霊媒体質の人々 其の三十六 エピローグ Ⅱ

前回の最後の部分の続きですが、私達が何故肉体を持った状態で今を生きているのかということについては、別のトピックを立てなければならないほど長い話になりますし、今回の本題の趣旨とは些か離れてしまいますのでまた別の機会にさせてください。


ただ一つだけ言わせて頂くと、我々日本人というのは縄文の代から、肉体と本来の魂、そして周りを取り巻く自然界、それらを含む万物を司る大いなる存在、その全てが渾然一体となって長年の間暮らしてきた訳で、このような民族の特質は世界でもまさに特異な存在であると言っても過言ではありません。


しかし我々はある時期、西洋文明を受け入れた辺りから、我々が受け継いできた精神性は残念ながら科学に片寄った唯物論的な観念、物質至上主義に侵された価値観に変質させられてしまいましたが、日本人の魂の奥底には、先祖から霊的に受け継がれた民族魂のDNA ともいえる根元的な部分がすべての日本人のなかには脈々と受け継がれているのです。


さて話を戻しますが、天の貯金という言葉を聞かれた方、ご存じの方がこのブログをお読みの方のなかにもみえるのではないかと思います。


これは現世での徳積みの行為が(たとえ誰かに評価されなくても)魂が帰った世界での善意の貯金として貯められ、その魂の霊界でのステージに影響を及ぼすというものであり、その貯金の利子の原資は何かというと利他の行為、人への思い遣りに他なりません。


そういった徳積みを重ねることによって、天の貯金の利子が何時しか何倍にもなってその魂に帰ってくるし、たとえ本人に帰ってこなかったとしても子供や孫などの子孫に結果として良い報いがもたらされるのです。


これは霊的な摂理に照らしてみても、絶対普遍の天の理(ことわり)であり、その事は霊能に関わる部分について当て嵌めてみても何ら変わることはありません。


ですから霊能者が悩める方達から(法外な)お金を要求するということは、絶対普遍な他人への無償の奉仕という理からみても大きくかけ離れた我良しの行為となってしまうのです。


これが世間の実に多く存在する霊能者の人達にたいする自分の偽らざる正直な思いです。



最後に今年経験したお話を一つだけさせてください。


半年ほど前にあることが切っ掛けで出会った女性の方で(例によって詳しくは書けませんが)、その人とお話していたおり突然彼女が、少し前から自分の手を使って勝手に言葉が降りてくるようになって気味が悪くて困っていると言うことを相談されました。


聞いてみると、彼女は別にそのようなことに対してさしたる興味もなく、どちらかというと霊とかは恐ろしくて関わりたくもないのにその様なことが自分に起こり出したので非常に困惑している様子で、変な霊が自分に憑いているのではないかととても心配をされていました。


これはいわゆる自動書記という一種の霊媒現象で、有名なところでは岡本天明氏が艮の金神(うしとらのこんじん)によって下ろされた日月神示を自動書記したものが世間ではよく知られています。


彼女にその書かれた文章の紙を見せていただきましたが、内容も筋が通っており嫌な感じも無かったので、大丈夫だと思いますよということをお伝えしておきましたが、全く興味もない様な人にその様なことが起こるのはいったい何の采配によるものなのか、はたまた彼女の霊的な血統の因縁によるものなのかはわかりませんが(それっきりお会いしていないので)、本当に霊界については知れば知るほどその奥行きのあまりの深さに興味が尽きることはありません。


まだ幾らでもお話しすることはありますが、切りがありませんのでこのトピックは今回でひとまず一区切りとさせて頂きます。


皆さんどうか良いお年をお過ごしください。















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