりになっているとしか思えません。 自分はアメリカ産の果物類は絶対に購入しません

医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 食について考える Ⅰ

自分の会社を立ち上げてから、すぐお隣にインド料理屋が後を追うように出来たせいもあり、その店を含めて昼夜食共に本当に頻繁に外食ばかりしていました。 インド料理の店が開店してからはそれこそ東京などへ出張へ行った日を除いてほぼ毎日、下手すると昼夜カレー三昧の日もあり一年以上食べ続けましたが、自分でも何でこんなに食べ続けても飽きないのだろうと当時不思議に思ってはいました。 これについては、ずっと後になってから知り合った霊的素養のある友人に、〇〇ちゃん、あなた過去世でインドでヒンドゥー教の行者だったことがあるよね、と言われ、だからあれだけ狂ったように毎日カレーを食べ続けたのだということが妙に納得出来てストンと腑に落ちました。 今でもあちこちのインド料理屋を見つけては食べに行くことに余念がなく、幸いにしてと言えばよいのか今住んでいるところもぐるりと取り囲む様に四軒のインド料理屋があり、すべて大当りでそのうちの一軒は昨年、モーニングのチーズナンに嵌まり50回近く通いました。 話が少し逸れましたが、当時は家に帰れば帰ったで、スーパーの出来合いの添加物まみれの惣菜を毎日のように飽きもせずに食べており、食生活の点から見ると本当に無茶な生活をしていました。 ですからいろんな持病がそれと呼応するように身体に出てきたのは、至極当然の結果だったのだろうとと今では理解しています。 今の食事について話しますと全くその反動で、マクロビオテックを中心に食材にも徹底的にこだわり、ジャンクなものはほんのたまでなるべく食べず、たとえ質素でも良いのでとにかく出来るだけ自炊するようにしています。 煙草は十年以上前に止めましたし、飲酒も現在の医学で明らかになった身体に負担が掛からないと言われている適量を守った生活をしています。 マクロビというのはマクロビオティックの略で、久司道夫という日本人が世界に広めた食事の取り方で、彼は最初はアメリカに渡って広めていったのですが、現在では自然食という名とともに日本やヨーロッパに迄広く知られております。 それは、肉や卵、牛乳といった動物性中心の食事から、玄米ご飯、野菜を中心に、キノコ類、海藻類、そして味噌、醤油、ヌカ漬、納豆等の発酵食品を取り入れることによって、和食的な食生活をするというものです。 そこに時々肉、魚を摂るといったものですが、特に日本人の身体には身土不二、地産地消

医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 健康寿命について考える Ⅳ

さて、話を今回のトピックに戻す前に少しだけ前の話をさせてください。 自分も以前は地球人に爬虫類人類が混ざっていたり(人類と宇宙人のハイブリット)、人類の歴史に宇宙存在が関わっていたりといった類いの話をする人達は、殆ど誇大妄想癖のある人達なのではないかと訝っていたのです。 しかしやはりSさんからの写メールではっきりとUFO が写り、さらにどうみても人間ではない宇宙人が写っているのを見せられ、Sさん自身も宇宙の異次元と繋がる事が出来るということを彼女と接して認めざるを得ない状況になって、そこで初めてそういった人達の話も決して妄想等ではないと思う様になりました。 世界一の軍事技術を誇り、そういった存在と遭遇する確率の一番高い存在であるかの米軍も、今のところ決して対外的には部分的にしか認めていませんが、高次元の宇宙存在が居るということを内部でははっきりと認めております。 これはもう世間の認知度がどうこうの話ではなく、自分的には確実にそのような存在が居るということを認めざるを得ないし、さらに言えばそういったことを認めることで人類の歴史の辻褄が合わなかったハズルの全体像がやっと見えてくる様な気がするのです。 (自分から見て信頼するに足る方の霊言(OR氏ではありませんよ(笑))を最近良く見る機会があるのですが、古代人類の創世記に於いてはその様な高次元の宇宙存在が関わってくる記述が多々見受けられるのもむべなるかなと思われます) さあ話を戻しましょうか。 自分は去年の春まで2000年から2002年迄限定生産されたトヨタのWiLLというコンセプト車に乗っていました。 その車も車検を受ける毎に、キーシリンダーが壊れ、ドアロックの不具合が起こり、給油口の蓋が閉まらなくなり、エンジン音がカラカラ異音がする(不整脈)ようになってルーフ(頭)部分の塗装がとうとう剥げて(禿げて)きた為、やむ無く二十年目にして手放しました。 昨年、次の車の買い取りで数万円で下取りはしてもらいましたが、要は廃車、肉体的に言えばその寿命を全うしたということです。 思えば初年度登録からすると二十年間、走行距離も十九万キロ弱乗りましたので、人の寿命で言えば金さん銀さん並みと言っても決して大袈裟ではないでしょう。 そして前回のブログで、ボルボの240ステーションワゴンを十三年目にエンジンのオイル漏れで手放した話をしましたが、

