ジャニーズ問題について考える 中編 ジャニー喜多川が冒した罪

元ジャニーズに所属していたタレントでカウアン某なる青年が、記者クラブに於いてジャニー喜多川が彼に対して行ってきた性的虐待について告発していました。


その内容たるやあまりにも酷いもので、つぶさに書くと倫理規定に抵触しバンされてしまうような描写になるかもしれませんし、皆さんを不快な思いにさせることにもなりますので、敢えてその内容についてはここでは触れません。


ジャニー喜多川氏は1962年にジャニーズ事務所を創業し、1975年に東京六本木に設立した事務所の社長を、彼が亡くなる2019年迄務めていました。


彼は事務所である自宅の一部を「合宿所」として利用し、所属タレントである若い少年たちを合宿所に集めて共同生活を送っていました。


そこが、半世紀のあいだ彼の性欲を満たすための温床の場となったのでした。


元ジャニーズJr.であった平本氏という人は、実名で合宿所での驚愕的な性的虐待行為を告発しており、単純に考えても2500人以上の少年達がジャニー喜多川の性加害の犠牲となったと訴えています。


この数字についてはジャニーの行為の軽重はともかく、彼がその行為を繰り返してきた年月の長さを考えると決して大袈裟なものであるとは思われません。


たとえ露骨な行為では無くとも身体に触れたりするようなものまで含めると、その数字はさらにとてつもないものになってしまうのではないでしょうか。


告発した平本氏によると、少年達に対する性的な行為は毎晩の様に行われており、やらない日は無かった、とまで彼は話しています。


それに対して受け身の側の少年達の対応は果たしてどの様なものだったのでしょう。


皆が皆、それを受け入れていたということはまず絶対に有り得無いでしょう。


おそらく一番多いのは、タレントとして有名になりたくてジャニーズに入ったのだから、その夢の為に多少のことは我慢をしようというものだったのでしょう。
(あまり今迄表沙汰にならなかった経緯を考えると、残念ながらこのケースが一番多かったと思われます)


しかし彼等も横の繋がりの情報交換をし、絶対にジャニーが手を出さない子の周りに固まって身を守るというような涙ぐましい努力というか、防衛策もいろいろと講じていた様です。


まあなかには、自身が同性愛で受け入れた少年も居た(とても有名で告白した人も居ます)でしょうし、その逆に耐えきれずに辞めていった人も少なからず居たことでしょう。


まことに信じ難い酷い話ですが、ある少年は実の親に「それぐらいのことはタレントになる為なのだから我慢しなさい」とたしなめられた人もいた様です。(信じられませんが事実です)


こうやってジャニーズのことを書いていると、自分の頭にどうしても浮かんでくるのは江戸時代の「大奥」という制度のことです。


大奥では時の将軍が絶体的な存在であり、その周りには最盛期で三千人もの女性達が居たといわれております。


大奥は基本男子禁制であり、内部での細かな規約はあったものの、その規約の範囲でお世継ぎを繋いでいくという大義のために大奥は「在る」のですから、当然の如く御手付きは時の将軍の意のままであったのは厳然たる事実です。


そしてジャニー喜多川も彼の事務所のなかでは絶対的な権力の存在であったでしょうし、少年達が彼の意向(欲望)に露骨に逆らえばデビューも覚束なかったのは想像に難くありません。


彼はこの現代に、自分の欲望を満たすために「現代版大奥」というものを作り上げたのです。


以前にも書きましたが、かえすがえすも日本のマスコミ(マスゴミ!)は国民を洗脳、誘導するための道具として利用されており、多くのマスゴミは己の保身や忖度の為に報道しない自由を行使しているのです。(すべてが駄目だとは言ってはおりません、3%の原理がありますので)

これは誠に腹立たしいかぎりですが、残念ながらこれが日本の現状なのです。
(まあ世界もあまり変わり有りませんが)


次回、いよいよジャニーの現世での行いをこのブログらしく霊的に検証していきます。
最終章へ続きます。









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