苦節○○年 世界に羽ばたく日本のメタルバンド  後編


「人間椅子」はギターの和嶋慎治氏、ベースの鈴木研一氏、ドラムは今までに何人かメンバーが変わっており今現在はサイトウノブ氏が務めるという三人組の極めてシンプルなバンド編成で構成されています。


この「人間椅子」というバンド名については、大正から昭和期にかけて活躍した怪奇小説作家としてつとに有名な江戸川乱歩の短編小説のタイトルから取ったものです。


名は体を表すという言葉の通り、和嶋氏、鈴木氏ともにイギリスでカルトな人気のあった「ブラック サバス」(彼等の代名詞となるような初期の大ヒット曲は「パラノイド」で自分も当時シングル盤を持っていました)の大ファンだったことから、グループの名前もおどろおどろしい雰囲気にしたかったのでしょう。


「人間椅子」が非常にユニークなのはそういったブラックサバスのような雰囲気に1970年代のプログレ的なハードロックが加わり、更に重要なのは両氏ともに青森県、弘前(ねぷた祭りで有名)の出身で、和嶋氏が三味線的なギター奏法を曲に取り入れたり、恐山に代表される様ないかにも青森の一種独特な風土を連想させる曲作りをしたりしていて、それが彼等の強烈な個性の一部となっているのです。


また、明治、大正、昭和初期の日本文学から着想を得た古典文藝ロックという独特のジャンルも彼等の持ち味で、最初にお話した和嶋氏の如何にも明治の文豪のようなステージでの和装の出で立ちや、鈴木氏の顔を白塗りしたまるで妖怪のような怪しい怪僧ぶり、ノブ氏のリーゼントにテキ屋を連想させるステージ衣装も如何にも日本のバンドっぽい雰囲気を醸し出しており、近年海外でバズった(数年前の曲「無常のスキャット」が何と1400万回再生!)のはそういった独特のステージでの雰囲気や日本的な曲調も大いに関係があるのではないかと思います。


大須のライブのステージでは和嶋氏がバンド結成35周年であると話していましたので、彼等が「いか天」に出演したのは彼等がちょうどバンドを結成して一、二年後のあたりということになります。


しかしご多分に漏れずプロで食っていくのが難しい他の多くのバンドと同様、彼らも大学の卒業を控えて就職の時期となりました。


鈴木氏は上智大学の外語学部ロシア語学科出身で、既に某大手上場企業に就職が決まっていたのですが、たまたま行ったレコード店でブルースのレコードを探しに来ていた和嶋氏と偶然鉢合わせをし、鈴木氏は何かの運命的なものを感じ取り就職を急遽取り止めてバンドで生きていく決心をしたのでした。


本当に人生というものは偶然のように装う必然がその道程で所々で顔を出す場合が誰にも有りますけれども、これには霊的な作用も多分にあり、彼等三人のその後の人生のピースを埋めることとなったのでした。


しかし和嶋氏、鈴木氏両氏ともにその後二十年以上にわたってバンドだけで飯を食っていく事は能わず、生きていくためにいろんなバイトを経験することとなりました。


自分は最近人間椅子の公式LINEアカウントに登録しましたけれども、今回のブログをLINEに送ったところ、鈴木研一氏から次のようなメールが来ました。


それによると鈴木氏が吉野家のバイトで二年間牛丼のアクを取り続けたというメールを頂き、アクを取るとやはり牛丼の味が断然違うという事を彼は力説されていましたが、鈴木氏はバンドが人気が出だしてからも暫くのあいだ郵便局のバイトを続けていたのだそうです。


「継続は力なり」という誰もが知る有名な言葉が有りますけれども、両氏ともに実に様々なバイトを続ける事によってバンド活動を諦めずに継続させ、その過程で苦労しながら経験した様々なこと柄のすべてが、後の彼等の代表曲であり至高のプログレの名と作言っても差し支えない「無常のスキャット」という曲を結実させることとなったのです。


自分は「人間椅子」の新参者ではありますけれども、この「無常のスキャット」がなければ未だに彼らのことを知る由もなかったでしょう。


如何に継続するという行為が大切なのかということを彼等自身が身を以て証明し、自分がいまその恩恵に預からせて頂いている訳です。


次回いよいよ最終回へ続きます。






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