特別投稿 キリスト教について考える 再掲

前回投稿したトピックは、途中まで書いたものを誤って投稿してしまいましたので、再掲させて頂きます。 先日、ある方とキリスト教についてお話をさせて頂く機会があり、思うところがありましたので、今回イレギュラーでこのトピックを投稿させて頂きます。 日本以外の世界の多くの人達が信仰していて、歴史的にも重要な位置を占めている宗教に、世界三大宗教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教があります。 この三つの宗教はその派生した年代順も上記の通りで、一般的な日本人の感覚では意外かもしれませんが、それぞれの宗教の信ずる神は実は同じでヤハウェと言います。 ですからこの三つの宗教の信者はその信じる神は唯一、絶対無二の存在であり全ての万物の創造主でもあるので、我々人間をも神が創造したということになるのです。 彼等にとって神というものは全知全能の絶対的な存在であり、宇宙の全ての摂理の源であり、彼等もその理の中に在るのですから、人間はあくまでも神に造られたという意味においては神の所有物であるということが出来、あまりにも圧倒的で決して逆らうことの出来ない恐ろしい畏敬すべき存在でもあるのです。 その構図からすると絶対的な神がまず在り、その創造物である人間がその下に位置すると言うことになります。 それに対して我々日本人は八百万の神というと言葉がある通り、この世界を創造した絶対的な神もいれば天照大御神という太陽神、地球意思という神、日本という国生みをした神、我々人間の周りの全ての自然を司る神、豊穣を司る神、日本中に数多ある無数と言える神社が派生した元となる自然霊、霊人、眷属神等々あらゆる存在を我々は縄文の世から受け入れて来ました。 ですから我々日本人にとっての神という存在は、決して上下関係ではなく、日本人の魂があくまでもその中心であり、その周りに無数にあらゆる神々がつながっているという構図になるのです。 この日本人の神との対峙の仕方は世界から見ると極めて特殊であると言えます。 ですから自分の様な霊的な摂理を受け入れた様な魂でも、周りのあらゆる存在に対して神の発露を見て取ることが出来るのです。 しかも自分は過去世においてカソリックの信者でもあったという人生を体現していますので、キリスト教の三位一体である神の子イエスやマリア様に対しても、日本人でありながら非常にシンパシーを感じ取ることが出来るのです。 自分

医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 健康寿命について考える Ⅲ

ここからは自分の想念の世界の話になります。 日本人の身体の寿命や健康寿命と、日本車の精神性のフィルターを掛けた部分での特性には非常に新和的とも言える重なる部分が有ります。 日本人は男女ともに世界でもトップクラスの長寿を誇っているのは皆さんご存じの通りで、日本車も前回お話した通り、その耐久性の点では世界の追随を許しません。 そのどちらも世界的なレベルではトップクラスであると言えます。 ここで自分の事を例に取ってみましょうか。 自分は三十代迄は至って健康でした。 四十代になってすぐに、まず痛風の発作が出ました。 痛風と言うのは殆どの場合男性特有の病気で、体内にあるプリン体という物質が血液中に濃くなり結晶化することにより手や足、関節等の末梢神経に刺さって痛みが起こり、悪化してくると紫色に患部が腫れあがってしまうような場合もあり、発作が起こると非常に痛みを伴います。 都合の悪い事に足の指の関節に発作が出る場合が一番多く、一旦発作が出てしまうと痛み止めを早急に飲むか注射を打つかをしなければ歩行困難になってくるという極めて厄介な病気です。 あまり詳しく書くと長くなりますのでここまでにしておきますが、父親や兄弟も痛風の発作がありましたので自分の場合には遺伝的な要素も潜在的にはあったと思われます。 そして五十才になる手前頃には血液検査で血糖値が引っ掛かりました。 これは今現在でも継続してはいますが、幸いなことにインスリンを打たねばならない程非常に悪いという数値ではないので、(血糖値の上限を越えてはいるので医者はしつこく言ってくるものの)薬を飲むことは未だに拒否している状態です。 そして五十代になると前立腺肥大になって来ました。 前立腺が肥大化するとどうなるかというと、尿道を圧迫するので尿が出にくくなるという症状が出るため、尿が出易くなる薬は現在はどうしても欠くことは出来ません。 今のところはこの様な健康状態で、重篤な深刻な持病などは特にありません。 もしもどなたかが新車で日本車を購入しても、最初の車検迄は全く不具合が出ない場合が殆どなように、皆さんも二十代迄は持病があるという方はあまりみえないでしょう。 しかし、車検も二回目、三回目ともなると場合によってはぼちぼちと故障箇所が現れ始め、四回目、五回目ともなれば殆どの場合なにがしかの故障が起こり修理が必要となってきます。 それ以降は今

