ジャパンブランド調査 海外から見た日本 その五 中国 日本の偉大なる存在
彼が渡航のチャンスを得たのは空海31歳のときであり、遣唐使のひとりとして念願だった唐に彼は渡ることとなリました。
彼は、密教の理解に必要なサンスクリット語(梵語)を現地で習得しながら、密教の勉強にひたすら励み続けた後、わずか半年後には、真言密教を正式に受け継いだ僧の恵果(けいか)という唐の国師に会いに行く機会を得ることとなります。
恵果はおそらく霊的な素養があったのでしょう、空海のことを一目見るなり彼の素養を見抜き、自身の弟子にし密教のすべてを空海に伝授したのです。
空海はその後、真言密教の真髄を携えて日本に帰ると、国内での仏教の布教活動に力を注ぎました。
そしてまた、彼が残した文化活動や幾多の功績は数知れず有り、高野山に真言密教の総本山である金剛峯寺を創建したことでも知られています。
自分も数年前に高野山にお邪魔致したことがありますけれども、高野山というところはお山全体が非常に神秘的で一つの霊場のようになっているのですよね。
あまり世間では知られておりませんけれども、空海という人は日本に於いて唯一無二と言っても差し支えない程の霊的な巨人であり、とてつもない霊能者でもあったのです。
彼は日本の彼方此方を訪れながらその土地の神と対話をしたり、霊を諌めたり結界を張ったりということをしておりました。
空海はまた高野山を開くときには周りの神々にご挨拶をし、見守って頂けるようにお願いをしていたのです。
日本という国は古来から自然霊という形での神的な存在が多数おられましたので、そういった存在がその土地の人々に自然に対する畏敬の念として崇められることによりいつしか神として祀られるようになったことで、皆さんも良くご存知の「八百万の神」という言葉もここから来ているのだと思われます。
弘法大師空海の魂は未だに高野山にあり、高野山の二大聖地の一つである「奥之院」では、空海のために朝食として六時、昼食として十時半の二回の食事、「生身供(しょうじんぐ」が毎日供えられています。
これは、たんに形式的なことではなく本当に意味があってのことなのです。
(肉体としては食べられませんが、霊的には食べることが出来ますので)
続く
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