父親が体験した霊的な話 その五
彼が住んでいたそのマンションから徒歩で10分程歩いたところに、長い鳥居で有名な伏見稲荷神社があり、父のマンションへ行く度に伏見稲荷さんには毎回御参りに行って居りました。
伏見稲荷というところは実は神社自体が一つの山になっておりまして、頂上迄ひと通りお参りをして裏手の方へ降り、正面の鳥居迄戻ってくると、ゆうに一時間以上は掛かりますのでとても良い運動にもなるのですよね。
京都へ行き始めた頃には神社へ通じる参道も然程人は居りませんでしたけれども、父が亡くなる頃には海外の観光客の人達で狭い参道が結構ごった返す様な状態になっていました。
これは安倍さんが観光立国の政策をブチ上げて観光客の誘致を始めたことと、日本へ旅行で来る人達にとっては京都はまず真っ先にリストに上る様な場所ですから、訪日観光客の増加に比例して京都が混雑するのはまあ当然の帰結なのでしょうけれども、伏見稲荷は京都の数ある名刹の中でも海外のツーリスト達の人気ナンバーワンになったこともあるような場所ですから、尚更その様な状態になったのでしょう。
しかし観光で飯を食っている人にとっては経済的に潤う訳ですから、それはとても都合の良い状態なのでしょうけれども、京都で日々生活を営んでいる市井の人達にしてみればこれはたまったものではありません。
当時、清水寺へ行った帰りに表通り迄出てバスに乗ろうとしましたが、来るバスが悉く満車で全く乗ることが出来ず、やむなく二つ手前のバス停までトボトボ歩いていってやっと乗れて、無事にマンションまで帰り着くことが出来たということがありました。
所謂、昨今一般的に知られるようになったオーバーツーリズムを身を以て体験した訳ですが、実は京都では結構以前から観光客のキャパシティーオーバーが問題になっていたのです。
これは何事についても言えることですが、度を越すということはやはり弊害のほうが大きくなる場合が多いもので、中庸で程々、欲をかかず足るを知るというのが、すべての物事を上手く遣り過す人生の極意であると自分は思うのです。
人の欲望というのは底なし沼のようなもので、一旦取り憑かれてしまうとなかなかその境遇からは抜け出すことは容易ではなく、人生に於いては知足安分(足るを知り分に安んず)の境地に至る事こそが唯一その地獄から抜け出すことが出来るのです。
話が少し飛びましたので戻します。
京都へ行った折の行動パターンはほぼ毎回同じ様な感じでして、日中は余裕を持って京都や奈良の名刹巡りをしてから早めに帰宅をし、晩御飯の準備をして夕食を二人で食べるというのがルーティーンになっていました。
父親の昔話は、一緒に食事を摂りながら過ごした二時間ほどの間に、彼が人生で経験したよもやま話しとして、本当にいろんなことを楽しく聞かせて貰いました。
このトピックの最初の方でお話をしました通り、父という人の人生は、ほぼ昭和の時代をリアルタイムで生き抜いた人生であったと言っても過言ではありません。
彼が生まれてからすぐに昭和の御代になり、戦前、戦中を通じで彼の人生は激動の世界の荒波に揉まれ、戦後の荒廃から世界有数の経済成長を遂げるまでのすべてを父は体現してきたのですが、彼は正に形而下の世界の中で己の人生を生き抜いてきた訳です。
自分は物心ついたときから、この世界の別の側面には霊的な世界があるのだということを何となく感じ取っておりましたので、父親と自分はある意味、正反対の人生的価値観を生きてきたと言えるのかもしれません。
何故その様な話が出たのかは今となっては失念してしまいましたが、ある時、一緒に食事を摂りながら父がハッキリと自分に言ったことを、今でも一言一句リアルに覚えています。
彼はこのように言いました、
人間がもしも死んだらもうそれでお仕舞い、肉体が消え去ったら後には何も残らない、人もすべて消滅するのだ、と。
この話は次の後半に続きます。
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