医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 食について考える Ⅲ

今日、愛犬のおやつの石焼き芋を買いに近くのスーパーへ出掛けて行きました。


お店の入り口を入って直ぐ右手のところにのコーナーがあり、何種類かのバナナが置いてありましたが、一番下の段の何本もが房になって百円以下で売っている物を見ると案の定、D〇〇Eのバナナでした(笑)。


フィリピン産のバナナ、特に安く売られているものには結構な問題があり、大規模なバナナ農園では営利追求の効率性からセスナ機で大量の農薬をばら撒くため、そこで働く貧困層の小作農の方達の重篤な健康被害が問題となっています。


この構図は途上国での大規模農園ではステレオタイプの様に何処でもみられる問題でして、昔のアメリカでは綿花農場で黒人奴隷が過酷に使役されていましたし、そういった悪しき慣習が踏襲されているのか、今現在でもカカオやコーヒープラント等で幼い子供達が低賃金で過酷な労働環境にさらされております。


自分はフィリピンでのそういった事情を知ってから穀物メジャーの扱うバナナは一切買わなくなり、数年前からは某コンビニで売っているエクアドル産の田辺農園のバナナをもっぱら購入するようになりました。


しかし、たとえ自分が買わなくなったからといって、フィリピンの小作農の人達の暮らしが決して良くなる訳でもありませんが、そのようなバナナを購入することによって穀物メジャーの利益に少しでも資する様なことは、やはりしたくは無かったのです。


そういった想いは実は非常に大切なことで、何度か過去のブログでもお話させて頂いている様に、我々が今現在肉体を以て住んでいる三次元の世界とは違い、魂の世界では想念こそがその本質であり、我々が肉体の奥底に隠し持った想いも、一度肉体を脱ぎ捨てて魂となった瞬間にすべてさらけ出されて露見するというのが霊界の摂理なのです。


ですから霊界にはオレオレ詐欺や振り込め詐欺といったものは、絶対に成り立ちませんし存在しません(笑)。


霊的な摂理に少しでも理解のある方であればご存知の通り、祈りというものには非常に大きな力があり、それと同じように、善なる意識の想いにもやはり大きな力があります。


我々のこの三次元の肉体を纏った世界の外側に、魂の世界(霊界)というそれよりも高次元の世界が確かに存在するのであれば、高次元の世界は物理的な制約を受けた我々三次元の世界を内包していますので、想いというものの影響力がこの肉体の次元に対して非常に大きく作用するということも至極当然な道理であると言えるのです。


逆説的に見れば良くない想念を癖、性分のように出していると己の魂のステージも段々と下がりますし、今世での運気も結局は落ちることになります。 


しかしこれはあくまでも善なる側面からの価値観であり、堕天使であり悪魔の王たるルシファー達のような悪魔的な存在からみれば良い兆候なのでしょう。


残念ながらこれから先、暫くは混沌とした時代が続くと自分は思っておりますが、魔王ルシファーでさえも所詮は神(神界)から落とされた存在であることを思えば(かの存在は、かつては神の右座に座る大天使でした)、如何に抵抗しようとも彼等も所詮は消え行く運命にあるのです。


極めて日本的な言い方をするならば、肉体の内なる魂とは神的な存在の分け御霊であり、特に我々日本人は天照大神の霊光の内にあり、更に我々には産土の神がついているのですから、天照大神が日本人の魂の主護霊であるとするならば、産土神は指導霊と言えるのではないでしょうか。


すみません、実は他にも自分が体験した重要なお話が有るのですが、どうしても話がそちらの方へ行きがちで今回のブログの主旨からますますす離れていってしまいますので、またの機会に致します、次回も続きます。















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