医療と薬(ワ〇〇ン) 身体の相関関係  健康寿命について考える Ⅱ

(皆さん、何でこのタイトルで車の話が出てくるの?と思われているのでしょうが、もう暫くお待ち下さい。) そして日本車について言及すると、とにかく日本車は耐久性の面で他の外国車と比べると殆ど壊れない、(デザイン的な好みは別にして)これは世界共通の認識と言ってもよく、ネットなどで海外のそのような信頼性、何年所有したか、不具合の度合い等の類いの調査会社のレポートを見ていると決まって日本のメーカーが上位を独占しています。 (アメリカでのブログを見ると数十万キロから百万キロ走ったという猛者の日本車の所有者の話がゴロゴロしていますから、国土の広いアメリカでは何もないところで万が一故障でもしたら生命にかかわる問題でもあるので、日本車があれだけ信頼され売れているのです) その様なレポートを見ると、日本のメーカー対それ以外の海外の自動車メーカーというハッキリとした二極的な構図を見て取ることが出来ます。 何故世界と日本ではこの様な差異が出来るのでしょうか。 これは良く言えば日本人の道を極める職人気質、穿った言い方をするとガラパゴス的、変態的(海外から見れば)なオタク気質の極みのようなもので、日本人の民族的な属性から来るDNA に刻まれた精神性の部分の発露といえるものだと思います。 あるメーカーのエンジニアの話を読んだことがあるのですが、トヨタのようなハイブリッド技術は言わずもがな、日本のエンジン技術は海外メーカーがいくら日本車のエンジンをばらして研究し組み立ててももまったく同じ精度、性能のものは造れないという話を読んで、これは微細に至る感覚的な部分がどうしても彼等には出来ないのだそうです。 彼等海外のメーカーが温暖化という口実を良いことに、強制的にEVにシフトしろといった難題を吹っ掛けているという話も、上記のような話を見るとあながち嘘でもないような気がします。 ここまで来ると、この話はクラフトマンシップという三次元的な話の範疇には収まらず、霊的な部分での琴線に触れるような感覚の話になってきます。 そもそも物や物造りというものは、それに関わった人の念が移ったり想いが強く作用しますので、これはある意味至極当然な話なのです。 (少し話はそれますが、自分は一切気にしませんが勘が鋭い人は骨董や古着が駄目という人は世間ではちょくちょく居ますよね。それは前の所有者の愛着していたという念をその人が感じ取

