苦節○○年 世界に羽ばたく日本のメタルバンド 中編

ある程度の年齢の方達にはご存じの方も多いと思いますが、自分が若い頃、三宅裕司の司会で土曜の深夜にやっていた「いかすバンド天国」という番組がありました。


ネットで調べたところ1989年から翌年の年末迄およそ2年弱その番組は放送されていた様です。


自分はその番組を毎週欠かさず観ていたという訳ではなく、何せ土曜の真夜中から2時間強の長時間番組でしたので夜更かししたときにたまに見る程度でしたが、当時は世間でも結構な「いか天」ブームが巻き起こりました。


番組の内容としては、世の中ではまだ無名のバンドやアマチュアバンドがスタジオで演奏を披露して勝ち抜いていき、何週か勝ち残ったバンドはグランドチャンピオンとなりメジャーデビューが出来るというシステムで(最初の頃は違っていた様です)、自分が知っている「いか天」出身の有名どころのバンドは、フライングキッズ、ビギン、たま、ジッタリンジン、カブキロックス、マルコシアス・バンプ、 といったところでしょうか。


自分は毎週観ていた訳ではありませんので、実際には他にも「いか天」出身で世間で有名になったバンドは存在するのかもしれませんけれども、番組が終了するまでに出演したバンドは合計846組だったそうですから、その中でたとえチャンピオンになってメジャーデビュー出来たとしてもあまり売れなかったバンドもおそらく結構あったのではないかと思われます。


上記に挙げたイカ天出身のバンドの中で自分が一番好きだったバンドは「ジッタリンジン」で、世間的には「プレゼント」、「にちようび」(オリコンシングルチャートで一位)、「夏まつり」(後年リメイクされていますが本家はジッタリンジンなのです)が有名ですが、彼等は「いか天」でグランドチャンピオンの成績をおさめる事はなかったものの独特のノリの良いビートが評価されてメジャーデビューすることとなりました。


しかし契約したレコード会社のディレクターのせいか、何だかアイドルっぽい時代に迎合したような売り出し方をされてしまいました。


下記に2000年12月16日、今は無き伝説のライブハウス、大阪「ベイサイドジェニー」で行われたライブの模様を貼っておきますが、ご覧になればわかる通り、彼等の真骨頂はシンプルで軽快でありながらパンクな要素が多分にある「ジッタリンジン」にしか出せない独特で個性的な雰囲気にあるのです。


ドラミングはあくまでも素晴らしく、ベースも控えめで正確、ギターは決してテクニカルではないものの、シンプルな良い味わいが出ています。


「青いカナリヤ」
https://youtu.be/AiiktgfUAmg?si=lcqKedV_esPFzsdd


「黄金の夜明け」〜「自転車」
https://youtu.be/CdjwqQoo75s?si=q1S8K72GUSnRPlJq


「夏まつり」
https://youtu.be/b84QiAh7Oq8?si=JwwlXQzh4zhWm6vf


本当に素晴らしくツービートでノリの良いライブですが、そんな彼等でさえも他の殆どのバンドと同じく、17.8年前から活動休止状態が続いています。


自分は当時外タレ系のロックバンドのコンサートばかり通っておりましたので、ライブ映像を見ながら彼等のコンサートに当時行かなかったこと、その場の雰囲気を実体験出来なかったことを本当に悔やんでいます。


さて、いよいよ今回のブログの主人公、「人間椅子」の登場です。

彼らもまた「いか天」出身でありながらたいした結果を残すことは出来ませんでしたけれども、今現在もコンスタントにアルバムを出し、ライブ活動を行なっているという状況を考えると、900組近くのバンドの中では一番ミュージシャンとして成功したグループと言えるのではないでしょうか。


しかし、彼等の今に至るまでの道程はまさに苦難とも言えるものでした。


この話はまだ続きます、お楽しみに。

コメント

このブログの人気の投稿

わが町の隠れ吉利支丹にまつわる話 その八

わが町の隠れ切利支丹にまつわる話 その十