医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 酒と煙草について考える その六

煙草を吸っている人が一日に何本吸っているか、そしてその吸っている期間がどれだけかを掛け合わせた数値が高ければ高いほど、本人の身体に与えるリスクは高くなりますし、麻薬のような依存性や習慣性も数値に比例して高まっていきます。


世間ではよく、自分のお爺ちゃんはヘビースモーカーだったけど九十歳迄生きたから煙草を吸っても大丈夫だという様なことを言ってみえる方がおりますけれども、あれはよくよく考えればわかる話で、そういったものはあくまでも個人の身体の資質の差異の話であって、人と比較対象してどうこうというものでは無いのですよね。


極端な事を言えば、たとえヘビースモーカーでも九十歳迄人生を全うした人も居れば、全く煙草を吸わないにも拘わらず四十代で肺癌を患い死んでしまう方もなかには居るわけです。


自分の場合で言うと、ヘビースモーカーとはどういう者なのかということを四十年の間自身の身を以てしっかりと体現してきた訳です。


吸い始めた最初の頃はまだ吸う本数も少なかったので、後半の一日五十本との間を取ると平均して三十五本だとして、掛ける365日掛ける四十年とすると、その数値は511,000本というとてつもない数字になります。


そして自分が煙草を吸い始めた頃の煙草の値段は確かセブンスターが百円で、やめた頃はいったい幾らだったのか調べたところ三百円の時にどうやら止めていますので、値上げの変遷から逆算して後半の方が沢山吸っていたことを考慮すると、おそらくは一本十二円位になり、掛ける事の511,000本で何と⁉️ その金額は六百十三万円になります。


もしもこの煙草代を当時の金利で福利で毎月定期積み立てをしていたとしたら、数千万というとてつもない金額になっていたでしょう。


いや、五十年前からのことですから、当時のバブル前の高かった金利を考えると福利計算をしたらひょっとしたら億に届いていたかもしれません(笑)、面倒臭いのでいちいち計算はしませんけれどもね。


まさに字の如く煙となって消えた訳です、しかも神さんからお借りした大切な身体を痛めて。


前回のブログでお話しした通り、自分は世間で言うところの不思議な作用によって、幸いにもある日突然、苦もなく煙草をやめることが出来ました。


もしもこのブログをご覧の煙草を吸ってみえる方がおられるのであれば、やはり煙草は止められるのであれば出来ることなら止めた方が良いと思います。


四十年の間吸い続けて来て、なおかつ当時の自分の身体を内観してみた結論はそれしかありません。


お金も掛かるし本人の身体も痛める、部屋も臭いが付くし壁も汚れる、副流煙で周りの人の健康にも大きく影響する、寝タバコで火事を起こす可能性がある等々、極端な事を言ってしまえば、いろんな意味で煙草は百害有って一利なし!!
  と言ってしまいたいところですが、煙草を吸っていた頃に確かに一利は有るなと思ったことがひとつだけあります。


それは何かというと、イライラしたり感情が高ぶった時に煙草を吸うとスーッとその感情が治まっていって落ち着いてくるのですね。


おそらく煙草の成分のなかに高ぶった感情を沈静化させるというか、麻痺させる何かが有るのでしょう。


しかし煙草は嗜好品とは言うものの、あまりにもデメリットが大きすぎます。


自分もそうでしたが意外とやめてみたら呆気ないもので、やめても人生が変わる訳でも無いし、どうと言うこともありません。


それと煙草をやめると麻痺した味覚が戻ってきますので、食べ物がとても美味しく感じられる様になります、これはその後の人生にとってとてもデカイですよね。


それだけでもやめる価値は十分に有ると思います。


次回でこの章を締めます、酒飲みの方はお楽しみに。










          

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