霊媒体質の人々 其の十六 ある宗教家の顛末 弐

その先生という人はもともとある宗教団体にみえた人でした。


先生が所属していたという教団は教祖と言われる人が江戸末期に生まれ、明治に入ってから信者数を徐々に増やしていって戦前の一時期には日本で有数の規模を誇っていました。


特定されない為に教団名は明かせませんが、今でも全国に一万数千か所の支部教会があり、おそらく殆どの人がその教団の名前をご存知だと思います。


先生も教団のある地区の支部に所属し熱心な信者さんでしたが、そこの支部長と支部の運営の仕方、考え方で衝突してしまい、結果その支部を抜けてしまったそうです。


詳しくは分かりませんが、おそらく当時からその先生には霊的な素養があったのでしょう、先生が支部を抜けるときに同じ支部にいた一部の信者さん達も先生に付いていって支部を脱会してしまいます。


それから以降先生は借家を借りて何か所かを移り住んでいた様で、たまたま自分の家の近くに引っ越しをされてから自分と知り合ったということでした。


初めてお邪魔してから何回か通ったでしょうか、行く度にお弟子さんのような信者さん達が何時も何人もみえていました。


先生のお宅にみえた人達というのは、元々の教団の信者さんと新しく信者になった人も結構居たようで、自分がよく話をした人で今でも印象が残っているのは、NGY市の建築資材の会社の社長さんという人が、自身が癌になった時に先生に助けていただいたということから通っているという人でしたが、他にもいろんな経緯の人達がみえていましたし、たまたまお邪魔した時に先生に相談にみえているという人も何人かおりました。


相談事は、どちらかと言えばやはり病気に関するものが多かったような気がします。


また、月に一度お参りの日というものがあり自分も是非にと請われ一度だけ参加させて貰いましたが、信者さん達が二間の部屋にほぼ一杯に集まり前の教団のやり方を踏襲してお参りをするというものですが、どういった関係なのかわざわざ千葉県から毎月みえているという人もいてとても賑わっていました。



部屋の間取りについては居間の正面に大きな祭壇があり、信者さんのお参りの時には神棚に向かって祈りを捧げ、相談者がみえたときなどにはその祭壇に祀ってある神様から御神託を受けていた様で、先生曰く最高次元の存在の神様がみえるという話でした。


自分はその先生からいたく気に入られ、その後何度もお邪魔しましたが、ある事件?  が切っ掛けとなりその先生とのご縁が切れる事となってしまいます。



続く





















コメント

このブログの人気の投稿

わが町の隠れ吉利支丹にまつわる話 その八

わが町の隠れ切利支丹にまつわる話 その十