医療と薬(ワ〇〇ン) 身体の相関関係  健康寿命について考える Ⅱ

(皆さん、何でこのタイトルで車の話が出てくるの?と思われているのでしょうが、もう暫くお待ち下さい。)


そして日本車について言及すると、とにかく日本車は耐久性の面で他の外国車と比べると殆ど壊れない、(デザイン的な好みは別にして)これは世界共通の認識と言ってもよく、ネットなどで海外のそのような信頼性、何年所有したか、不具合の度合い等の類いの調査会社のレポートを見ていると決まって日本のメーカーが上位を独占しています。
(アメリカでのブログを見ると数十万キロから百万キロ走ったという猛者の日本車の所有者の話がゴロゴロしていますから、国土の広いアメリカでは何もないところで万が一故障でもしたら生命にかかわる問題でもあるので、日本車があれだけ信頼され売れているのです)


その様なレポートを見ると、日本のメーカー対それ以外の海外の自動車メーカーというハッキリとした二極的な構図を見て取ることが出来ます。


何故世界と日本ではこの様な差異が出来るのでしょうか。


これは良く言えば日本人の道を極める職人気質、穿った言い方をするとガラパゴス的、変態的(海外から見れば)なオタク気質の極みのようなもので、日本人の民族的な属性から来るDNA に刻まれた精神性の部分の発露といえるものだと思います。


あるメーカーのエンジニアの話を読んだことがあるのですが、トヨタのようなハイブリッド技術は言わずもがな、日本のエンジン技術は海外メーカーがいくら日本車のエンジンをばらして研究し組み立ててももまったく同じ精度、性能のものは造れないという話を読んで、これは微細に至る感覚的な部分がどうしても彼等には出来ないのだそうです。


彼等海外のメーカーが温暖化という口実を良いことに、強制的にEVにシフトしろといった難題を吹っ掛けているという話も、上記のような話を見るとあながち嘘でもないような気がします。


ここまで来ると、この話はクラフトマンシップという三次元的な話の範疇には収まらず、霊的な部分での琴線に触れるような感覚の話になってきます。


そもそも物や物造りというものは、それに関わった人の念が移ったり想いが強く作用しますので、これはある意味至極当然な話なのです。
(少し話はそれますが、自分は一切気にしませんが勘が鋭い人は骨董や古着が駄目という人は世間ではちょくちょく居ますよね。それは前の所有者の愛着していたという念をその人が感じ取るからです。)


今回の話の一端を表す例で、日本人の世界とはかけ離れた特殊性を裏付ける話があります。


東京医科歯科大学の教授であった角田忠信教授は、キューバでの学会に参加された際、会場の周りで「虫の音」が蝉しぐれのように激しく聞こえているのに、他の参加者にはその「虫の音」が聞こえていないことに気づき、日本人の耳と、外国人の耳には違いがあるようだと考えた事を切っ掛けに、その事について研究をされました。


彼の研究では人間の脳は右脳と左脳とに分かれ、それぞれ得意分野があり、右脳は音楽脳と呼ばれ、音楽や機械音、雑音を処理し、左脳は言語脳と呼ばれ、人の話し声の理解等、論理的、知的な処理を受け持っているそうです。


この脳の機能自体については日本人も日本人以外の人達も同じなのですが、虫の音をどちらの脳で聴くかという点では明らかな差異があり、日本人以外の海外の人々は虫の鳴き声を音楽脳で雑音として処理するので脳の機能がその音を抹消するのに対して、日本人は虫の鳴き声を言語脳で受け止め虫の声として聴いているのだということを彼は突き止めました。


アメリカのブログなどを見ていると、西洋人は激しいセミの鳴き声を、騒々しいうるさい雑音だと認識しますが、日本人は、セミの鳴き声を人の声と同様に言語脳で聞いているので単なる雑音とは捉えずに、俳句などでも風流な季語として愛でることが出来るのです。


このような特徴は世界でも日本人以外には殆ど見られず、夏のセミの鳴き声や秋の虫の音、風や雨音、波といった自然の音についても同様に日本人は左脳で聴いているそうです。


日本人が他の国々の人々と違ってある部分ではきわめて情緒的といわれているのは、霊的な意味での特質とも言え、風流、詫び、寂びや究極的に道を極める職人気質などにその発露の一端が見て取れます。


お天道様が見ている、いただきます、もったいない、その他にも日本語には他の言語に訳したり理解する事が難しい言葉が沢山有ります。


この様に日本人の民族の気質の一端を表しているのが日本車であるのであれば、我々の身体といったいどの様な相関関係があるのでしょうか。



続く

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