霊媒体質の人々 其の五 成仏出来ない霊

自分が住んでいる地域には、中日ドラゴンズという地元に密着した球団があり、親会社は中日新聞社で、実はドラゴンズはプロ野球界では巨人、阪神に次いで三番目に歴史の古い老舗球団なのです。


このチームは、あの落合博光監督が辞めるまでは、セ・リーグでの勝数、優勝回数ともに巨人に次いで二位で、人気はともかく意外と実力のある球団だったのですが、彼が辞めてからは最高でやっと三位が一度、常にBクラスが指定席となっており、今期も満を持して生え抜きの立浪さんが監督に就任したものの、敢えなく最下位に甘んじることとなりました。


まあ自分が思うにはっきり言って球団がけっこうシブチンなところがあり、OBも地元に有力なTV、ラジオ局があるので食いっぱぐれがないせいか、中日出身の生え抜きのOBで活躍した監督やコーチは一部を除いて然程いるとはいえません。
(落合さんも監督に招かれてコーチ陣を決めるときに、そのことについては言及しています)


阪神と同じく、球団としてもそこそこお客が入ってくれればそんなに優勝しなくても良いという雰囲気があるので、それが選手の年俸査定にも表れているような気がます。


ホーム球場は以前はナゴヤドームでしたが、ネーミングライツで2021年にKOWAという製薬会社にドームのネーム使用料を売却した為、今はバンテリンドームという名称に変更されています。
(ネーミングライツ料金は公表されていません、5年で十億から十二億前後だと推測しますが、地元ではあまり評判は良くありません、何せ湿布薬の名前ですから)



今回のお話もナゴヤドーム時代の10年以上前のお話で、前でお話したお店にみえていた霊感があるお客さんから聞いたものです。


彼女の旦那さんは、仕事の関係でドームのチケットを時々会社から貰ってきていたそうで、彼女もご主人に誘われて何度か野球観戦に足をはこんだそうです。


しかし毎度、ドームで観戦するうち回を追う毎にだんだんと気分が悪くなって来て、三回位からもうどうにも耐えられなくなって旦那さんを残して先に帰ってしまっていたそうです。


彼女曰く、シートで観戦していると下から沸き上がってくる何か嫌な感じのエネルギーに気分が悪くなってきて座っていられなくなってくるそうで、これは聞いた瞬間に自分にはその理由が直ぐに理解できました。


実はバンテリンドームのすぐお隣には今でも三菱の工場があり、昔はドームの敷地は軍需工場だったところです。


ご多分に漏れず、戦時中には同市もアメリカ軍のB-29爆撃機の大空襲にあい、当然軍需工場は狙い打ちされました。


そこには多くの学徒動員の学生や一般の工員の方達が働いており、空襲によって多数の犠牲者を出しています。


嫌な感じがする通りであれば避ければよいのですが、ドームの中のシートに座っていれば、これはもうそこから立ち退くしか方法がありません。


これと似たような話は、元那覇地方裁判所判事であった稲葉耶季(やすえ)さんという方も同じような話をされています。

自分は、彼女のことは、先の参院選挙の際に参政党の応援弁士も務められた矢作直樹さんとの対談本で知ることとなりました。


彼女は自身がブレサリアン(不食)であり、人の本質は死後の世界にこそあるという魂からのアプローチを試み、人生の指針を示した「食べない、死なない、争わない」という著書を出されています。


彼女は、戦後数十年も経っているにもかかわらず、アメリカとの激戦の地であった沖縄で、未だに浮かばれない沢山の霊達の存在があることに心を痛め、自ら沖縄の地へ赴き、裁判所の判事や琉球大学の教授を務めながら、浮かばれない霊達の慰霊に努め、現地で退官されたという方です。


沖縄というところは、終戦間際のアメリカ軍との激戦で軍属や多数の民間人の方の犠牲者が出ており、霊感がある人が現地へ行くと、そこかしこに成仏出来ていない未浄化霊の存在を感じ取るようです。


この事については、いろんな方からもそのようなお話を聞いています。



続く
















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