ロシア・ウクライナ紛争の背後にあるもの その一

政府や、日本の殆どのマスコミの情報を聞いていますと、今回のロシアとウクライナの紛争は一方的にロシアが悪いということになっています。


しかしながらこれは日本という国や政府が、ハッキリ言ってしまえばアメリカという国の言うなりの下僕のような立場であり、アメリカの利益の代弁者であるかのような振る舞いをしているが故に、その様に国内では情報統制されているのであって、実は今回の状態に至るまでの過程には一方的にそうだとは言えない様な複雑な要因をはらんでいるのです。


世界の歴史を見渡してみますと、隣国同士で国がお互いに非常に仲が良かったといったケースはあまり無く、大抵の場合においてはいざこざが絶えないか最悪戦争を起こしているということが残念ながら彼方此方でみられるというのが現実なのです。


ロシアとウクライナについても、ご多分に漏れず今の紛争状態を暗示するような関係が長年の間続いてきました。


ロシアとウクライナの関係については約1000年前に遡りますけれども、ウクライナはそれ以降の歴史において周りの国々の干渉を受け続け、時には併合されるなどの過酷な運命を辿っています。


そして近年の1900年代初頭、ロシアに革命が起こり共産主義国家となると、ウクライナもその影響下に組み込まれていき、彼の国はソビエト連邦の一構成員となります。


しかし、スターリンによる強制移住や共産化政策により従来のウクライナの生活や文化が破壊され、農業政策の失敗により多数のウクライナ人が餓死するという事態も起きています。


近年の1985年にゴルバチョフが大統領に就任するとソビエト連邦は崩壊の道を辿り、ウクライナも1991年、ソビエト連邦の崩壊を受けて独立を果たしましたが、ロシアは当時の連邦共和国に対してNATO(北大西洋条約機構)に入らないという条件付きで独立を認めています。


そしてもう一つのキーワードは、ウクライナという国は実は西部と東部では人種構成が大きく異なっており、東部と南部はソビエト連邦時代ロシアの支配下にあり、入植が進んだためにロシア語を話すロシア系住民が多数を占めています。


それに対して西部と南西部にはウクライナ語を話すウクライナ人が住んでおり、隣国のポーランドと関係があった為に、歴史的にいっても欧州側との関係が元々深かったのです。


ウクライナ人とロシア人というのは元々人種的には似通った部分はあるものの、文化的な部分においては非常に違っているのですね。


これがウクライナという国をより複雑にしている要因となっており、ウクライナという国の中には西部のウクライナ人、東部のロシア系住民、南部はウクライナ人とロシア系住民という非常にややこしい構図があったのです。


はっきり言って西武のウクライナ人達は、ロシアに対して長年の間干渉を受けてきたという歴史的な背景から、ロシアやロシア人に対しては全く快くは思ってはおりません。


2014年のロシアのクリミア半島の併合も、当時の親ロシア派であったヤヌコビッチ政権がアメリカの画策によって倒れた事により、ロシア系住民が多数住んでいたクリミア共和国が、ウクライナからの分離独立運動を起こしてウクライナからの独立を賛成多数で可決したために、プーチンがロシアへの併合を行ったという背景があるのです。


このクリミア半島の併合以外にも、元々あった地域間の対立に加えて独立後アメリカという国がある意図を以て絡んできた為に、今回の泥沼のような戦争を引き起こすこととなったのです。



次回はいよいよ何故この戦争が起こったのかということの核心に触れていきます、続く。





 

2004年のオレンジ革命以降は、ウクライナ国内では親欧米派と親ロシア派の対立が続き、情勢が不安定になりました。特に2014年2月にヤヌコビッチ政権下で起きた政変により、新ロシア派と親欧米派の対立が激化し、その結果抗議運動の激化によってヤヌコビッチ大統領はロシアに逃亡、親欧米派の野党が暫定政権を樹立しました。

 






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