大和魂について考える

閑話休題


参政党、比例代表で立候補された吉野敏明さんは、彼の街頭演説のなかでよく、大和魂を呼び覚ませ、という言葉を使い演説に来ていた聴衆を鼓舞していました。

この言葉には、実は二つの意味があります。

ひとつは縄文の神代から、肉体を媒介とした遺伝的DNAのなかに、脈々と刻まれた日本人としての特性であり、もうひとつは文字通り、先祖から受け継がれた霊的な繋がり、つまり魂の継承を意味しています。


これは男女の区別無く、すべての人は、ご自分のご先祖様からの霊線がご自身の魂に脈々と繋がっているのです。

我々は、この次元に肉体というものをまとって生きています。

しかし実は人間は魂という存在を内包していて、かのルドルフ シュタイナーも彼の著者のなかで語っている通り、民族魂というその民族の特性が、それぞれの民族に受け継がれた要素としてそれぞれの魂の中にも顕現しているのです。

大和魂とは、日本民族としての総体的魂の事です。

吉野さんの真意は、上記のまさに後者の霊的な魂の部分を話していた訳です。

大和魂を思いおこせ! とは、ご先祖様から脈々と受け継がれてきた民族魂、つまり日本人として大切に先祖代々から守ってきたもの、霊的な価値観をもう一度心の中に思いだしてほしいというメッセージなのです。

吉野さんや、同じく立候補された赤尾さん、さらには神谷さんでさえも、自分には彼等の言葉の端々に、たとえはっきりとは口に出さなくとも、霊的な摂理を自覚しながら人生をしっかりと体現されていると感じます。

ほんの数ヵ月前、妻に連れられて街頭演説へいった事を思い出しました。

それまで参政党の事を全く知らなかった自分が、神谷さんや吉野さんのお話を聞くうち、何故だか涙が溢れそうになり、何で自分は泣いているんだろう、この沸き上がってくる感情は一体なんなんだろうと、動揺していた自分がそこにありました。

これは、彼等の言葉が、自分の魂の奥底に刻まれた、日本人としての民族魂の琴線に触れたからに他なりません。

左派のマスコミが、参政党が街頭演説で、一般大衆を扇動して煽っていると書き立てていますが、彼らコミュニストの唯物的な思考回路では、全く理解することさえもできないのでしょう。



コメント

このブログの人気の投稿

わが町の隠れ吉利支丹にまつわる話 その八

わが町の隠れ切利支丹にまつわる話 その十