地球という星について考える その三 人間と動物の霊性について 前編

前回は我々人類と地球という星との関係性について考察しましたが、今回はもう少し掘り下げて人間とその他の地球の生き物達の関わりについて霊的な見地から具体的なお話しようと思います。


私事ですが、我が家ではペットのトイプードルを家族として迎え入れてはや七年程が経ちますが、彼女(メス)との出会いもなかなか運命的なものがありました。


その日は、近隣の市のとてつもなく大きなホームセンター迄、どうしてもそこにしか無い必要なものがあったのでわざわざ出掛けたのですが、その買い物を済ませた後、通常であればそのまま帰るところでしたが、取り立てて用もないのに何故だかホームセンターのお隣りにあったペット館に足が向き、お店のなかに吸い込まれるように入っていったのです。(自分は昔から現金主義で必要分しか現金を持ち合わせていなかったし、ペットを飼うつもりなど更々ありませんでした)


入口すぐ横にあったベーターを二階へ上がって行くと、目の視界の先に白い子犬がいて突然こちらの方へ駆け寄ってきました。


その仔犬は自分の目の前まで来ると、突然ゴロリと仰向けになってお腹を見せたのです。


その瞬間、この子を家へ迎えることを決めました。


その時間はちょうどその子犬のふれあいタイムで、たまたまフロアーに出ていたのです。


その間、ほんの1〜2分だったでしょうか、結構な金額でしたがその様な高額な現金など当然持ち合せておりませんでしたので、カード払いで済ませてその子を家迄連れて帰りました。


後になってから分かったのですが、その子は自分の人生の非常に大事な転機に助けとなってくれました。


彼女が家に来てから長い月日が経ちましたけれども、人ではなく例え犬であっても運命の出会い、霊的な御縁というものは確かにあるのですね。


ここで話は少しだけ逸れますけれども、世間では飼っているペットが亡くなるとペットロスの状態になって、悲しみのあまり何も手につかなくなるという飼い主さんが時折みられます。


その子が亡くなる時には、悲しみと葛藤のあまり、少しでも長く生きていて貰いたいという気持ちから延命措置を考えたり、そういったことをすれば逆にその子を苦しませる事になるのではないかというはざまで非常に思い悩む方もみえます。


先述しました通り自分は今、ペットと暮らしていますが、彼女を見ていて先ず頭に浮かぶのは、犬達は無償の愛のかたまりのような存在なのですね。


うちの子はエゴや見返りなどは一切求めること無く、ただひたすらに飼い主である自分のことを愛し、甘えてくれるのです。


そこには当然人間の様なグチャグチャとした感情などは微塵もなく、とてもシンプルでストレートなのですね。


そういった点だけを考えれば、ペットはなまじ純粋なだけに余程人間よりも霊性が高いと言えるのかもしれません。


ペットという存在は、ある意味霊性も高く無償の愛のかたまりのようなものですから、かかわっている飼い主達人間にとっては気づきや癒しを沢山与えてくれる存在なのですね。


彼等も霊界から三次元の世界へ肉体を以て飼い主の元へ転生して来ていますから、人間にとってのペットという存在は自然(神)からのお使いの様なものなのです。


ですから可愛がっていたペットが亡くなったからといって深く嘆き悲しむというのは、本来とは真逆の行為なのです。


本来であれば自分のところへ来てくれて有難う、心が落ち込んだ時には癒してくれて有難う、一緒にいてくれて本当に今迄楽しかったと労いながら死出の旅路を送り出してあげるのが、ペットにとっても一番嬉しくもあり彼等の供養にもなるのですね。


何時までも嘆き悲しんでいては、ペットも心配であちらの世界へなかなか帰れませんよ(笑)。


この話は続きます。



























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