特別投稿 ryuchellという人についておもうこと

自分の家にはTVが無いので特段その人について知っているという訳でもありませんが、仕事場でたまにTVを見る機会があり、何年か前に彼とペコという夫婦がバラエティー番組で出ていたのは記憶していました。


今回、自分のスマホに突然その ryuchell という人が亡くなったというメッセージが届きました。


彼はペコという人と夫婦になり子供を授かりましたが、実は彼にはLGBTの問題でずっと悩んでいたという人生が有りました。


彼はおそらく子供が産まれた事により、男性性として父親を演じなければならなくなるという葛藤に悩んだ末に、当然のことながら妻であるペコさんとお互いよく話し合ったうえで、昨年離婚するというかたちを選択したのだと思うのです。


さて、彼は今回何故自死という結末を迎えてしまったのでしょうか?


このブログでも散々お話してきましたが、ネットの世界というものは自分の素性を隠して世界中と繋がることができる為に、その魂の本質、本性があらわれ易くなるという傾向があります。


彼等はさしたる正当な理由もなく、己の勝手な好き嫌いの感情にまかせて対象としたターゲットを叩き誹謗するといった事例が、SNSの世界では本当に多く見られます。


もしもryuchell という人に対して、然るべく正当な理由が有るという確信があるのであれば、己の言葉を撤回するべくも無い筈なのでしょうが、ryuchell という人が亡くなった途端にそういった誹謗をしていた連中の多くは、慌てふためいて自分のメッセージを消すか読めなくするという事をしています。


彼等はただ単に、自分の価値観で嫌だという思いや歪んだ正義を振りかざして相手のことを否定し誹謗中傷を繰り返していたのです。


自分の価値観で理解できないからと言って人の選択に難癖を付け、嫌味や嫌悪で相手を罵倒し自分の事を正当化しようとする人達。


その様な行為は己の度量の狭さ、己の無知を晒す行為に他ならず、裏を返せば己の鬱憤や劣等感を自ら人に暴露しているようなものです。


世の中には、人のエネルギーを吸い取ってしか生きることが出来ない、ネガティブな吸血鬼のような人達がいるのは紛れもない事実であり、誠に残念なことにそういった人達が多いのもまた事実なのです。


次の言葉もこのブログでは何度もお話をしていますが、人というものは、己の魂の裁量によって、その人の人生に起こった事柄の全てに責務を負うのは、その魂自身にしか出来ないということであり、これは絶対普遍の霊的な摂理なのです。


彼は謂れなき誹謗によって己の人生を閉じる事となりましたが、彼が二十八年間の生きているあいだにLGBTとして体現した事や、もしも彼が生きていたのであれば体現したであろう世界観や価値観は、いったいどれだけ多くの人達を勇気づけるることとなったのだろうかということに想いを馳せると、本当に憤懣遣る方無い思いで誠に残念でなりません。


彼が自死するに至った経緯を思うと、この世の中は、自分の価値観で人に干渉をする人達が如何に多いかということをつくづく感じずにはいられません。


今回のryuchell さんの事で本当に大切なことは、人はあくまでも人であり、自分とは価値観や癖、性分が違う存在なのですから、相手に決して強要せず、違う存在として相手のことを認める余裕を持つこと。


そうすれば自分が好きではない相手に対しても許容するという気持ちが生まれますし、何時かはその存在が自分と関わることには理由があり、好ましく思えるようになる時が来るのかもしれません。


人は自分の人生について、如何なる困難があろうともあくまでも一生懸命に生きれば良いだけのことなのです。
(言うは易しですが、この困難を乗り越えるというのが実はこの世に魂が生まれた理由でもあるのです)



(過去にもLGBTのブログを載せていますので、もしも未読でお暇な方は是非ともご覧になってみて下さい)





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