医療と薬(ワ〇〇ン)身体の相関関係 日本の医療制度について考える ニ
今現在では後期高齢者医療制度の自己負担割合は、その方の収入に応じて一割から三割迄の判定基準があります。
これは自分の父親から実際に直接聞いた話ですが、以前は無料で医者に罹かる事が出来た時代があり、そんな頃の病院はまるで老人の人達の社交サロンのような様相だったそうです。
それはどういうことかと言いますと、近所の病院へ行けば大抵友達や顔見知りのお仲間が居るので、大した病気でもないのにしょっちゅう通って病気自慢? で盛り上り、ついでに薬を沢山貰って何だか病気が治ったような気分になり安心して帰ってくるというものでした(父親談)。
世間では、只より高いものはない、という言葉が有りますけれども、一部の老人の方達は別に只だから良いだろうとばかりに病院へ通い詰め、結局はその行為が医療費の負担増に繋がって将来の医療制度を圧迫し、次の世代にその相応、若しくはそれ以上の負担分を負わせたという話です。
この事を書いていて同じような話だなぁと頭に浮かんで来るのは、今回の騒動のワ〇〇ンのことについてです。
政府は今回やっと感染防止法の二類から五類へのコロナの判定基準を変更する旨決定しましたが、何故二類にする必要があったのかという内情は実はとんでもない話なのですけれども、それは追ってお話させて頂きます。
結果論から言いますとニ類に指定したことによってコ〇〇は恐いという一般国民の不安心理を煽り、任意とうたいながらマスコミを総動員して、さも強制であるかの様に打たせまくり、検査その他諸々で百兆近い金を溶かしたのです。
しかもそのお薬は未承認で、某外資には免責事項まで確約しているのです。
これは絶対に莫大な利益を享受している存在に忖沢しているか、利権で繋がっているか、若しくは意図的に利用されているとしか自分には思えません。
我が国が某国のポチだと言われるようになってから久しいですが(海外のSNS でよくその話が出てきます)、海外ではいろんな諸問題がボロボロ出てきて大騒ぎになり、訴訟問題にまでなっているにもかかわらず、我が国は某製薬会社を誘致までしてワ〇〇ンを打ちましょうと未だにやっていますからね。
検査やワ〇〇ンを無償で受けられたと喜んでいる人や、今回の五類への変更で有償になったことについて不満を漏らしてみえる方がネットでは散見されますけれども、先ほど言いました通り、只より高いものはないのです。
自分に言わせれば、本来であれば最初から五類であるべきであったし、低所得者層と高齢者に対してセーフティネットを掛けた上で、無償の人と有償の人を最初からきっちりと区分けするべきでした。
国がワ〇〇ンや検査料、休業保証を出してくれたからラッキーと思ってみえる方もなかにはいらっしゃるかもしれません、しかし必ず後からそのツケは払わないといけなくなるのです、下手すると増税という高い利子をつけて。
このブログでいつもお伝えしている様に、魂には神をも侵すことが出来ない自由意思というものがあり、自分が行った(受けた)行為には必ず因果率のように反作用として自身に巡ってきます。
日本の国民皆保険制度の破綻を防ぐ為の大切なキーワードは、自助努力という言葉であって、決して他力本願ではありません。
そもそも病気というものは、勿論現世での肉体的な生活習慣や精神的なストレスが大きな原因ではありますけれども、霊的に見ると事前に魂がその試練を課して生まれてくる場合や、過去世での本人の行った行為の因果律の解消のために顕れる場合もあります。
しかし全ての場合に於いてその原因と結果の責を負わなければならないのは、魂自身なのです。
続く
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