ジャニーズ問題について考える 後編 ジャニー喜多川が霊界で受ける報いとは!
ジャニー喜多川氏が生前に行なってきた数々の行為は、因果律となって彼が愛し、育て、守ってきた事務所に必ずや降り掛かることとなり、彼が生きていた間、芸能界のなかで絶対的な権力を誇示していたその組織の揺るぎない座は、今後ますます瓦解していく事になるでしょう。
それはもう既に内部の人材の離反という形で現れておりますし、一部のファンの心も少しずつ離れていき、まるで波が引くように徐々に広まっていく事でしょう。
ジャニー喜多川氏の告別式に、元TOKYOの永瀬智也氏が詠んだ弔辞が自分には強く思い出されます。
「ありきたりな言葉を言ったらつまらないと言うような男だとわかってるので僕なりに言わせていただきますが、あなたは最高です。
最高以外の言葉が見つかりません。
ジャニーさんはカッコ良すぎるのでたぶん
地獄行きです。
僕も地獄を目指している男なのでまた地獄で会いましょう。
それまでゆっくりお休みください」
当時、彼の告別式での弔事は特に話題になるような事もありませんでした。
しかし今になって思えば、それらの言葉の行間にはカモフラージュされつつも、何とブラックジョークに富んだ真意が隠されていたことでしょうか。
その弔事の内容から、彼はおそらくは事務所に在籍時(今は事務所を辞めています)その渦中の当事者であったか、若しくはジャニーの性癖の悪行をよく知る者だったのでしょう。
彼の弔事はまさに言い得て妙ですが、実は仏教でいうところの「地獄」というものは霊界にはありませんし、閻魔様も居りません。
しかしジャニーは死んであちらの世界に帰った途端、己が生前行なってきた行為の数々を走馬燈のように一瞬にして見せられて、自ら進んでその魂の境地へとまっしぐらに堕ちていくのです。
(そう言えばネコまっしぐらというネコ缶のCMが以前に有りましたね(笑)、まさにその通り。)
人の世というものは一切の無為な事柄というものが無く、その人が彼の人生で行なってきたすべての行為は克明にその魂の内に記録されていきます。
そしてジャニー喜多川氏が生前に冒した罪や彼の行為は、一罰百戒の如く死後、彼の霊界での魂に過酷に因果律となって反転されるのです。
たとえばある人が現世で殺人を犯したとします、しかし何の証拠も無ければ彼は決して罪に問われる事もなく、のうのうと生きながらえる事ができるでしょう。
しかし霊界というところは、決してそのような甘い所ではありません。
霊界というものは想念の世界でもあるので、その魂が生前に肉体を以て行なった行為や想いというものが、その死後すべてあからさまになり、その魂はそれらのことを自らが受け入れるのです。
そしてその魂の境遇の世界へと自ら進んで堕ちてゆくのです。
ある魂が現世で体現したすべての事柄は、すべての責務がその魂自身にあり、己にすべて返ってくるので、自ら蒔いた種の実(結果)は、己自身にしか刈り取ることが出来ません。
因果応報とはよく言いますが、この様な霊界での摂理から魂の転生での因果律が生まれる原因となるのです。
ジャニー喜多川が逝ったその世界は、まるで地獄のようなところであるのは間違いありませんが、何と冷徹で恐ろしい摂理なのでしょうか?
今、世間を騒がせているお年寄りを狙った強盗など、己の我欲の為に悪行三昧にふけっている輩も、一罰百戒の法則で同じ地獄の様な境遇に堕ちていくのです。
因果律というのは決して悪い行いのみに働くというものでは無く、善い行いに対しても厳然と作用します。
それは利他の行為であり、愛に溢れた想いです。
此の世のあらゆる物質的な側面や(すべての)我欲にとらわれ、執着するということは、霊的な摂理の反作用となってその魂にすべて降り掛かってくるのです。)
このトピック、終わります。
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