マスクについて考える 其の一

最近ある事情があって、GF県のYG市というところに何度もお邪魔しています。

道を走っていると数百メートル程度の然程高くはない山が両側に連なっており、空気もとても綺麗でいつ行ってももリフレッシュした気分になれます。

山の中を走っていると、山影の部分とマイナスイオンが出ているせいか、空気も清浄でやや涼しく感じられますが、ただ、現地へ行って最近とても気になり出したことがひとつあります。

道の駅などの、地場の野菜を販売しているところへも頻繁に顔を出すのですが、お客さんは地元や近隣の方なのかわかりません、しかしものの見事にほぼ全員といって良いくらいの人がマスクを着用しているのです。

しかもお年寄りだけではなく、老若男女、殆どすべての人がです。

自分が今すんでいる町は、人口も三十八万人ほどでこの地域では県下三番目の規模を誇る中堅都市なのですが、最近はやっとちらほらノーマスクの人も見受けられるようになりました。

しかしYG市へ来ると、自分達夫婦以外にマスクを着けていない人を見ることもほぼありません。

五日ほど前にも道の駅へ寄って、野菜をお店で何種類も物色し、レジへ持っていったところ、レジにいたおばちゃんがまじまじと自分の顔を見て、マスクを着けて下さいと唐突に言われました。

いや、マスクは持っていない、と伝えたところ、彼女はおもむろにバックヤードに引っ込み、出てきたと思ったら目の前に不繊布マスクを差出しました。

自分は確かに言われた通り、(顎に)マスクを着用し、その後も店の中をうろつきましたがそれっきり彼女は何故か何も言っては来ませんでした。

ご存じの方もおありだと思いますが、日本以外の国にに目を向けると、一部のロックダウンをしている国を除いて、先進国においてはノーマスクでの外出がもはや日常となっており、逆にマスクを着けていると何でマスクつけているの? と奇異な眼で見られたりすることもあります。(海外のYouTubeを見てください、真実です。)

先日、コロ〇に関する知り合いの話で本当に驚いたのは、他府県からAT県に嫁いできて里帰りしようとしても、他府県ナンバーであると知れたら地元の(一部の)人に厳しい目を向けられるということで、里帰りができていないということをこぼしている人がいて、本当に、 日本人よ!!   一体どうしちゃったのかと思わずにはいられませんでした。

(特にお年寄りの方に言えることですが)コロ〇に罹患する恐怖心からマスクを着けているというのは理解できます。

しかし、他人がマスクを着けていないから自分にうつすかも知れないという恐怖心は、相手の責任では決してなく、それはその人自身の心の問題です。

何度もこのブログでお話ししているとおり、魂には自由意思という絶対不可侵の不文律があり、マスクを着けるか着けないかは本来はその人の裁量に任すべき事項なのです。

しかもマスクの着用については、ゼロか百かの議論でもなく、本来ならばどのようなマスクを着けるのが有効であるのかという事が検証されるべきであって、マスクを着けてさえいれば良いといった免罪符的な話ではないのです。(医学的な見地に於てもです)

ですからこれは決して見た目の外面的な話ではなく、本来であれば、その人が一体どの様にコロ〇にたいして注意を払っているのかといった、他の人に対する配慮的な部分でのその人自身の内面の規範に関する事柄なのです。


続く








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