霊媒体質の人々 其の三十五 エピローグ Ⅰ

さて今回のこのトピックも、そろそろ閉めに入らねばなりません。


今までの長い人生の中で、本当にいろんなタイプの霊的素養のある人達が自分の目の前に現れ、それらの方々と関わりを持って来ました。


今振り返ってみても、そういった経験がごく平均的な一般の方達よりはあきらかに多かったというのは、己の魂に刻まれた癖性分に依るところが大きかったのは間違いないところでしょう。


自分が今までに関わりを持った霊的な素養がある人達は、それこそすべての人が千差万別で玉石混淆と言ってもよく、それは霊能者としてプロであるからといって決して霊能の素養に優れ、その人物が霊格が高いという訳でもなく、人々のなかに埋もれて殆ど身内以外の誰にも知られていないような人である方の方が、遥かに霊的な素養に勝っていたということが往々にしてありました。


前者の例では本来敢えてここに書くような事でもありませんが、霊能があることをうたって相応の相談料を設定しながら、この人、本当に霊能力があるのか?と疑いたくなるような(霊能がないと自認している自分の様な人間でもそれ位のことは分かる)びっくりするような自称霊能者という人も確かに居りました。


昨今でもSNS 等を見ていると、YouTuberと一緒に出ている霊能者や高次元の宇宙存在のメッセージを発信している方達が多く見受けられますが、例えばそのYouTubeの概要欄から霊能者のホームページ等を検索してみると、法外と言ってもよいようなとんでもない相談料を設定している自称霊能者が結構おられます。


そういった人に限って占い紛いの予言的な話や、有名人の霊的に纏わる事柄について話していたり、高次元の宇宙存在の話もよいのですが、はたしてそれが霊的な摂理にかなったような話なのか疑問符が付くような人達も見受けられます。


そもそも霊的な素養というのは今回のブログでお話してきた通り、物心ついた頃から霊能が備わっていたような人から、宗教に関わる事によって霊能が芽生えた人、人生の途上で何らかの劇的な過酷な体験をして気付きが生まれた人、修行等によって霊能が強まり力を得た人、明らかに幽界の狐霊や自然霊等が憑依して霊能を発揮している人等々、本当にいろんなパターンがみられます。


しかしそれがたとえどの様な経緯であろうとも、本来霊的な摂理になぞらえるのであれば、その霊能力というものは人生に挫折してどう生きて行ったら良いのか分からないような、悩み苦しむ人々を助ける為に与えられた力であるというのが、霊界から授けられたその人の使命である筈なのです。


その霊能を己の私欲のため自分の名声や商売(金儲け)のために使うなど、自分に言わせれば言語道断なはなしで、しかも人生の岐路に立たされ悩んでいるような方達の弱味につけこむようなかたちで法外な相談料を要求するなど、非常に厳しい言い方ですがその人の人間性を疑わざるを得ないと言う他はありません。


例外はありますが概ね当たらずとも遠からずという霊的な法則は、その霊能者の魂、想念が高い波動だと高次元の霊界と繋がってその霊能者には高級霊が憑き、その魂、想念が低い波動であるならば、低ければ低いほど低級霊、雑霊レベルと繋がりその霊能者は翻弄されるというのが、自分が今まで見てきてまさにその通りであると思われます。


言い換えればその魂のステージによって繋がる霊界が異なり、たとえ現在高次元の霊界と繋がっている霊能者が居たとしても、彼の現世での行い如何によってはその繋がっている霊界の次元が下がっていくという厳然たる法則が働く訳です。


さて、もう皆さんお分かりのように、もしもあなたがどうにもならないような大きな悩みを抱えており、霊能者と言われる人にどうしても頼りたい衝動に駆られたとしても、高額な相談料を要求する様な人には決して関わらないのが吉といえるでしょう。


霊能者としての本来の使命を考えれば、世の中には無償で相談にのってみえる人も確かに居りますし、百歩譲って御布施に留める人であれば彼の良心に従った人といえると思います。


まあ人生を何故生きているのかということを考えた場合、たとえどんなにその人が苦しい境遇に有ろうとも、それを経験することはご本人にとってある意味必然であるとも言えるのですが、ひたすら悩むことを体現することこそが己の魂の昇華に繋がり、ひいては過去世の因果を解消する事にも繋がるのですが。



次回、いよいよ最終回です。



















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