ある最狂カルト集団の思い出 後記
N田さんという人は、坊主頭で口髭をたくわえ、一見普通の人とは明らかに違う雰囲気でしたが、男気もあり(ヤクザの組長だから当然か)、とても明るく陽気な人でした。
彼がどういった経緯で任侠の道に入ったのかは自分は知りませんが、オウムに入る前には既に組は解散していたようです。
その彼の人生があきらかに狂い始めたのは、霊的な体験を自らしたことがキッカケとなります。
彼はそれまで、そのようなものを一切信じない人生を歩んで来ましたが、その体験がきっかけとなり、たまたま見た雑誌の麻原彰晃の記事に惹かれオウムに入信してしまいます。
彼に霊的な体験をさせた存在というものは、確実に低次元の霊的存在でしょう。
結局彼はオウム解散後、自分で瞑想の団体を主催するのですが、程なくしてそのグループも消滅してしまいます。
それから十年ほど経ち、彼は趣味で生業にもしていた刀剣で事件を起こし、再び逮捕されてしまいます。
彼の人生を狂わせたと思われる低級霊という存在は、実は頻繁にこういった事を起こすのです。
彼等は決して無償の愛でかかわってくる訳ではありません。
その存在が低次元である程、かかわった人間に、見返り、霊的に作用した代償を求めるのです。
有料の先生と言われる人たちに、後年、人生が段々おかしくなってくる人が居るのは、実はこういった理由があるからです。
そして最悪の場合は本人の死に至ります。
ですから霊能者と言われる人たちが、安易にその力を使って、自分の我慾のためにお金儲けをすることは、実はとても危険なことなのです。
(これは宗教の教祖と言われる人達の場合も全く同じで、信じて従いてくる魂が多い分、余計に重いカルマが本人に掛かってきます。)
文鮮明のことを自分が手酷く断罪したのは、彼のやった行為が、霊的に見ても重大な悪影響を多くの魂にもたらしたからです。
自分は所謂霊能力といったものは、一切必要もないし欲しくも有りませんが、こういった力を本人が持つということは、実は本人にとっては自身の魂を試される両刃の刃なのです。
曲がった道を歩んだ彼等は、死んだ瞬間に自らが行った行為の重大さを思い知ることでしょう。
(この件以外にも、まだ他にも言いたいことは山程ありますが、きりがないのでひとまず終わりとします。)
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