マスクについて考える 其の四

最近はコロ〇関連についてのいろいろなニュースを耳にします。

数日前にネットで見たのですが、政府のコロナに対する政策で、国民が猛烈な反対デモを起こしていたあのカナダ政府が、コロナに対する規制を取り止め緩和する方向に舵を切ったそうです。


カナダ政府はこれ迄、入国に際してのコロナ関連の様々な厳しい規制がありましたが、2022年10月1日以降、陸路、空路、クルーズ船での海路からの入国など、新型コロナウィルスに関するすべての入国規制が撤廃されました。


これに伴い、渡航計画の提出や接種証明の提示、列車内や飛行機内でのマスクの着用が一切不要となりました。


日本でもやっと岸田政権が、屋外においてはマスクの着用は原則不要であると明言しました。


しかし自分はまだ政府に対して非常に不満があります。


まず、今頃になってこのようなことを言い出すのは、自分に言わせれば遅きに失した感があり、周りの状況を見て付和雷同的に決定したような印象を受けます。


そして原則不要という言い方は、含みをもたせた曖昧な表現で、いかにも優柔不断な岸田さんらしいというか、人によっては解釈が分かれて混乱をきたす恐れがあります。


しかも外でという、邪魔くさい制約がついています。


何度も話しているように、マスクの着脱の可否は各個人の裁量に任せるべき事項であり、屋内、屋外にかかわらず、各々がその場の状況にあわせて罹患しないように判断すれば良いことだと思うのです。


たとえば人口密度の圧倒的な差からいって、東京と地方ではお店の込み具合も全く違うでしょうし、自分から見たら、東京都内の飲食店内のお客さんの密な様子は避けたいと思うでしょうけれども、それぞれすむ場所も違うし、それもその人の自主的な裁量でしょう。


大衆飲み屋などでガヤガヤして非常に混んで居れば、嫌だと思う人は入らなければ良いし、混んでいる時間をずらすとか、空いている平日に行くとかはみなそれぞれその人が判断すれば良いことではないですか?


自分もさすがにちょっとまずいかなと思ったときには、ポケットにしのばせたマスクを自主的につける場合もありますし、時と場合によって臨機応変に対応していますが、買い物などでは未だにマスクを着けろと言われる場合があり、いくらなんでもさすがにもう良いだろうと本当に閉口します。


もうこれからは、外でも屋内でもマスクを強制された場合には、持っていないで押し通し、もし不繊布マスクを差し出されたなら、これ見よがしに喉ぼとけにでもつけようと真剣に思っています。


しかし自分は、何度も言いますがマスクを着用することが決して嫌だと言っているわけではないですよ、強制する権利は誰にもないと言っているのです。



続く



















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