父親が体験した霊的な話 その四

 魔法陣?


そもそものお話になりますが、不動産というものはその土地の値段とその上に建っている建物の評価額でその不動産の価値というものが決まります。


今、自分は名古屋市の北区というところにある施設で職を得ていますけれども、職場の周りで猫の額程の土地に建蔽率ギリギリに建てられた新築の家を見る度に、誠に失礼ながら施主の人はこの家を一生掛かって働きながら支払いをしていくのだろうなぁと思いながら通り掛かっています。


需給バランスの関係から特に都会では土地の値段は本当に高くなってしまいましたが、日本がそのような状況になっていったそもそもの始まりは、高度経済成長とともに、かつて自民党の領袖であった田中角栄氏がブチ上げた「日本列島改造論」あたりから土地価格がぐんぐんと上がっていったというのが実情で、それ以前の昭和の時代は土地の値段は今のように然程高くはなかったのですね。


父が喫茶店を経営しながら次に閃いたのは、それを商売にするということでした。


今では建築メーカーが更地を買ってそこに家を建て、それを分譲するというのは何処でも見られるごく普通の光景なのですけれども、喫茶店のオヤジである父は土地が上る前の昭和の三十年代にそこに目をつけて同じような事業を始めたのです。


自分はその頃は未だ生まれてから幾ばくもない頃でしたのでリアルな詳しいことについてはあまり知りませんけれども、後年父から訊いた話によると、めぼしい値頃な土地を買って他所から解体した材木で建物を移築したり、家土地をそのまま購入して建物をリフォームしてから転売したりといろいろなパターンで不動産の売買をしていた様です。


なかには、ロケーションの良い掘り出し物の物件が見つかると、そのまま借家として人に賃貸したりもしていました。


彼は喫茶店を経営しながら、その不動産の商売で順調に相当な利益を上げていましたが、ある時期になると突然キッパリとその仕事を止めてしまいました。


彼が言うには、あまり財産を残すと後々争い事の種になってろくな事がないからもうその商売を止めたのだ、という話を後年自分にしてくれました。


世間では、遺産を巡って争いごとが起こるのはまことに残念ながら結構よくある話なのですけれど、自分はその話を訊いて、普通の人であれば己の物欲のままに貪欲に事業を続けて金を儲けていくのだろうけれども、父は人生の本当の価値というものをわかっている人なのだととても感心し、また感動もしたのを覚えています。



父は晩年になり八十歳を過ぎたある時期、突然免許証を返納致しました。


彼は自分の体力の限界や己を客観的に律することが出来た人だったので、潔く免許証を警察に返したのだと思います。


そして免許を返してから間髪を入れずに、生まれてこの方ずっと住み続けて先祖の墓もあり、親戚も沢山居る故郷である一宮を突然去って、京都へ転居てしまいました。


実は京都には嫁いでいった自分の姉がおり、彼女が住んでいたマンションのすぐ隣りの棟に売り物件が出たのを自分の姉である娘から聞いて、即断で住み慣れた故郷を去って引っ越しをしたのでした。


まあそれには彼なりの理由があり、一宮で住んでいたところは市街地から離れた僻地でバス停も遠くて不便、しかも何処へ出向くにも厄介なところでしたし、京都のそのマンションであれば目の前にバス停や近くにスーパーもあり、市バスが京都市中に網の目のように通っていますので、生活するのにもとても都合がよいのだという事が引っ越をする大きな理由の一つなのでした。


京都というところは昔から、もともと革新系の政党がとても強い土地柄でして、市バスなども当時は七十歳以上の人は全く無料て乗ることが出来るなど、老人に対する福祉がとても手厚い土地柄でしたから、彼は乗り放題のバスを利用してしょっちゅう彼方此方の神社仏閣の名刹に観光に行っておりました。


自分も時折父のところへは遊びに行って一緒に神社仏閣巡りをしておりましたので、今回のトピックのお話の多くの部分は、年寄りの思い出話としてそのときに彼からいろいろ訊いたことを書かせて貰っているのです。



いよいよ次回はやっと核心に迫ります、どうぞお楽しみに。

















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