医療と薬(ワ○○ン)身体の相関関係  健康寿命について考える Ⅰ

今回このタイトルのトピックと、以前に載せた「統一原理教会の闇」以来の、国内最大のあの宗教団体についてのブログのどちらを書こうか迷ったのですが、昨年末「霊媒体質の人々」のブログを三十六章迄引っ張ってしまいましたので、少し毛色を変える意味で今回はこちらのトピックを選ばせて貰いました。 日本人の健康寿命は男性で約七十二歳、女性は七十五歳だそうですが、健康寿命というのは日常生活を営むうえで支障をきたさずに生活出来る状態を健康寿命と呼ぶのだそうです。 現段階での日本人男性の平均寿命は約八十一歳、女性の場合は約八十七歳ですので(四捨五入しています)、日常生活に重篤若しくはある程度の制限のある期間が男性の場合九年、女性では十二年あることになります。 しかし誰もが願う様な理想の人生の終わり方は世間で言うところのピンピンコロリで、誰しも胃ろうや寝たきりの状態はなるべく経験したくはないでしょうし、出来うるならばその期間が短いのが良いというのはどなたもが願うところでしょう。 さて、 自分が以前から思っていた仮説に、それぞれの国の民族の特質としての国民性とその国で生産された車には非常に親和性があるというものがあります。 例えばアメリカ車を例にとると、非常に造りが雑で大雑把、良く言えばおおらかな国民性そのものですが、細かな初期トラブルはあるもののそれをこなせば結構頑強に乗る事が出来ます。 少し前の事になりますが、とある駐車場に止まっていた変わったデザインの車があり、その車を何気なく見るとドアの横のラインの建て付けが真っ直ぐではなく若干ずれているのを見つけ、ひょっとしたらと思って正面に回るとやはりその車はテスラ(アメ車)でした。 自分は幼い頃から未熟児であまり目が良くはなく、そんな自分でもドアの段差が有るのが分かった位ですが、テスラといえば相当高額な車で、しかもその車はSUVでしたからテスラの中でも高価格帯の車両のはずです。 これがもし日本車であれば、その10分の1の価格の軽自動車でさえ絶対にあり得ない話です。 そんな車は日本のメーカーでは検品段階で出荷差し止めになるでしょう。 ヨーロッパに目を移せば、イタ車はデザインには素晴らしいものがあるもののメカ的にはまるで信頼性がない、これは昔からそうで、以前やっていた会社の隣にあった、インド料理屋でバイトをしていた知り合いの乗っていたフィアットパンダ

新年明けましておめでとうございます。

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昨年はコロナ騒動の後遺症的なゴタゴタや、プーチンがアメリカの挑発に乗りウクライナに軍事進行するなど(ゼレンスキーはアメリカの傀儡政権ですから)、何かときな臭い一年でしたが、今年も残念ながら世界的にみれば経済問題を中心にいろんな事が起こりそうな予感がします。 これからも当分続きそうな、混迷を深めた世界情勢の根本的な原因は、結局は物質至上主義の欧米で生まれた経済原理によるものであり、そういった如何にも三次元的な目にみえる有限の世界のみの価値観を追求した結果として今の世界情勢が起こっているのではないかと思うのです。 今現在の気候変動の問題も、彼等白人が科学によって自然を征服しコントロールしようとした事が根本原因となっています。 そこにはこの地球を支配しているのは人間であるという傲慢さが、見え隠れしています。 一介の政治家である筈のプーチンの資産は一説によると十兆円以上だそうで、何故彼がその様な蓄財が出来るのかも異常としか言いようがありませんが、あちこちには彼の別荘や邸宅があり、自分がSNS で見た彼の家はまるで中世の王族の城のようでした。 方や物質至上主義の権化の代名詞ともいえるのが、アメリカの軍産複合体に代表されるディープステート達で、彼等上位のたった数パーセントがアメリカの富の実に八割以上を寡占しています。 今の現実世界の歪みはまさにこのような価値観が蔓延している事に因るものと言えるのではないでしょうか? これに対して我々日本人は古来より、目に見えざるもの、精神性こそが日本人を律する根幹にあると考え、自然と人間は二元的な別の存在ではなく、渾然一体となった調和の取れた暮らしを我々は営んできたのです。 これすなわち、霊的な摂理に完全に当て嵌まるものであり、我々が縄文の神代から営営と受け継いできたものなのです。 プーチンやディープステートの連中は、彼等があくせく稼いだ富の果たしてその万分の一さえもあの世に持っていけるのでしょうか? 彼等が唯一持っていくことが出来るのは、彼等がどの様な想いでこの世で一体何をしたかという事実だけなのです。 前回、天の貯金のお話をしましたが、想念こそが霊界を律するものであるのならば、己の霊性を上げる為や子や孫の運気を上げる為に他人に尽くすのであれば、それは全くの無為な行為で利子が増えるどころか返って因果律の影響を受けるやも