ジャパンブランド調査 海外から見た日本 その三 アメリカGHQの戦略

日本が1945年先の戦争に負け、戦艦ミズーリーにおいてボツダム宣言を受諾調印してから程なく米軍のGHQが日本に乗り込んできて、その後約七年のあいだ米軍による日本の占領統治が続きました。


いわゆるOcupied  Japanと言うやつで、当時の日本の陶器にも裏にその刻印が押されています(骨董のマメ知識、自分は一時収集していました)。


敗戦後のアメリカGHQの日本占領政策は、徹底的な言論統制を強いて、連合国に対するあらゆる批判や戦前、戦中の日本の主張を一切を禁止し、新聞、放送などのマスコミや書籍等の検閲を徹底的に行いました。


また米軍の広島、長崎に対する原爆投下や、日本の多くの主要都市の空爆で、日本の一般国民の大量殺戮などを行ったという明らかな国際法違反を非難した社説を掲載した新聞の発刊を停止したりもしました。


原爆の使用については、どの様な威力が有るのかということを時の大統領であったフランクリン•ルーズベルトが、有色人種である日本に対して試したというのが厳然たる真実であり、戦争を終わらせるために使ったという話はあくまでも後付の見え見えな言い訳で、決して同じ白人国家であるドイツやイタリアには使わなかったというのが定説です。


当時、法的にれっきとしたアメリカ人でありアメリカ市民であった日系人のみの財産をすべて没収して劣悪な収容所にぶち込んだということからも、彼等白人の有色人種に対する当時のあからさまな差別意識が如実に現れています。


誠に残念ながら当時の白人達の有色人種に対する差別感情は、それが至って普通のことであり、劣等な人種(と思っている)日本人には特に激しい憎悪があったのでしょう。


そして戦後に行われた東京裁判においては、まったく弁明の余地のない、一方的なまるで吊し上げのような判決を下して、疑問の残るような被告人まで絞首刑にしています。


当時、東京裁判のインド人の判事であったパール判事は、この裁判をあらかじめ有罪であるという結論が決まっていた判決ありきの茶番劇であると断罪し、その根拠については、裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主機の立場からは被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないとして、全員無罪を主張しました。


彼の判決書は何故か法廷に於いて全く公表されること無く、アメリカの意向に沿った多数派の判決のみがまるで全判事の全会一致した結論であるかのような宣告がなされています。


彼については、京都の東山区にある京都霊山護国神社内にパール判事の立派な顕彰碑がありまして、自分も以前そこへお参りに伺ったことが有ります。


皆さんにここでお伝えしておきたいのは、先の戦争で日本軍による虐殺行為が全く無かったなどということは、自分は一言も行っておりませんし、それを押し通すつもりもありません。


自分の父親からも、中国大陸での行軍で部隊の食料調達のために略奪行為が有ったということは父親本人から直接聞いておりますし(一般人を殺すという様な非道なことは無かったそうです)、人間とは愚かなもので、どの時代のどの戦争にも軍人による虐殺はその個々の魂に帰するものなので、残念ながらこれからも無くなるということはないでしょう。


本当に戦争をする(殺し合う)という事ほど、低次元で愚かなことはありません。


ここで自分が問題にしているのは、左翼の連中や日本共産党が主張しているように、殊更日本軍の負の行為のみを一方的にあげつらう事は、あまりにも片手落ちなのではないかと言っているのです。


日本には左派系の弁護士の方が沢山おりますけれども、彼等の政治的信条は別にして、東京裁判を果たして法的根拠から言ってどう捉えているかということを、感情論抜きにして法解釈のみで一度聞いてみたいものです。


正確を期すためにお話をすれば、当時の言論を弾圧し統制するというGHQのやり方は、言論の自由を保証するというボツダム宣言の理念からは明らかに逸脱しており、国際法を侵す行為であったということです。


これは勝てば官軍式のお話で、勝者の論理のみがまるで正義であるかのようにまかり通るというのが残念ながら世界の常で、その様に歴史はつくられてきたのです。


(話は少し逸れますが、南京大虐殺の問題も元は日本のある左派系言論人の発言がことの発端となり、今では中国共産党に政治的イシューとしてジャパンディスカウントの格好の材料にされ、世界中に誇張して喧伝されまくっていますが、このブログにおいてもいつか必ず真実をお伝えしようと思っております。)



書きたいことが山程有って話がどうしてもそれ気味なのですが、次回は更に核心に触れていきます。


続く

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