ペット達が存在する意味とは?

最近、FaceBookのアルゴリズムで上がってくる動物たち、特に犬の動画をよく見ているのですが、うちの家は昔から根っからの犬派で、まだ自分が小さい頃に家では秋田犬を飼っていましたし、人生のある部分で自分は常に犬という存在と一緒に生きてきました。


今現在も白いトイプードルと一緒に暮らしていますけれども、この子はペットショップで初めて会った時には既に生後7ヶ月が経過していました。


今でもハッキリと覚えていますがその子は、自分と会ったその瞬間に、ゴロリと仰向けになりお腹を出して甘えてきたのです。


その様子を見た瞬間、この子を家に連れて帰るという事を即断で決めました。


その日はちょうどホームセンターに用があって、必要な買い物を済ませてから直ぐに家に帰るところでしたが、何故だか自分でも分かりませんがお隣にあったペットショップに足が向いて、たまたまふれあいタイムでその子だけがゲージの外に居たので、そういう出会いがあったのでした。


自分には誠に幸いなことに霊能というものははまったくありませんけれども、霊的な摂理で生きておりますので物凄く勘が鋭いところがありまして、彼女(その子はメス犬)を見た瞬間に、ああ、この子とはとてもご縁があるから家に連れて帰らないといけないなぁ、と思ったのでした。


犬を飼うなどというつもりも全く有りませんでしたので当然手持ちのお金も持ち合わせが殆ど無く、全額カード決済でも良いと言う事でそこそこの金額の支払いを済ませて直ぐに家へ連れて帰り、それからはや五年という月日が流れていきました。


うちの子と接していて、毎日のようにつくづく思うことが有ります。


それは犬というものは、無償の愛のかたまりのような存在で、飼い主を愛し、甘えて純粋に接してくれていますので、飼い主にとっては無上の喜びを与えてくれる存在なのだということです。


こんな言い方は語弊があるかも知れませんけれども、彼等のことを見ていると、ある人間達よりは彼等のほうが余程霊性が高いのではないかとつい思いたくなってしまいます。
(確かに彼等の魂は、霊的に見ると神の使いであると言っても良い程の純粋なものです)


しかし人の魂と犬の魂はそもそも根本的に質が違いますので、本来は較べるべきものではありませんけれども、世間ではたまに前世は自分は像であったとか、ライオンであったなどということを言っている人がおります。


自分は霊的な摂理の真髄を全て極めている訳では有りませんので果して正しいかどうかは分かりませんけれども、やはり人間の魂はあくまでも人間の魂なのであって、動物の魂とはまた違った魂の行程があると思うのです。


その二つの魂の存在は決して交わるということは無く、ペットはもしもその天寿を全うした時にはその集合意識の世界に戻っていくのではないでしょうか?


世間では、ペットを飼っている人が自分のペットが亡くなるとペットロスに陥ってしまったり、その子の終末医療のやり方などで、あれで本当に良かったのだろうかとくよくよ悩む人がおりますけれども、その様に想い悩む事はペットにとってはまさに後ろ髪を引かれるような事で、決して亡くなったペットにとっては良いことではありません。


花が自然に美しく咲き誇って人の心を癒やし、目を楽しませてくれるように、ペットもまた無償の愛で人と接することにより、人の心を癒やして愛することの大切さを身を以て教えてくれているのです。


そしてペットは自然に生きる者たちと同じ様に、決して延命治療等というものは必要ありません。


彼等にとって死というものは必然であるので、なるべく自然な状態でそのお役目を終えた後に還っていくだけなのです。


もしも可愛いペットが亡くなった時には、一杯甘えて愛してくれて有り難う、そして沢山愛することを経験させてくれて有り難う、心を癒やしてくれて有り難う、ご縁があったらまた会おうね、と心からの感謝と労いの言葉を掛けてあげることが、ペットを安心させてあちらの世界へと送り出す事ができる最良の魔法の言葉となるのです。























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