我が町の隠れ切利支丹にまつわる話 その七

自分の事を霊視した人と、翌日にメダイとネイティビティーを持ってみえた人、このお二人は示し会わせてお店に来た訳でもありませんし、たまたま奇跡的な偶然で自分の前に現れたのでしょうか?


この現象は、実は分析心理学の大家であるユングが提唱した、共時性(シンクロニシティ)と言われるものです。


これは一見何の関係もない二つの出来事が、必然的な意味合いを持って起こるというもので、簡単に言うと偶然を装った必然ということができます。


ユングはこれを、人間が深層意識における集合意識の部分で繋がっているために起こると提起しましたが、これは自分に言わせれば非常に簡単な話で、このブログで何度もお話している通り、人間とは本来は霊主体従の存在で、人の本質とは本来は霊であり魂なのです。


ですから霊的な次元で考えれば、魂の想い、想念は、瞬時に露見し相手に伝わる訳ですから偶然、必然もへったくれもない至極単純な話であって、三次元的な制約で捉えるから不思議な話のように感じる訳です。


このブログをお読みの皆さんも、こういった共時性的な体験は、本当のことを言わせて頂くとあなたの周りでは沢山起こっていますが、全く違う場面で起こっていることと、三次元的な感覚で我々が捉えている為に、多くの場合それに気付かないで遣り過ごしているだけなのです。


何度も言いますが、人は三次元の制約を受けた肉体と、四次元以上の広がりに属した魂から成っており、三次元的なフィルターで感じるか、四次元的なフィルターで感じるかの違いでシンクロが起こってくるのです。


メダイを持ってみえた彼女は、その様子からしておそらくお店に入るつもりは全くなかったと思います。


しかし、クリスチャンでもなかった彼女が、自分の四次元領域である強い想念に感応した為に、キリスト教の祈りの道具である聖具を自分に託したのだろうと思います。


そしてこの話には、実はもう一つのシンクロがあったのです。


お楽しみに、続く


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