医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 酒と煙草について考える その五

今ではれっきとした病院で禁煙パッチというニコチンを塗り込んだシールを身体に張り付け、皮膚からニコチンを吸収することにより禁煙の禁断症状を和らげるという医療行為が確立されています。


それはシールの大きなものから段々と小さいものへ張り替えていって、最終的に禁煙を成功させるという方法で、いったいその医療行為がどれ程の禁煙成功率なのかは自分には分かりませんが、少なくとも自分が繰り返し禁煙に失敗していた頃にはそのような治療方法は無かったのではないかと思います。



話は変わりますが、十年以上前のある時期、父親が所有している家の内外装等の修理を親から頼まれて、自分が仕事に行く前の朝の数時間をその手伝いに充てているこがありました。


今ではハッキリとは覚えていませんがその作業は結構長く掛かって、一年位はいろいろと修理が続いたでしょうか?


そんな頃には自分も禁煙をすっかり諦めていて、毎日当たり前のように二箱吸っていたのは確実で、三箱目も半分残すか殆ど吸ってしまうかという日々が続いていました。  


その日もいつも通り午前中の早い時間に父親の家へ行き、黙々と壁の修理作業に取り掛かっていました。


作業をしている最中というのは怪我をしないように黙々とその行為に集中しているので、殆ど他事を考えるというようなことは無いのですが、その日は作業をしている最中に突然、

これ以上煙草を吸っていると身体がマズイことになる、一刻も早く煙草は止めないといけない

という想いが何故だか急に心のなかに湧いてきて、自分でも何が何だか訳が分からず、そのまま作業を続けていました。


先程もお話しした通り禁煙などとっくに諦めて、禁煙という言葉さえ頭の片隅にも無かったからこそ、そんな想いが突然湧いてきた事に戸惑ったのでした。


そしてその日もいつも通り決まった時間に作業を済ませて、自分のお店へと戻りました。


店の前まで来てシャッターをがらがらと開けて中へ入ると、テーブルの上に昨日吸っていた煙草の残りが十本程そのまま置いてありました。


おもむろにその箱に手を伸ばし、一本だけ取り出してゆっくりと吸った後、残りの煙草は握り潰して吸い殻の一杯詰まった灰皿と一緒にゴミ箱に捨ててしまいました。


これが自分の人生で吸った最後の煙草になりました。


そして不思議なことにあれだけ何度も繰り返しながら失敗し続けた、まるでのたうち回るような激しい禁断症状もどういう訳か一切起こりませんでした。


煙草を捨てた次の日からも、本当に全くイライラするような事もなく、まるで今まで煙草など吸ったことも無かったのではないかと錯覚を覚えるような奇妙な感じでした。


このブログの読者の方は既にご存知の通りで以前にも書きましたが、その前後辺りから自分にはいろいろな(霊的)体験をしているものですから、今ではあの禁煙に至る迄のどうにも説明のつかない体験は、守護霊さんが自分を助けて頂いたのだということがハッキリと自分には分っています。


もしもあのまま毎日五十本も吸い続けていたら、その後そう遠くない将来におそらく重篤な肺の病気に掛かっていた事でしょう。(その事は今にして思えば物凄く感じています)


何せ人生の半分、四十年もの間毎日結構な本数の煙草を吸い続けていた訳ですから、何とか残りの人生ギリギリ命が間に合ったという事でしょうか。


自分は両親も既に他界してからある程度の年月が過ぎておりますが、自分が今こうして在るのは本当に自分を産んで頂いた両親のお陰であり、ご先祖様方や己の魂を見守って下さっている守護霊さんをはじめその他多くの霊人の方々にはひたすら感謝の言葉しかありません。


本当に有難いことです。



次回はいよいよ結びです。










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