統一教会の闇   かくも怪しきカルトな集団 その四

彼等はいったい何故朝鮮で生まれた宗教団体であるにもかかわらず、わざわざ日本で活動をし続けているのでしょうか?

その謎を解く鍵は、教祖である文鮮明が韓国人(朝鮮人)であるということに尽きます。

中国、韓国という国、そこに住む人々と我々日本人との間には、地理的、歴史的、文化的、DNA、霊的な観点からも明らかな隔たりがあり、すぐお隣の国であるにもかかわらず、その両者の間には大きな価値観の相違があります。

(朝鮮人である)文鮮明という人物も、上記のような観点から朝鮮民族としての民族魂の特質、性分というものに囚われており、彼が、朝鮮という土地で生まれた一個の魂であるにもかかわらず、その土地の全てを包括した民族魂の範疇から逃れる事が出来ないのは、至極当然であると言えます。

彼等の日本に対する関係性の観点で述べるなら、特質すべき点は、地政学的な意味を含めた中華思想と、儒教精神です。

(この事については詳しく書き出すと非常に長くなりますのて今回は、ハショリます。)

簡潔に書くと、彼ら韓国人は、中国人の中華思想に対する小中華思想というものに取り憑かれており、日本という国に対して、劣った国、劣った民族であるという認識が彼等の根底にあります。

そして彼等の生活の中には儒教思想というものが根付いており、その事は、対日本人に対しても屈折した感情で現れてきます。

彼等儒教思想の価値観では、上下関係を維持することが何よりも優先される大切な事であり、それを維持することによって彼等の秩序が保たれるのです。

この二つの観点から、彼らにとっての日本人は

中華思想の正統な継承者は我々朝鮮人であり、日本人はその周辺の蛮族にすぎない(と思いたい)。

我々は彼等の兄であり、弟である彼等は逆らうことは出来ず、従わなければならない(と思いたい。)

古代日本の文化は全て朝鮮から渡ったものである(と思いたい)。

日本民族のルーツは百済の末裔である(と思いたい)。

しかし‼️ 我々朝鮮人と日本人のDNAは同じである(と思いたい)。

実際の朝鮮人と日本人との関係性は、現実としてあまりにも彼等の妄想とかけ離れて真逆の部分が多いために、彼らの日本人に対する思いは屈折した感情、すなわち羨望、妬みとなり、彼等の民族特性としての 「恨」 となって現れるのです。

今回のトピックとを踏まえて、文鮮明本人の言動については次回に検証していきましょう。

続く



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