コルカタの聖テレジア マザー・テレサ その七
マザー・テレサはもともと、カトリック教会のロレット修道会の修道女として過ごし、コルカタの地に於いてカトリック系の中学、高等学校の教師や後に校長を努めていました。
このトピックの以前の章でも少しお話した通り、1946年8月、イスラム教徒の決起集会がコルカタの公園で行われ、それが元となって暴徒化したイスラム教徒とヒンズー教徒の衝突が段々と激しくなっていき、いつしか街は多数の死者が出るような内乱状態までになってしまいました。
そして彼女は、コルカタのカソリック管区長の命によりその地をやむなく離れることになって、ダージリンへと向かう列車に乗ることとなったのです。
このことは、一般的には電車の中で彼女がイエス・キリストの啓示を受けたとされています。
彼女は言います、私はその列車の中で、すべてを捨てて、貧しい中でも最も貧しい人々のうちにおられるキリストに仕えるために、キリストのあとについてスラム街に出るようにという呼びかけを聞いたのです。(これについては後述します)
(後に)私にはそれが神の御旨であることがわかりました。
ですからキリストについていくほかなかったのです、と。
マタイ書25:40には「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである。」とあります。
マザーの神の愛の宣教者会では、修道院の聖堂の十字架の隣に必ず、「わたしは渇く」という言葉が掲げられています。
そして会の使命を次のように記しています。
私達の目的は、人々の愛を求める十字架上のイエス・キリストの無限の渇きを、福音的勧告に基づく清貧、貞潔、従順の請願と、貧しい中でも最も貧しい人々への真心を込めた無償の奉仕によって癒すことです。
彼女は、「神の愛の宣教者」の司祭部門の初代総長であるヨゼフ•ラングフォード神父に次のように話しています。
いよいよこの話は佳境に入ります。
続く
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