お盆も近いので   ある友人の話

今年は今日からお盆の入りになりました。

実は、自分も五十代の頃、地元の市民病院で高校時代の同級生と病死という形でお別れをしたのですが、そのときにちょっと不思議な体験をしています。

同じく仲の良かった別の友人と二人で、入院中の同級生の病床へお見舞いに行ったものの、T(入院中の本人)の意識は朦朧とした状態で、とても話せるような状態ではなく、声を掛けても全く何の反応も有りませんでした。

そこで暫くの間、看病をしていた彼の妹と病状等のやりとりをし、顔も見られたので早々と病室をおいとましました。

仲の良かった友人を誘ったのは、実は入院中のTの容態が極めて悪かったからでした。

そのときには、彼にはもうあまり時間は残されていないという状態でした。

退室してから、病室から相当離れた廊下で、一緒に見舞いにいった友人と本人の事について小声で話をしていたのですが、次の日、病室で意識が少し戻った彼が、急に妹に、お前、M(自分の事)にあの事を話したのかと少し怒っていわれたそうです。

廊下で友人と話していた事は病室では一切話しておらず、後日、妹との電話でのやり取りで、何で本人にわかったんだろうという話になりました。

そこで自分が思ったのは、人間は亡くなる直前の数日の間、肉体から幽体が抜け出てしまう事もあるようで、そのときの彼も全くの昏睡状態であった為、幽体だけ抜け出し、つれと話をしていた廊下の方へ来ていたのだと思いました。

人は、通常は肉体と幽体は霊線(シルバーコード)で繋がっており、本人が亡くなったときにその霊線が切れて幽体が離脱するのですが、亡くなる直前にはその線がほぼ切れかけており、今回のような事が起こりうる様です。

しかし希に、スウェーデンの科学者で神学者でもあったエマニュエル スウェーデンボルグのように、生前何度も幽体離脱をして、霊界の様相をつぶさに見聞してきた体験を大量の書として残した霊能者もいます。

Tはパソコンやプログラミングの天才で、ホンダのアメリカ工場のラインの立ち上げにかかわったおり、ラインのプログラムを組んでわざわざアメリカまで行き、現地のアメリカ人技術者達に教えてきたような奴ですが、高校時代は自分とは真逆で、古典や漢文、日本史等文系科目はからっきし駄目だった為、所謂、理系馬鹿というやつで国立へは行けませんでした。

自分も数学で赤点スレスレで引っ掛かり、落第しそうな学年の年があって、彼には試験前ずいぶん助けて貰いました。

自分が以前かかわっていた、地元のホームレス支援の団体のパソコンがウイルスにやられほとほと困っていた時も、彼には事務所まで何度も来て貰い、ボランティアでパソコンの復旧を助けてくれました。

あいつが未だ生きていた頃は、何でも彼に聞けば、全部スッと魔法のように解決してくれたよなぁと、今書きながら思い出しました。

今は彼が居なくてネット環境では滅茶苦茶苦労しているので、来世でもしご縁があったら、そういった操作の先生役としてもう一度生まれ変わってくれないだろうか?と、ふと妄想してしまいました。

今日は八月十二日でお盆の入りですが、彼が来たらブログにお前の事を書かせて貰ったよと伝えたいと思っています。


(このブログもお盆休みを取らせて頂きます、次の配信をお楽しみに。皆さんごきげんよう。)



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