参政党の人達と出会っておもったこと   

党の街頭演説には、都合五回参加しました。

 そこには
頭が真っ白で七十は過ぎているであろうおばあさん、どこかで鉄工所でも経営していそうな頑固そうなおじさん、普通のサラリーマン、若いお父さん、お母さん、公務員っぽい人、自分の様な介助者、定年退職した人、ごく普通の主婦、小さな会社の社長さん、自営業っぽい人、仕事をもってバリバリ働く女性、などなど、老若男女本当にいろんな人達がボランティアで参加されていました。

街頭演説ですからもちろん演説には感動しましたが、いつも自分の心に暖かい気持ちがわいてきて、心地よい気持ちになれたのは、そういった人達が現場で各々の仕事を一生懸命されているのを目の当たりにした時でした。

彼らは市井のごく普通に暮らす人々で、誰一人として自分の利益のためにそこにはおらず、されども本当に一生懸命己れの持ち分を行っていました。

いつも演説に参加する度に、毎回沸き上がるこのような不思議な感情は、いったいなんだろうと思っていました。

そしてある時、心の片隅に眠っていた過去の記憶が、その想いと突然に繋がりました。

何年も前になりますが、名古屋の栄でホームレスの方達の食料支援のボランティアをしていた事があります。

通ったのは都合三年程でしょうか、毎週火曜日の夜にその炊き出しはあって、そこへ行くときにはもうワクワクして凄く幸せな気分になるのを思い出しました。

そのときはボランティアの固定のメンバーが十二人程いて、いつもイエスに集う十二使徒に会いに行く様な気持ちでした。

そういえば、党員の人達を見ていて沸き上がってくる想いは、そのときのボランティアに通っていた頃の自分と同じだと気付いたのです。

それは利他の心です。

そこには一切の我欲、我良しの気持ちはなく、彼等の魂から沸き上がってくる想いに自分がの魂が感応していたのです。

自分が直ぐに党員になると心に決めたのは、そういった直感が働いたからです。

参政党を初めて知ったというかた、できれば党員のかたとお会いになるなど、是非ともその機会に触れてみてください。

きっと何か感じるものがありますよ。


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