お盆も近いので   世間の医者といわれる人達のある側面

自分の高校時代の同級生に、神道系の友人がいると以前のブログにも書きましたが(本当の神職ではありません)、彼の父親が、実はGf大学の医学部の教授をしていました。

当然の事ながら、彼の教え子達は、ほぼ間違いなく医者になる訳です。

この話は、自分がその同級生に会ったときに、たまたま訊いた話です。

ある年、Gf大学の医学部卒業生達の同窓会があり、勿論彼の父親である教授も招かれた訳ですが、そのときに出た同窓生の先生同士の内輪の話のなかで、何故か霊的な話になり、実は結構な数の医者達が霊の存在を信じているという事が判明したそうです。

まあ、彼等は大学時代の六年間にわたって実証的な、対処療法としての西洋医学を学んだ訳ですから、通常からいえばそういった話は出ないと思うのですが、実はといった内輪の話で、おそらく酒も入っていた事もあり、俺も、俺もという話になったそうです。

まあ、個人病院の肛門科や耳鼻科の先生ならそういったこともあまり無いのでしょうが。

やはり大学の付属病院や、病床数が多い大病院の先生達に特にそういった人が多い様です。

しかしそのような医者達は、よくよく考えてみれば、日常の彼等の仕事に於いて人の生死を扱う訳ですから、普通に考えれば至極当然の話ではあるのですが。

ところが彼等にも変なプライドがあり、公にはそういった話はあまり出ない、というか出さない様です。

なぜかというと、ごく普通の三次元的な世界で生きている同僚の医者にそんなことを言おうものなら、たちまち変人扱いされるからです。

あなたのお住まいの、近くの病床数の多い大病院では、こういった話は実はあるのですが、あまり表には出て来ない様で、勤務している医者や看護師の内輪の話で留まっている場合が殆どの様です。

まあ、ある人は死んでもそれに気付かないという魂もありますし(後述します)、何らかの想いや執着で成仏できない方もみえるようですから、本当に人それぞれというか、魂もそれぞれという事でしょうか。


続く








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