マスクについて考える 其の三

昨日も、たまたま車を運転していてNHKのラジオのニュースを耳にしました。


相変わらず何処其処のコロ〇の感染者数は〇千人で重症者数は○人とやっていました。

今ではネットで世界中から何でも情報が取れるこの時代に、あんな数字のみを、余程の情弱でもない限り、まともに受け止めている人は居ないのではないかと個人的には思うのです。


そういった数字を聞いても、はっきり言って自分としては、だからそれがどうしたの? という程度の事です。


しかし、TVしか情報源がないお年寄りの方達にとっては、まだコロ〇は怖い、マスクもしないといけない、ワク〇〇もまた打たないといけないという気持ちになるのかもしれません。


実際に自分の周りでは、お話を聞いているとそういったお年寄りの方達が結構な割合でいるように感じます。


しかしああやって毎日数字を出してくるということ自体、何らかの意図が働いているのではないかと自分には思えてなりません。


厚生労働省のホームページを見ると、今年の秋から来年の春まで、ワク〇〇の三回目、四回目の接種を奨励しているようです。


思うにマスコミという媒体の使命は、公明で中立的、なおかつ事実であって社会正義に基づいたリソースを公的機関として一般民衆に伝えていくことが使命のはずです。


そうであるならば、もっと多角的な視点で専門家達の意見を一般の方々に広報して、彼等の選択肢を広げなければならないと思うのです。


しかしこれまでの政府の対応との対比を見ていると、何かの利権の代弁者、もっとはっきり言えば代理人のような振る舞いをしているような気がしてなりません。(勿論すべてのマスコミがそうだとは言いません、少数のマスコミはその範疇ではありません。)


何故自民党政府は、もうそろそろ以前の普通の生活に戻りましょうとは言わないのですか?


何か特別な事情でもあるのではないかと勘ぐってしまいます。


ワク〇〇が余っているので、破棄した場合の批判を避けるために、もしくは某国の意向に添ってもっと打って貰いたいのでしょうか?


コロ〇前のインフルエンザのワク〇〇を、以前誰かが強制したでしょうか?


風邪やインフルにかかれば、人と接するときはちゃんとマスクを着ける、別に病気でもなければ普通にマスクを着けることなく生活を送る、社会活動もする、それを何十年もの間やってきたではないですか?


はたしてうつる人はうつる、うつらない人はうつらない、それでやって来たではないですか?

それで誰かにうつされたと、誰にも文句を言われたことはありませんでした。


もうそれで良いのではないでしょうか?


自分は、恐怖心からマスクを着ける人達を、決して否定はしません、それがその人の想いであるというのであれば。


しかし、病気でも無いのにマスクを着ける事を強制されるのは、やはり絶対に間違っているとしか思えません。


それは自由意思に対する棄損であり、決して大袈裟ではなく魂の尊厳に関わる事だからです。

もう皆さん、そろそろ声をあげませんか?

茶番劇はもう終わり、もう幕を閉めようと。



続く

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